貴方の仮面を身に着けて

[窓の記憶（旧）] カテゴリの記事

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  窓の記憶(46)「肖像は微笑む」#16-1

  「肖像は微笑む」#16-1緑の窓の屋敷の整備も進み、竹生と朔也はそちらに移り住んだ。朔也はいまだ眠る時間が長く、記憶は戻らなかった。竹生は庭にも手を入れさせた。竹生と共に屋敷へやって来た桐原も広い庭を喜んだ。そして引退した盾であり元の部下だった伴野（ばんの）を呼び寄せ、庭をまかせる事にした。二人は語り合い、屋敷に似合った古い欧州の庭を手本にする事にした。竹生の父の部下だった桐原は”盾”を引退してからずっと竹生の身の回りの世話をして来た。それだけに竹生の好みは熟知していた。東屋も噴水も修復し、竹生の好む薔薇を何種類も植えさせた。故郷の村に咲く草花も上手に配置した。初めて屋敷に連れて来られた時、門前に停められた車から降りた朔也は緑の窓を見上げてつぶやいた。「私の・・青い火花・・似てる」竹生にはその意味する所が理解出来た。「そうだ、ここならお前も安心だ」「はい・・竹生さま」朔也は満足げに竹生を見上げ、甘えるように寄りかかった。その肩を大切そうに抱き、竹生は門をくぐった。百合枝の言葉を借りれば、進士はアンソニー・パーキンスに、桐原はダーク・ボガートに似ているそうである。少し古風で伝統の匂いのする男達であった。竹生が行方不明であった時は、桐原は佐原の村で失意の日々を送っていた。竹生が三峰の所にいると知らされると、彼は村での生活をすべて清算し竹生の許へ行った。竹生は戦い以外何も知らない人間であった。人でなくなってからもそうであった。竹生は桐原を当然の様に側に置いた。同じ兄弟であっても三峰は世間的な智恵に長けていた。「私は盾の長にはなれるが、村の長にはなれぬな。お前はどちらにもなれる」竹生は三峰にそう言っていた。そう言われると三峰は苦笑した。進士と桐原は立場が似ているだけにライバル心もあるが、互いに長所を認め合い高めあうだけの度量もあった。桐原は進士の小柄投げのような特技はないが、盾としては優秀な方であり、その年代にしては珍しく機械類にも強く、どんな武器でも扱えた。車の運転のみならず飛行機も操縦する事が出来た。料理の腕前は進士が上で、桐原は朔也の為に教えを乞う事もあった。二人は互いのあるじへの忠誠心の深さも感じあい、同業者としての苦労も分かり合える良き関係でもあった。百合枝も朱雀のマンションでの生活に徐々に馴染んで行った。多忙な朱雀はほとんど家にいない（昼間は寝室で全身の痛みに耐えているのだが、百合枝はそれを知らない）。居る時は百合枝の所に顔を見せる。もしくは朱雀の住居で一緒に時を過ごす。約束通り、朝夕は百合枝と柚木と進士の三人で食卓を囲んだ。柚木も百合枝に大分慣れ、色々と自分から進んで話す様になった。柚木が学校でいない昼間、進士との昼食を百合枝が作る事もあった。進士は百合枝と料理の交換教授をする楽しみが増えた事を喜んだ。百合枝は週に三回、柚木に英語と仏蘭西語を教えた。柚木は頭が良く上達も早かった。百合枝は柚木が絵を描いているのを知った。百合枝が柚木の部屋にあったスケッチブックに目を止めると、柚木は恥ずかしそうにそれを見せた。それは子供離れした絵だった。（この子の心には、これほどに激しい何かがあるのね・・）「朱雀おじさんには言わないで」「どうして、こんなに上手なのに」柚木は決まりが悪そうな顔をした。「僕の将来に絵は必要じゃないんだ。僕は”盾”になるのだから」「たとえそうでも、絵を描いても良いのではないの？」柚木は引き締まった顔をした。「僕には他にやる事が沢山あるんだ」百合枝はスケッチブックをめくっていった。「心を豊かにする事、多くを知る事は、どんな時にでも役に立つことだわ」「でも・・僕らは自分の為には生きられない」百合枝はふと柚木を哀れに思った。（こんな子供がこんな事を言わねばならないなんて）百合枝はスケッチブックを閉じると柚木に言った。「今度どこかへ絵を観に行きましょうよ。それも勉強よ、言葉を覚えるならその国の文化を知っていた方が良いから」柚木の顔がぱっと明るくなった。「うん」百合枝は柚木の子供らしい顔を初めて見た気がした。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/02/03

