井上ひさしさん
井上ひさしさんが亡くなった。75歳だそうだ。昨年の夏、文学館で井上ひさし展を見たこと、それから遅筆堂文庫を訪れた記憶がよみがえり、「ああ、間に合わなかった」と思う。何が間に合わなかったのか、自分でもうまく説明できないけれど。作家は亡くなったのに、「吉里吉里人」も「自家製文章読本」も「東京セブンローズ」も変わらず本棚にあって、ページをめくればいつでもその言葉に会うことができる。気に入った一節は胸の奥でたしかに息づいて、こうしている今もしきりに語りかけてくる。好きな作家が亡くなったという知らせに接するたび、そのことのふしぎにぼう然とする。もう二度と新作が読めない、というさびしさがこみ上げてくるのは、ずいぶん時間が経ってからだ。本にも寿命はあるけれど、紙が劣化すれば版をかさねて、世界に言葉があるかぎり、読みつぐことができる。そのともしびを守る仕事に、ほんの少しだけ関わっていることを、こんな夜は心からよかったと思う。