宮沢賢治、最期の手紙
ゴールデンウィークは、夫の実家でのんびり過ごしました。飛行機が着陸して、東北ならではの優しい緑の色や、屋根の形を見ただけで胸が熱くなり、そんな自分に驚く。子供のころから引っ越しの多い根無し草の人生で、「ふるさと」というものに対する思い入れは、人よりも少ない方だと思っていた。でも、まるで外国みたいに気候や植生の違う南の島に暮らし、久しぶりに東北に降り立ったときの「帰ってきた」「守られている」感は圧倒的で、故郷を想い、愛する人の気持ちが、少しだけ分かった気がする。今年の東北は例年よりもずいぶん暖かくて、いつもはゴールデンウィークに咲く桜も散ってしまっていたけれど、長い冬を越えて芽吹いたばかりの新緑がまぶしく光り、色とりどりの花が競うように咲き誇って、まるで夢の中にいるみたいだった。両親にちびを預けて、夫とふたりで宮沢賢治記念館へ。何度か訪れているけれど、来るたびに新しい発見がある場所。賢治の脳内宇宙を旅する気持ちでじっくりと見る。ここを訪れるたび、必ず読むことにしている書簡がある。晩年の賢治が、病床から教え子の柳原昌悦に宛てた手紙。あなたがいろいろ想ひ出して書かれたやうなことは最早二度と出来さうもありませんが、それに代ることはきっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。しかも心持ばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。私のかういふ惨めな失敗はただ今日の時代一般の巨きな病、『慢』といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲けり、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かが空しく過ぎて漸くじぶんの築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、ただもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。悩み、迷い、葛藤しながら、泥の中から蓮の花が立ち上がるように珠玉の言葉を紡いだ賢治の思いを、ひとりの物書きとして私は忘れずにいたい。心身の中身が入れ替わったような、清々しい気持ちで記念館を後にする。明日から、また私の場所でがんばろう。最近、共感した一冊。『拝啓 宮澤賢治さま 不安の中のあなたへ』神格化された賢治ではなく、繊細に震える魂を持った、ひとりの弱い人間としての「賢治さん」の姿を、愛情を持って浮かび上がらせる名著です。興味のある方は、ぜひ。読書日記 ブログランキングへ