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  窓の記憶(45)「残されたカケラ」#15-3

  「残されたカケラ」#15-3雨はやんだものの、どんよりとしたままの灰色の空の下を、うちひしがれた村人達はとぼとぼと歩いていた。人々を佐原の屋敷の前で出迎えたのは鵲（かささぎ）だった。臥雲（がうん）長老は可愛い曾孫にすがりつき涙ながらに言った。「ワシらはすべてを失ってしまった・・」今年十三になった少年は澄んだまなざしで臥雲を見た。「何をおっしゃいます、ひいお爺様、”疾風（はやて）の臥雲”様」そのまなざしと同じく凛と澄み切った声が言った。「雲の切れ間から太陽が見えて来ましたよ。田畑には坂の家の者達が丹精した実りがあります。風の力はなくとも、我ら”盾”には鍛えあげた剣の技があるではありませんか」臥雲は目を見開いて鵲を見た。人々の視線が少年に注がれた。「我らはすべてを失ったわけではないのです。幸彦様と真彦様の夢の力は健在です」臥雲は呻いた。「何と、お二人はご無事か」一同に安堵の気配が広がった。「幸彦様が夢で語りかけて下さいました。皆が心を強く持つようにと。我が父三峰の風の力も健在です。父は只今こちらに向かっております」歓声が沸き起こった。人でない者になろうとも、三峰の温厚で優れた人柄は今でも人々の尊敬を失ってはいなかった。臥雲は曾孫に勇気付けられ、腰を伸ばし一同を振り返り、声を張り上げた。「皆の者、くよくよしても始まらん、持ち場へ帰れ！日々の営みに励め！いつか土地の許しを得ようぞ」霜月も声をあげた。「今一度、我らの務めを思い出すのだ。我らは誇り高き佐原の村の民！」和する声がそこかしこから上がった。村人達は先程までとは打って変わった力強い足取りでめいめいの居場所へ散って行った。臥雲は頼もしげに曾孫を見た。「鵲よ、お前は人々の希望の星を渡す掛け橋となると、幸彦様がその名をお与え下さった。その様に育ったな」鵲は控え目に首を振った。「ひいお爺様、それはひいお爺様や皆様のお蔭です。そして母の・・」「お前は母の許に行き、三峰が戻る事を知らせてやりなさい」鵲は笑顔になった。母の保名（やすな）が夫の三峰の帰りをいつも待ちわびているのを知っているからである。「はい、そう致します」鵲は一礼し、軽やかに雨上がりの道を駆けて行った。劉生と霜月が二人を温かく見ていた。霜月が言った。「鵲様は、ますますお父上に似て来られましたな。将来が楽しみですな」臥雲は胸を張った。「当たり前じゃ、ワシの血を引く子、風の家の長になる子じゃ」二人の家の長は長老の溺愛ぶりを微笑ましく思った。「劉生殿」霜月があらたまった声で語りかけた。「忍野様の事は諦めなさるな。私にはどうも亡くなられたとは信じがたい」臥雲も言った。「身体が見つからんとは妙だ。何か最後のご加護が忍野にはあったように思える」劉生は二人に頭を下げた。「お二人共ありがとうございます。私もまだどこかで忍野は生きていると思っております」霜月は劉生にいたわりをこめて言った。「どうか後始末は我らにまかせ、露の家のお屋敷へお戻り下さい。麻里子様がお待ちでしょうから」「はい、では、そうさせていただきます」劉生は二人に頭を下げると歩き始めた。その後姿を見送りながら、霜月は臥雲にささやいた。「すべての加護が消えたわけではないと、臥雲様もお気づきだったのでしょう」臥雲はにやりとした。「お前もな」「おそらく、劉生殿も」「どうやら老人はお目こぼしにあずかった様じゃ」「ですが、今は」「ああ、一度はやり直さねばならん。潮時かも知れぬな」「いつまでも同じではいられませぬな。変わるものは変わる」「それでも我らは、守れるものは守る」「佐原の当主様がご無事な限り、我らのお役目は終わりませぬぞ」「霜月よ」「はい」臥雲はじろりと劉生を見た「老いたりと言えども、この臥雲、今も”盾”じゃ」霜月は破顔した。「この霜月も、同じで御座います」二人は頷きあい、屋敷の門の中へ消えていった。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/02/01

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  窓の記憶(44)「残されたカケラ」#15-2

  「残されたカケラ」#15-2三峰は幸彦の部屋へ行った。「朱雀は参ります」「引き受けてくれたのか」「はい」幸彦は真彦の寝顔を優しく見守っていた。「三峰」「はい」「真彦も僕も朱雀を恨んではいないよ。それを朱雀が分かってくれるとうれしいな」「ええ、きっと。朱雀もお二人を大切に思っておりますから」「僕も朱雀とは良い友達になれるといいと思っているのだ」三峰は幸彦も又孤独の中にいたのだと思い知った。幸彦に痛みを与えない強い心を持つ者は少ない。「朱雀はまだ、幸彦様が酒にお強いのを知らないでしょう。落ち着いたらゆっくりと杯を交わしましょう」幸彦は三峰を見て微笑んだ。「ああ、いいね」「時に幸彦様、村の事でお話が」「何だい」「柚木がこちらに来ております」「え、柚木が？どういう事だい？」「和樹様の許に今はいるそうです。忍野が『奴等』に騙された村人達に殺されたと言ったとか」「ああ・・何て事だ」幸彦は額に手を当て、苦しげに目を閉じた。「この感情は・・そういう事か・・」「大丈夫ですか」三峰は幸彦の顔色が相変わらず良くないのが気になった。「少し、時間をいいかい？」「はい」幸彦は大きく息を吐き、そして吸った。腰掛けたまま背筋を伸ばし目を閉じた。柔らかい光と暖かさが幸彦から広がるのを、三峰は感じた。（夢の力だ、村を視ていらっしゃるのだ）「ああ・・」幸彦は辛そうに息をした。「三峰・・」「はい」「村は土地の加護を失った・・」「何ですって」思わず三峰は声を上げた。「柚木が消えた時に、一切の力が消えたようだ。”壁”は生きている。これは土地とは別の力だから。しかし”結界”も風の力も・・消えている」三峰の髪が舞い上がった。「私の力は健在です」「僕もだ」幸彦は言った。「おそらく、僕らは忍野を断罪しなかったからだろう」「今、”外”にいる村の者達はほとんど”力”はありません。こちらの体制には大きな変化はありません。後は私が直接見て来ましょう」「頼むよ、これ以上は僕も・・」幸彦は更に蒼褪めた顔で無理に笑おうとしたが、上手くいかなかった。三峰はそれに気がつき、幸彦を抱き上げた。「三峰」幸彦は驚いた。「真彦様とご一緒にお休みになられて下さい」三峰は二人を並べてベッドに寝かせると、美しい笑顔で幸彦を見た。「朱雀もそこまで来ております」布団の中から幸彦が呼んだ。「三峰」「はい」「鵲（かささぎ）は、やはりお前の子だね」突然出て来た息子の名前に、三峰は戸惑った。「鵲がどうかいたしましたか」「混乱した村の中で、真っ直ぐな強い光を感じた。今はそれが村を支えている。それは鵲の光だ」「そうですか」三峰はうれしそうな顔をした。「お前も早く行っておやり。そして皆を助けて・・」「はい、行って参ります」三峰は深く頭を下げ、部屋を出て行った。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/02/01

