露姫のこと
1822年、因幡の若桜藩主・松平(池田)定常の娘・露姫が亡くなった。数えの六歳で天然痘による病死であった。彼女は生前親しい人たちに和歌や俳句を書き残していた。定常はそれらを木版画に模刻して親戚知人に配った。以下は侍女であった「とき」と「たつ」に当てた和歌である。「えんありてたつときわれにつかはれしいくとせへてもわすれたもうな」 ときたつさま 六つ つゆhttps://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000130和歌は「縁ありて立つ時我に使われし幾歳経ても忘れ給うな」となるが、遺筆はすべて平仮名で書いてある。数え六歳であるから満年齢なら5歳である。独力で詠まれたものかはわからないが、筆跡は確かに5歳児と思われる。「六つ つゆ」と書かれているのかせつない。