ひとつの樹
雨の音を聞くのが好き。窓をあけて部屋で聴くのもいいし、傘をたたく水滴のリズムに心を沿わせるのも愉しい。周りの空気と一緒に、心の中まで洗い流されてさっぱりするみたい。くまが帰ってきた。半年ほど、仕事の都合で単身赴任をしていたのです。雪国にひとりで残るかどうか、最初は迷いもあったのだけれど、今は、この町で過ごすことにしてよかったと思っている。以前はくまに頼っていたいろいろなこと、ひとりでできるようになったし、くまを通じてではなく、直接町の人たちとつながるきっかけにもなった。何よりも、半年間家を守ったことが、ささやかだけれどたしかな自信になった。図書館で出会った人、近所の友達、遠くに住んでいる友達や家族にも助けられて、寂しさを感じる暇もなく、あっという間に半年が過ぎた。とは言え、くまが帰ってきてみると、肩の力がぬけて、呼吸しやすくなっている自分に気づく。周りの景色に色がついて、何を食べてもおいしく感じる。昼間はそれぞれ別の仕事をしているし、物事の感じかたや考えも、常に同じとはかぎらない。それでも、やはり夫婦はひとつの樹みたいなもので、協力して土に根を下ろしたり、空に向かって枝を育てたりしていくのかなあと思う。離れて過ごした半年で、たぶん、お互いにそのことをたしかめることができた。わたしたちの樹、これから、どんなふうに育っていくかな。連休は、ひさしぶりにくまの実家に帰省したり、くまの職場の芋煮会(雪国の秋の風物詩)に参加したりして、賑やかに過ごす。芋煮コンテスト(!)の審査員をつとめて講評を述べたり、くじ引きでキャンプ用の椅子が当たってみんなの前でくまと一緒に挨拶したり、大勢の人に紹介されて「いつもお世話になっております」を連呼したり、妻らしい休日。わたしはぼんやりして気が利かないから、いい妻にはほど遠いけれど、「奥さん」と呼ばれることに気負ったり、自分がなくなるような気がして不安を感じることは、いつの間にかずいぶん少なくなった。今は、「図書館のお姉さん」の役割と同じくらい、奥さんの仕事を楽しんでいるかも。女のひとは、あちこちでいろんな顔を持っているとバランスがとりやすいのかもしれない。