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  窓の記憶(43)「残されたカケラ」#15-1

  「残されたカケラ」#15-1三峰が部屋にたどり着くと、真彦は自分のベッドに寝かされていた。傍らに幸彦が座っていた。「真彦様は？」「大丈夫だ、眠らせた」三峰は自らも昼間の激痛で蒼褪めた顔をしていたが、幸彦の顔色の悪さが気になった。「幸彦様もご無理をなさらずに」「真彦よりは鈍い分、我慢出来るよ。この子は僕より影響を受けやすいから」「何があったのですか」「分からない。村で何かあったのだけは分かるが、今はそれ以上探れない。あまりに混乱した感情が・・痛みを・・」幸彦の身体がぐらりと傾いだ。「幸彦様」三峰が素早く支えた。「ありがとう、お前も昼間で辛いだろうに」「いえ、私の事はお気になさらずに」三峰は幸彦に微笑んでみせた。「失礼致します」白神（しらかみ）を先頭に数人の”盾”達が入って来た。三峰は彼等に言った。「お二人ともご無事だ」白神がほっとした顔をした。だがその顔もすぐに厳しい表情になり、三峰に訴えた。「村と連絡が取れません」幸彦が言った。「三峰、村へ戻って様子を見て来てくれ。お前が行けば村人も心強いだろう」「しかし、お二人を置いてはいけません」「朱雀を呼んでくれ」意外な幸彦の言葉に三峰は驚いた。「朱雀をですか？」「ああ、彼もお前に劣らず強いのだろう？」朱雀と幸彦はかつて同じ女性を愛し、『奴等』に心を奪われた彼女の命を朱雀が奪った。それはお役目の上の事だと、もちろん幸彦も納得している。しかし朱雀は幸彦に対して負い目を感じているらしいのを、幸彦は返って辛く思っていたのだ。「朱雀が引き受けてくれるならばだが」「分かりました」幸彦様は朱雀とのわだかまりをお気にされているのだと、三峰は思った。「朱雀にただちに連絡致します」三峰は白神を見た。「私の不在の間の指示をする。詰所で待機を」「はい」「須永、村へはお前も同行しろ」「はい」白神は振り返り、後ろに控えている部下に言った。「霧島と陣岳（じんがく）はここへ残り、お二人をお守りしろ」三峰はそっと幸彦の身体から手を放した。「それでは用意が出来次第、お知らせ致します」「ああ、頼むよ」幸彦は三峰を頼もしげに見た。かつては村の長であり盾の長であった三峰の、こういう時の手際の良さを幸彦は知っていた。「承知した」電話の向こうの朱雀の声は落ち着いていた。三峰の”絆”は朱雀の心の揺れを感じたが、それは微かなものだった。それよりも次に朱雀が言った事の方が三峰を驚かせた。「柚木が和樹の所にいる。忍野が『奴等』の計略で殺されたと言っているそうだ」「何だと」「お前が村に戻るなら確かめて来てくれ。柚木の件はなるべく・・」「ああ、内密にする」「柚木は戻りたくないと言っている」「向こうの事情が分かり次第、それも手を打とう」「磐境（いわさか）を先に送る。久遠と警備の打ち合わせをさせてくれ。私もすぐにそちらに向かう」「分かった。私もすぐにここを発つ」「三峰」「何だ」「私の寝る場所はあるのかね」「気づいていたか」「ああ」「適当な部屋を用意させておく。必要なものは後で進士に持って来させろ」「心遣い、感謝する」「お前に感謝されてもな」朱雀は良く通る声で笑った。三峰は電話を切った。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/29

