言の葉のいのり
町の1歳6ヶ月検診に出張して、絵本の読み聞かせ。言葉を獲得しはじめたばかりの人たちと一緒に「本を読む」のは、ほんとうにおもしろい。毎回あたらしい発見がある。4、5歳くらいの集まりだと、「興味はないけど、このひと一生けんめいやってるから付き合ってあげよう」という子も出てくるが、1歳6ヶ月の子たちにそういう同情心はない。おもしろければ目をまんまるに見ひらいて全身で聴くし、つまらなければ聞かない。(身体は正面を向いていなくても、耳をそばだてている、ということはしばしばある。そういう子は、ほかの遊びをしていても、興味のある場面になるとふり向いてこっちを見る)「これはうけるだろう」と思って選んだ本の反応がイマイチで、深く考えず何となく選んだ本に全員がかぶりつく、ということもある。さっきまで泣いていた子たちが、涙のあとをつけたまましーんと静まり返って絵本に集中する瞬間は、何度経験してもぞくぞくする。どうしてそうなるのか、大人には決してわからない。天気とか、体調とか、においとか、好みとか、色んな条件が重なってそうなるんだろうけれど、二度と再現することのできない、魔法のひとときだ。1歳6ヶ月の自分が何を見聞きしたか、大人になったわたしはもう思い出すことができないが、無意識の底にこういう時間が折り重なって、今の自分の基礎をかたちづくっているのだろうという気がする。たとえば、てんとうむしの絵を指さして笑った女の子は、「てんとうむし」という言葉の響きとそれがあらわすかたちを、今日初めて頭の中で結びつけたのかもしれない。彼女にとっての「てんとうむし」が生涯善きものであるよう、言葉のひとつずつを慈しんで手わたしたい、と思う。彼女が生きてゆく言葉の世界が、この先ずっと祝福されたものであるように。そんなことを考えながら、笑ったり泣いたり絵本を投げ飛ばしたりする小さい人たちを見ていると、何だか胸がいっぱいで泣きたいような気持ちになってくる。冬は空気が乾燥するせいか、どうも涙もろくなっていけませんな。