寒山と拾得が残したもの
前回、中国の寒山寺のお話を取り上げましたが、このお寺の開祖は寒山とされています。 7世紀、唐の頃にいたとされる「寒山」は風狂の修行僧。山にこもり乞食同然の生活をしながら、寺で働く拾得(じっとく)と共に、僧をからかい、奇声を発したり放歌高吟したりと二人して奇行を繰り返しながらも何百もの詩を残し、後には禅の体現者、仏の化身として敬われます。<寒山寺の詩とペアで売られている寒山拾得図>この二人は「寒山拾得図」として後世の画家が好んで取り上げてますが、どの絵を見ても異様で不気味に描かれてます。私も昔から一体なんだこいつらは、と気になってました。<雪舟の寒山拾得図>あるとき森鴎外の短編にあるのを見つけて読みましたが、ますますわからなくなりました。そのストーリーはと言うと、昔、唐の頃に役人がいて、頭痛を治してくれた不思議な僧に会いに行くと留守だったので、紹介された菩薩の化身という寒山と拾得にうやうやしく挨拶すると、二人はゲラゲラ笑って走り去るという、ただそれだけの話。わけわかりません。この話にはネタ本があります。寒山や拾得の詩500余りを集めた「寒山子詩集」の序文です。鴎外はこれをほとんど加筆なしに短編小説に仕立てています。しかし物語は途中で唐突に終わっていて、人々は皆面食らいます。禅の世界は問答無用、と言わんばかりのぶっきらぼうな扱いです。しかし原書にはその後日譚も書かれていて、寒山拾得が壁や木切れに書き散らした落書きを集めると立派な詩集が出来上がり、彼らの真理を会得したというふうな結末となってます。<北斎の寒山拾得図>鴎外はこういった昔の物語を仕立て直すのが好きなようで、「山椒太夫」もそうですね。しかし彼の「高瀬舟」はとてもよかった。江戸期の役人の手記が元ですが、これはとてもしんみりと心にしみる素晴らしい名作だと思います。井伏鱒二や芥川龍之介の「寒山拾得」は全く違う扱いで、寒山拾得の強烈なキャラクターに取り付かれる現代人を描いてますが、そんな気分、なんとなく分かるほどインパクトある寒山と拾得です。<京都のコーヒーハウス拾得>しかしながら、寒山拾得といえば、私は真っ先に京都のライブハウス・拾得をイメージしてしまいます。というか、この店のおかげで寒山拾得に興味を持ったという方が正しいでしょうね。今年で46周年をむかえた京都の老舗ライブハウス拾得。正式にはコーヒーハウスと称してますが、かっては蒼々たるミュージシャン達がここを巣立って行き、西部講堂、円山音楽堂と並んで京都の音楽のメッカでした。もちろん今も現役で頑張ってますが。それにしても私は今までずっと「じゅっとく」と呼んでましたが違いました。お店のHPに下記のように書いてありました。恥かしい。<拾得は「捨得」とは書きません。「じゅっとく」でなく「じっとく」と読みます>つまり捨はすてる、拾はひろう、で正反対の言葉でした、なので今までは「捨てて得る」などとと呼んでいたわけです。寺に拾われた子供なので「拾って得る」なんですね。僧たちの食事係だった拾得は残飯を集め、山に住んでいた寒山を養い、共に遊びかつ詩を読む。このライブハウスもそんな無名のミュージシャンを集めて共に伸びるという意味で、この名を選んだのではないかと、勝手に合点しています。寒山と拾得は現代にも啓示を与える存在のようですね。そう考えると悪趣味な描き方でなく、童子のような清らかな存在としてこの二人を見るのもひとつなのかもしれません。<伊藤若冲の寒山拾得図>------------------------------------------------------------前のページ/20191024 寒山寺の拓本の奇妙な文字次のページ/20220105 ブログの「京都編」を店仕舞い ------------------------------------------------------------