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  窓の記憶(42)「失われた楽園」#14-3

  「失われた楽園」#14-3幾つもの叫び声が上がった。「結界が消えてゆく！」「風の力が失われていく！」ただ一人柚木を除いて、誰もが一切の力を失っていくのを感じていた。柚木の口から老人の如く低くかすれた声が流れ出した。「この村は・・加護を失った・・それが・・土地の意志」霜月が叫んだ。「何を言う、柚木」臥雲は霜月を制した。「いや、これは柚木ではない」高遠が柚木を見据え、問いかけた。「では異人はどうなるのです、この世界はどうなるのです」それは土地の意志への問いかけであった。再び柚木の口からかすれた声が流れ出した。「それは・・お前達の・・心配する事では・・なくなった」柚木の口を借りた何者かは言葉を続けた。「恩を忘れた者達よ、愚かな者達よ・・最後の清い魂は傷つき、村を追われた・・守護者ももはやいない」風が吹いた。柚木は風に乗り天空へ舞い上がった。「すべての力はここを去る・・」雨と共に強風が吹き荒れ、村人達は地に伏した。風がやみ、一同が顔を上げた時には、柚木の姿はなかった。忍野の身体も消えていた。和樹のマンションの呼び鈴が鳴った。ドアを開けると柚木が怯えた顔で一人ぽつんと立っていた。「柚木じゃないか」蒼白の顔色を見て、和樹は柚木を急いで部屋の中に入れた。柚木の身体はずぶ濡れで冷え切っていた。和樹は風呂場で柚木の濡れた服を脱がせ、毛布でくるんでやった。そしてリビングのソファに腰掛けさせた。「ちょっと待ってて」和樹は鍋でミルクをあたため、マグカップに入れて持って来た。柚木の隣に腰を下ろすと、柚木の手を支える様にしてカップを渡した。「飲めるかい？熱いから気をつけて」柚木はカップを受け取ると、目顔で礼をいい、それから少しずつすすった。身体が温まると気持ちも和らいだのか、柚木は初めて笑顔を見せた。「ありがとうございます、和樹様」「一人で来たのかい？」柚木は和樹を見て口を開いたが、唇を震わせただけで言葉が出て来なかった。柚木は混乱している様だった。和樹はいたわりをこめて言った。「ゆっくりでいいよ」やがて柚木はぽつりぽつりと話し始めた。村であった忍野に関する出来事、強風にさらわれ、気が付いたらこの近くにいた事を話した。和樹は柚木の隣で黙って和樹の話を聞いていた。柚木が話し終えると、和樹は苦々しげに言った。「すべては『奴等』の策略か」柚木は顔をこわばらせた。「でも、みんながお父さんを殺したんだ」柚木は激しい言葉を吐いた。「お父さんは病気だったのに、村を追い出されて、雨の中ですっかり身体が冷えて・・そして、そして僕が見つけた時には・・」柚木は両手で顔を覆って泣き出した。「僕は村に帰りたくない、お父さんを殺したみんなのいる村に」泣き続ける柚木を和樹は抱きしめた。かつて朱雀がしてくれたように。「しばらくここにいるといいよ。お父さんや幸彦さんや三峰さんと相談してみよう。柚木が”外”にいたいなら、そう出来るように」柚木は泣きながら頷いた。日曜の昼下がり、古本屋は定休日だった。真彦は床に寝転んで本を読んでいた。村にいた時は”当主様”として周囲の目が厳しかったから、こんな気楽な格好は出来なかった。お父さんと暮らす様になり、真彦は子供らしい楽しみを大分覚え、伸び伸びとして表情も明るくなった。そんな真彦の様子が幸彦や三峰を喜ばせた。キッチンで二人の昼食の後片付けをしていた幸彦は、真彦に声をかけた。「お前も珈琲を飲むかい？」「うん、ミルクとお砂糖入れてね」「はいはい」幸彦は真彦が自分に甘えてくれるのがうれしかった。やっと手に入れた親子の幸福な時間だった。突然、激しい頭痛に襲われた真彦は頭を押さえ、海老の様に身体を折り曲げた。真彦は苦悶の声をあげた。「お父さん！お父さん！」幸彦はすぐに側に駆け寄り、真彦を抱き起こした。「お父さん・・村が・・」「ああ、分かってる」異様な気配が二人の中に雪崩れ込んで来ていた。刺すような頭痛をこらえなから、幸彦は気配を断ち切る為、二人の周囲に夢の力で障壁を築いた。そして叫んだ。「三峰！三峰！」三峰は地下の寝所で昼の眠りについていた。白き守護者は幸彦の声に暗闇の中で目を開いた。三峰は強き風の力を感じた。寝所の扉がひとりでに開き、黒き影が入り込んで来た。三峰は素早く起き上がった。三峰はそれが誰であるかすぐに判別した。「しばらく場所を借りるぞ」白く長い髪をなびかせた者は、夜の物憂さを滲ませた声で言った。両腕に何かを抱えていた。三峰は理由を問う事はしなかった。「はい、ご自由にお使い下さい、兄さん」「そうさせてもらう」「私は幸彦様と真彦様の許へ参ります」竹生の方が三峰に尋ねた。「お前の風は健在か？」二人の白い髪が舞い上がった。「ええ、変りはありません」「ならば良い」村で何かあったのだと三峰は思った。真彦の悲鳴が三峰の鋭敏な耳に届いた。三峰は二階へ駆け上がった。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/28

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  窓の記憶(41)「失われた楽園」#14-2

  「失われた楽園」#14-2佐原の屋敷の大広間に人々が集まっていた。収拾がつかない事態に、高遠が村人を集めて話し合いをする事にしたのだ。高遠と村の長老格の者達が前に座し、一同は彼等と向かい合って坐っていた。麻里子は桐生と共に露の家の屋敷に残っていた。それは高遠の心遣いであった。高遠は母親の間宮が噂を信じていない事を確かめた上で、麻里子の側に着いてくれるように頼んだ。「こんな馬鹿げた事、早く終わらせておやり。それが篠牟（しのむ）様に対しても一番の供養になる」間宮は息子の高遠に言った。一体この噂がどこから出てどう広まったのか、高遠は一同に尋ねたが、誰もそれをはっきりと知る者はいなかった。ただ異様な憎悪だけが彼等の中に渦巻いていた。村の長の高遠と共に前に座していた長老の臥雲（がうん）、そして霧の家の長の霜月、露の家の長の劉生、彼等はその中に禍々しい何かを感じ取っていたが、それを口にはしなかった。柚木はそこに飛び込むと必死で叫んだ。「お父さんが死んじゃう！誰か、お父さんを助けて！ねえ、助けてよ！」だが誰も柚木の声に答えようとしなかった。女の声がした。「死ねばいいのよ」先日も真っ先にそう言った声だった。声の主は厨（くりや）の手伝いをしている姿子（しなこ）であった。ずんぐりとして色黒の地味な女だった。姿子は甲高い声で笑った。さすがにはっきりとそう言う姿子に批難の目を向ける者もあった。姿子はかつて忍野と良い仲だと言いふらしていた女だった。それが嘘である事は誰もが知っていた。「口を慎め、姿子」高遠は不快げに言った。姿子は立ち上がった。前かがみになり、上目使いで居並ぶ村の者達を見渡した。勝ち誇った目だった。そして叫んだ。「嘘よ、全部嘘。私と異人の嘘よ！忍野にそんな事が出来るわけないでしょ！」一同はざわめいた。異様な憎悪が一気に消えた。臥雲は真っ青になりつぶやいた。「何と・・我等は異人にまんまと」「皆、馬鹿で単純なんだから！平和ボケって本当ね」姿子は笑った。狂ったように笑いつづけた。広間の入り口で警備の任に着いていた三隅は叫んだ。「ああ！我等は忍野様に何と言う事を！」姿子は壁際にじりじりと後退した。「余所者なんか村に入れるから、だからこんな事になるのよ。私より余所者をえらんだから・・いい気味だわ！」姿子の口が裂けた。指先が鉤爪に折れ曲がった。笑い声は獣じみた唸りに変った。姿子は悪鬼に変貌したのだ。三隅が抜刀し宙を跳んだ。一刀で姿子は倒された。霜月は呻いた。「柚木だけは、子供の心だけは正しかったのだ」高遠は柚木に駆け寄った。「柚木、忍野はどこだ」高遠を筆頭に村の主だった者達は、どしゃぶりの雨の中を、柚木の案内で禁忌の山の麓の森へ急いだ。大木の下に、横向きに倒れた忍野の姿があった。忍野は息をしていなかった。うちひしがれた心はもう哀しむ事はなかった。柚木は忍野の傍らに膝を着き、忍野の顔についた泥を小さな手で拭った。「お父さん・・」村人達は柚木の全身から膨れ上がる怒りに押され、誰も側へ行けなかった。二人の周囲を風が取り巻いていた。小さな背中が震えていた。柚木の声がした。「僕は、僕は許さない！」柚木は振り返り、皆を睨んだ。「佐原の土地も皆を許さない、土地の力はもうお前達に味方しない！」篠つく雨の音よりも大きく、柚木の声が村人達の耳に響き渡った。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/27

