見そこなわないでよオジサン 初めての女帝(その8)
推古天皇は即位の翌年に摂政となった甥の聖徳太子と、物部氏を倒して第一人者となった蘇我馬子と三人で政治をとりおこないました。実務は甥と伯父にまかせて象徴として皇位にある天皇を思い浮かべますが、天皇としての立場を強く自覚し、私情に流されない人となりだったようです。そのことを示す逸話が残っています。聖徳太子が622年に亡くなった後の634年のことです。権勢並ぶ者のない蘇我馬子は推古天皇に領地を要求したのです。「なあ、推古よ。葛城の県は我が蘇我族のゆかりの土地じゃ。 わしも老い先短い是非とも今の時期に賜りたい。 なたを30年支えてきた伯父の頼みじゃ。 よいな、異存ないな!」七十歳を超えた推古天皇がこたえます。「大臣どの、少し了見が違いませんか。 そなたのこれまでの貢献に対しては十分に報いてあります。 この上、公の土地を欲しいとはちと欲張りではありませんか。 君臣の立場をわきまえ、所望はほどほどになさるがよいでしょう。」こう言うと天皇はさっさと奥へ引っ込んでしまいました。「アチャー、甘かったか」と馬子は言ったことでしょう。この2年後に馬子は亡くなります。ちなみに子蝦夷、孫の入鹿が中大兄皇子らによって殺される19年前のことでした。