ばたばた大みそか
ばたばたの大みそか。どんなに準備をしておいたつもりでも、年の瀬は必ず慌ただしくなる。やろうと思うこと、全部はぜったいにできないけれど、ここでできるだけのことをしておくかどうかで、新年の気持ちよさがずいぶん変わってくるので、がんばって動く。年明けに1週間くらい雪国へ行くので、冬服をたっぷり入れられるトランクを購入。ずっと買いそびれていた、石井ゆかりさんの「星読み」「星手帳」も購入。切れていたハーブティーやアロマ基材も買い足す。旅先でお世話になる人や、友達、家族などに配るためのハンドクリームとハーブティーづくり。年賀状書きはラストスパート。読みかけのまま、かばんに入れっぱなしだった向田邦子「夜中の薔薇」読了(女の人生の分かれ道、それから男のやさしさについて書かれたエッセイがぐっときた。この本は手元に置いて、この先何度も読み返そう)。柚子ジャムと柚子皮の砂糖煮は作る時間がなかったので、年明けに回す。丸ごとラップでくるみ、へたを下にして野菜室へ。こうしておくと、2カ月くらいもつんだそうです。NHKでやっていた。ようやく落ち着いたのは夕方。母の手料理を食べ、スパークリングワインを飲む。大して強いお酒ではないはずなのに、なぜか全員ものすごく酔っぱらう酒豪一家。しばし居間で仮眠。年が変わるころ、むくむくと起きだし、おそばを食べたり、お風呂に入ったり。テレビは紅白とか美空ひばりとか笑ってはいけない警察署とか。家族が4人揃うと、テレビのチャンネルもじっとしていない。うちは女が3人いるので、いっぺんにふたりくらいがわあわあしゃべっていることも珍しくない。けれど最後はしずかにゆく年くる年をみて、少しだけ荘厳な気持ちで年を越える。これはわたしが結婚して新しい家族をつくっても、譲れない習慣だな。布団に入ってCDTVを見つつ、妹と明け方までしゃべる。いつも通りの平凡なお正月。ひとつ年を越えるたび、平凡のありがたみが身にしみて泣きたいような気持ちになる。これが年をとるということか。