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  窓の記憶(40)「失われた楽園」#14-1

  「失われた楽園」#14-1忍野は戻ったのではなかった。忍野は洞窟の外に出て、出入り口からやや離れた場所に座り込んだ。竹生の鋭敏な感覚はすぐにそれに気がついたが、あえて無視をしていた。夜の狩から戻っても声をかける事すらしなかった。それでも忍野は座り続けた。忍野の失踪に最初に気がついたのは老医師だった。冷静な老人は即座に高遠に知らせ、この事は厳重に秘された。高遠は忍野を心から慕う三隅に、忍野を密かに探させた。三隅は一人、村中を捜したが、忍野を見つける事は出来なかった。忍野の周囲には不思議な力が働いていた。それは土地の力だった。まるで忍野をかばうかの如くに。だから竹生以外の者は、忍野の存在を知る事が出来なかったのだ。露の家の遠見の術でも見る事は出来なかった。麻里子は周囲に監視されているのも同然な境遇になっていた。忍野の病室に行く事すら出来なかった。殺気だった人々が忍野の子である桐生にも憎悪を向ける事があった。麻里子は桐生の身を案じて、動く事が出来なかったのである。忍野がいなくなれば家督は継げる弟の蔵野は、劉生以外の一族を味方につけていた。わずかに末の弟の栗野だけが兄の忍野と麻里子を思いやり、うかつには動けぬ劉生と諮り、何かと気を配ってはいた。だがそれも蔵野の目を盗んでの事であった。秘していても、忍野のいない事に気がついた者がいた。柚木であった。村人達は異様な雰囲気の中にあったが、柚木に危害を加えようとする者はなかった。柚木は篠牟の子である。篠牟を慕う事から出た怒りという大義が、柚木の身を安全にしていた。柚木には母親の行動が不可解であった。直接は忍野の罪を口にはしないが、人前で否定もしない。細かい事情が子供の柚木には分からぬから、柚木は母に次第に怒りを覚え始めていた。忍んで行った病室に忍野はいなかった。忍野がそこを出てから五日経っていた。昨夜から激しい雨が降っていた。柚木の不安は高まった。（お父さん・・どこに行ったの？）真彦がいてくれたらと柚木は思った。真彦なら夢をたどって忍野の居場所を探ってくれるだろうと。真彦は”外”で父親の幸彦と暮らしているのだ。成人して晴れて正式の当主となる日まで。柚木は全身で風の声を聴いた。どこかに忍野の手掛かりはないかと。雨に邪魔はされても、柚木の必死の思いに”土地の力”は感応した。柚木は微かな気配を感じた。何かを土地が守っている。その気配を。（禁忌の山の方だ・・）雨の中、柚木は表に飛び出した。どしゃぶりの雨の中で身体が凍えた。それでも忍野は動かなかった。病の上に飲まず食わずで、もはや起きている事すら出来ぬ程に弱りきった身体を、忍野は泥に横たえた。（篠牟様をお守り出来なかった・・それが私の罪。麻里子様を幸せになどと思い上がったのも・・罪か。だとすれば、これがその罰なのか）誰かが忍野の身体をゆさぶった。「お父さん、お父さん！！」柚木だった。ずぶぬれの柚木は、必死で忍野の身体を抱き起こそうとしていた。「お父さんが悪い事をするわけないよ！」泣きながら柚木が言った。忍野はようやく出たか細い声で言った。「お前は・・私を信じてくれるのか・・」「当たり前じゃないか」うっすらと忍野は微笑んだ。「ありがとう・・お母さんと桐生を・・頼む・・」柚木の腕の中で忍野の身体が重くなった。「お父さん、お父さん！しっかりして！」柚木は渾身の力を篭めて、雨のしのげる大木の根元まで忍野を引きずっていった。「待ってて、誰か呼んで来るから」柚木は風を呼び、猛烈な速さで翔けて行った。（誰も来ないだろう・・お前だけが、私を信じてくれた。それだけでいい・・）忍野の目は、柚木の後姿を見る事も、もはや出来なかった。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/26

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  窓の記憶(39)「歪められた断罪」#13-3

  「歪められた断罪」#13-3忍野は一人歩いていた。禁忌の山の麓の洞窟へ行くつもりだった。病室を抜け出したままの身なりであったから、灰色の寝巻しか身にまとっていなかった。頬は病にやつれ、髪もとかしていなかったが、忍野は美しかった。行き先の洞窟には竹生がいるはずだった。幸彦と真彦が”外”で暮らす為に村を出てから、めったに人前に姿を見せなくなった竹生がそこにいる事は、三峰と忍野しか知らなかった。幸彦達が村を出る時に同行した三峰は、出立の間際に忍野に打ち明けた。「竹生様は、目があまり良くお見えにならないのだ」「え・・」「十年前のあの日、お前の毒を我が身に引き受けられたのだ」「そんな、私は何も知らずに」「そこまでして、竹生様がお助けになった命だ。大事にせよ」「私なぞに、そんな価値はありはしないのに。篠牟様ならいざ知らず」忍野は驚きに身を震わせた。三峰は忍野を見ながら言った。「誰が誰より価値がないなどと、言うな。竹生様にとってお前はそれ程に大切なのだ。おそらくお前を”外”へ連れて行こうとしたのも、本心からであろう」その時すでに忍野は、竹生に二度と顔を見せるなと申し渡された後であった。忍野は竹生の自分への思いが深い事に気がつき、竹生の前にひれ伏して言った。「竹生様のお心、私には勿体無さ過ぎます。これ以上はお許しを」洞窟の奥の部屋であった。褥に横になっていた竹生は起き上がり、ひれ伏す忍野の肩のあたりを見た。「そうか、お前もそうか」竹生はつぶやき、向こうを向いた。「私は人であった時から化物であった。誰もが私を恐れ、愛される事はなかった」「いえ、そんな事は」（それは竹生様があまりにも強く、あまりにも美しく、それ故に誰も近寄れなかっただけなのだ・・）忍野はそう思いながらも、それを口にする事が出来なかった。「もう二度と私の前には現れるな」竹生は向こうをむいたまま言った。その声からはいつもの優しさが消えていた。「私が孤独を知らないとでも言うのか？私でも孤独を感じる時はあるのだ」竹生様はいつかそうおっしゃった事があった。私は深く考えもせずに竹生様の好意に甘えていたのだ。身体をそこねてまで命がけで救っていただき、それにずっと気付かず。私には妻も子もいる。父との和解も、思えば竹生様のお蔭だ。竹生様は実の弟の三峰様とは遠く離れ、幸彦様は主従として心を許しあうとしても、孤独には変わりない。なのに私は竹生様を傷つけてしまった。忍野は歩きながら、あの時の竹生の哀しい顔を思い浮かべていた。村では無用の存在となり、ましてや石もて追われる身になった。毒が回り、この身が果てるまで、せめて竹生様のお側にお仕えしよう・・竹生様は村に大切な方だ。それが村の為に私の出来る最期の事になるやもしれぬ。忍野は洞窟にたどり着いた。昼の時間であった。竹生は洞窟の奥で激痛に苛まれる身を横たえていた。冷ややかな声がした。「二度と現れるなと言ったはずだ」忍野はその場にひれ伏した。「私をお側に」「何だと」竹生は起き上がった。「私を竹生様のお側にお置き下さい。竹生様の御目の代わりに」竹生はじろりと忍野を見た。「誰に聞いた」忍野は答えなかった。「行け、もう二度と来るな」忍野は顔を上げた。「竹生様」「後悔に鬱々としているお前など、側においてたまるか」「いえ、後悔など・・」「負い目がある故に私に仕えるというのか。私を愛したというならいざ知らず、決して私を愛する事がないと知りながら、どうしてそんな者を側に置けるというのだ」忍野は身を硬くした。「これ以上、私に惨めな思いを味わわせるな。すぐに立ち去れ」悲痛な怒りの声であった。竹生がここまで感情を顕わにしたのを、忍野が見たのは初めてであった。忍野は立ち上がり、深く頭を下げ、そして出て行った。「食い下がりもせずあっさりと出て行った。その程度の決意など、いらん」竹生は暗闇の中に再び身を横たえた。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/25

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  窓の記憶(38)「歪められた断罪」#13-2

  「歪められた断罪」#13-2村人達の異様な疑惑への盛り上がりは、遂に忍野に直接向けられた。『奴等』の毒に倒れた忍野は、医療の建物の一室で養生をしていた。忍野は庭続きの屋敷の大広間に呼び出された。そこには風の家の顔役始め、集まれるだけの村人がいた。その中には何も知らされずに呼ばれた麻里子の姿もあった。忍野は詰問された。もちろん否定したが、忍野が認めるまで、人々は忍野を責める事をやめそうになかった。忍野は人々の疑惑よりも、その場に麻里子がいた事に傷ついていた。事情を知らない忍野から見れば、麻里子も彼等と同じ目で自分を見ていると思われたからである。憎悪がそこには渦巻いていた。誰もがそれを忍野に向けていた。村の長の高遠が事態に気がつき、急ぎやって来た時には、いきり立つ人々は忍野を袋叩き同然の目に合わせていた。誰も忍野をかばう者はいなかった。忍野は抵抗しなかった。病の身とはいえ、盾の長である忍野が手を出せば、村人に怪我をさせてしまう事が解っていたからである。高遠と共に駆けつけた霜月が大声で一喝した。長老に次ぐ立場である霜月の叱声に、村人達はさすがに手を止めた。「お前達は何をしているか、解っているか」霜月は床に倒れ伏した忍野の前に立ちはだかり、一同を睨んだ。「これが、佐原の村人のする事か」集団の中から声がした。女の声だった。「死ねばいいのよ、そんな男は」それに続いて、男の声がした。「そうだ！死んで償え！」和する声が広がった。高遠はたまりかねて叫んだ。「真相は私の責任で調べる。これ以上、不確かな事で騒ぎ立てるな！」高遠は怒りに震えていた。醜い顔が広間に満ち溢れていた。それは高遠が長年戦って来た悪鬼達と良く似た顔だった。霜月も叫んだ。「当主様のお屋敷で、これ以上騒ぐ事は許さぬ。一刻も早く立ち去れ！」高遠は忍野を助け起こした。「馬鹿げた事だ・・気に病むな。すまん、私の目が行き届かずに」「いえ、高遠様のせいではありません」忍野は麻里子がそこにいない事が答えだと感じていた。彼等と一緒に去っていった事が。それは皆が手を引っ張り背を押して連れて行ったとしても。「私は篠牟様をお守り出来なかった・・それが、私の罪です」霜月は老いたとはいえ、まだまだ力強い大きな手で、忍野の背を励ますようにさすった。「篠牟様をお救い出来なかったのは、我ら皆の責任だ。お前だけの罪ではない」忍野は感謝する様に高遠と霜月に頭を下げた。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/24

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  窓の記憶(37)「歪められた断罪」#13-1

  「歪められた断罪」#13-1柚木の涙は止まらなかった。様々な想いが流れる夜の中で、柚木の想いも又過去へ流れて行った。（お父さん、どうして・・）五年前の自分、十歳だった柚木。村を出たのは雨の日だった。どしゃぶりの雨の中、柚木は大人達の先に立ち、傘も差さずに山道を走っていた。大木の下にたどり着いた時、倒れ伏した忍野はすでに息をしていなかった。忍野（おしの）のうちひしがれた心はもう哀しむ事はなくなっていた。泥だらけの薄い寝巻は濡れそぼち、黒ずんだ帯がかろうじて痩せた身体に着物を留めていた。柚木は忍野の傍らに膝を着き、忍野の顔についた泥を小さな手で拭った。「お父さん・・」村人は、柚木の全身から膨れ上がる怒りに押され、誰も側へ行けなかった。二人の周囲を風が取り巻いていた。小さな背中が震えていた。柚木の声がした。「僕は、僕は許さない」柚木は振り返り、村人達を睨みつけた。柚木の叫びが皆の耳に響き渡った。「佐原の土地もみんなを許さない、土地の力はもうこの村に味方しない！」「篠牟（しのむ）殺し」の悪い噂は、いつからともなく村人の間でささやかれる様になった。最初は誰もが笑い飛ばした。だが噂は執拗に繰り返し蒸し返され、やがてささやきは段々と大きくなり、村の長の高遠（たかとお）の耳にまで届くようになった。不快な内容に高遠は眉をひそめたが、部下の滋野（しげの）の言うには、かなりに広まっているとの事であった。「風の家では、真相を忍野様ご本人に聞きたいと言う動きもある様ですが」「顔役の方達にも困りものだな」高遠は、風の家の長である自分がないがしろにされている事より、彼等の権力への固執の方が不愉快だった。何かと自分達の存在を知らしめたい行動ばかりが先走る。先の風の家の若き長であった篠牟を殺した犯人は、異人・鞍人（くらうど）で間違いない。だがそれを見ていた者のうち、朱雀と三峰は村におらず、須永は父親の幸彦様としばらく暮らす為に”外”へ出た真彦様に同行しており、残る三隅は忍野の直接の部下であったから、何を言っても忍野の擁護にしか取られなかった。「露の家の劉生（りゅうせい）様もお心を痛めておられような」「はい、麻里子様もお悩みのご様子です。何せ、渦中の人となってしまわれましたから」篠牟の婚約者の麻里子に横恋慕していた忍野が戦いに乗じて篠牟を殺した。その証拠に、その後忍野は麻里子と結婚し、篠牟の後の盾の長となった・・それが噂の主なる内容である。篠牟の死によって麻里子と盾の長の地位を手に入れた忍野。そう言われればそう見えるだろう。だが高遠は信じなかった。忍野を盾の長にしたのは自分であるし、彼の性格も篠牟への忠誠も良く知っていたからである。しかし平和な閉鎖された村では、人々の退屈に倦んだ心にこのような噂は絶好の餌になったのかもしれない。（悪意が感じられる・・何だ、これは）劉生の鍛えられた感覚のどこかで、村に広がる違和感が感じられた。忍野の悪い噂もそれが原因なのだろうか。劉生は無論それを信じてはいない。だが露の家の長としてうかつな行動は出来ず、静観しているしかなかった。麻里子も表面上は気にせぬ素振りをしているが、佐原の屋敷の厨（くりや）の手伝いの際には、何かと言われる事もあるのだろう。最近は表情が暗い時が多かった。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/23

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  窓の記憶(36)「堕ちた愛」#12-3

  「堕ちた愛」#12-3それはどちらが先に望んだのか、すでに二人には解らなかった。解っているのは今は二人共望んでいるという事だった。掛布が嵐の海の様に波打ち乱れた上で、二人は抱き合っていた。「ねえ、灯を消して・・」朱雀は枕元のスタンドに手を伸ばした。朱雀の目が闇の中でも良く見える事を、朱雀は百合枝には言わなかった。朱雀の心の端に触れていくものがあった。（三峰、笑うなよ）”絆”を結んだ以上、二人は離れていてもお互い感情の流れをどこかで受け取っている。久しぶりの朱雀の男の血潮のたぎりを、三峰は感じているはずだった。こういう時は控え目に、見て見ぬ振りをする礼儀正しい三峰である事も朱雀は知っていた。夜が朱雀と百合枝を包み込んだ。二人は夜の底まで深く沈み込んで行った。ある事に気がついた時、もはや朱雀は止める事の出来ない状況に陥っていた。そのまま、情熱のままに激しく愛の行為を遂げてしまった。朱雀の背中に細い指先が爪を立てた。その痛みすら朱雀には喜びに感じられた。愛欲の嵐が過ぎ去り、汗に濡れ、互いの荒い息を聞きながら、二人はぴったりと重なり合っていた。やがて大きく息を吐き、朱雀が身体をずらした時、朱雀は苦痛に眉を寄せ、目を閉じ耐えている百合枝の顔を見た。苦痛ばかりでない事は、わずかに緩んだ口元に漂う気配が示していた。白い太股やシーツに、赤く百合枝の証が残されていた。朱雀は百合枝を抱きしめ、かすれた声でささやいた。「キミは・・」百合枝は朱雀の厚い胸に顔を隠した。朱雀は言いかけた言葉を飲み込み、百合枝の豊かな黒髪に顔を埋めた。朱雀は百合枝を再び抱きしめた。優しく髪を撫で、額にこめかみにくちづけを繰り返した。朱雀は「すまない」とは言わなかった。謝る位であれば、抱こうとは思わない。女性の噂が多いと思われている朱雀だが、一夜限りの慰めに女性と関係を持つ事はなかったのだ。愛の証を朱雀の舌が丁寧に舐め取った。それは朱雀の命になった。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/20

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  窓の記憶(35)「堕ちた愛」#12-2

  「堕ちた愛」#12-2「これを飲んだら、ゆっくり風呂でも使いたまえ」「ええ」朱雀は百合枝の手を放した。「風呂に湯を入れて来よう」コックをひねると、バスタブに勢い良く湯がほとばしった。朱雀はバスルームの隣のクローゼットからノースリーブのネグリジェと対になったガウンを取り出した。薄い薔薇色の絹にレースを使った豪奢な物であった。それを手に百合枝の元に戻った。「せっかく用意したのだ、着て欲しいものだな」「素敵だわ」百合枝はそれを受け取り、胸に抱きしめ、ためらいがちに聞いた。「もう少し居て下さる？」「キミが落ち着いてベッドに入るまで、居るから安心していい」百合枝は笑顔になり、バスルームの方へ歩いて行った。朱雀は居間に移り、ソファに横になった。百合枝が怯えるのは当たり前だ。いきなり命を狙われ、多くの事を知らされ、それで平静でいられるわけがない。身も心もかなり疲れているはずだ。朱雀自身も疲れを感じていた。「私達は自分の為には生きられない」朱雀は再びつぶやいた。一度は自分の為に生きようとした。すべてを捨て、舞矢（まいや）との愛の為に。しかし運命は二人に味方しなかった。朱雀は舞矢の命と引き換えに弟の篠牟（しのむ）を失い、遂には狂った舞矢を自らの手にかけた。『奴等』と『火消し』の戦い、この世界を守る戦いの中で。そして朱雀自身も人ではなくなった。人の血を糧に生きる者となった。（こんな私でも、まだ人を愛して良いものか）朱雀は竹生の気配を感じた。最も苛酷な運命を背負った者も、今は安らぎを求めている。（私にも住まいが必要だ・・）竹生の言葉は、単なる建物としての家を意味していたのでないと、朱雀には理解出来た。数年後には大きな戦いが来るだろう。『奴等』が向こうの世界から到達する時がやって来る。この世の戦争とは別の戦い、世の中のあらゆる争いとは別の闘争。その中で、ひとつの駒に過ぎないと分かっていても、繰り返される宿命の中で戦い続ける。『火消し』の仲間であっても、朱雀は前世をほとんど覚えていなかった。それでも『奴等』と戦えば、それが何度も繰り返された事だと、心のどこかが、身体のどこかが覚えているのだ。「私達は自分の為には生きられない」それは”盾”が当主を守る事に生涯を捧げる為の言葉である。守る事、守りきる事、それが盾の誇りであった。その生涯をかけて守るべき人を、朱雀は人生の最初で失ってしまった。その時から朱雀はずっと己をかけて守るべきものを求め続けて来た。空虚な人生から目をそむける為に、奇抜な行動や風変わりな言動を隠れ蓑に生きて来た。天井を見上げる朱雀の顔は厳しく決意に満ちていた。（私は守る、今度こそ）「こちらにいらしたのね」ソファに横たわったまま、朱雀は声の方を見た。薔薇色のガウンを纏った百合枝が立っていた。朱雀は悩む心を咄嗟に隠し”朱雀の顔”をして言った。「似合うね、我ながらセンスの良さに感心するよ」百合枝は笑った。荒れ果てた庭で聞いたよりも明るい笑いだと朱雀は思った。百合枝は落ち着いた様だと朱雀は見て取り起き上がった。「さて、良い子は寝る時間だ」朱雀は百合枝の背を押すようにして寝室へ連れて行った。「明日は幾らでも寝坊したまえ。私が戻る前でも、帰りたくなったら進士に言えばいい」百合枝は再び表情を堅くしていた。胸の前で手を握り合わせ、百合枝は寝台の側に立ち尽くしていた。それは無意識の罠であったのかも知れない。突然、窓が大きな音を立てた。百合枝は朱雀にしがみついた。それがただの強風である事が朱雀には判っていた。朱雀は百合枝を軽く抱き安心させようと優しい声で言った。「どうやら、天気が下り坂の様だ」百合枝は震えていた。「怖いかね」朱雀の腕の中で百合枝は頷いた。朱雀はおどけて言った。「子守唄が必要かね、それともキミが寝付くまで添い寝でもするかね」百合枝は朱雀の腕の中で甘えるように身をよじっただけで答えなかった。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/18

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  窓の記憶(34)「堕ちた愛」#12-1

  「堕ちた愛」#12-1朱雀は書斎の椅子に持たれかかり、大きく伸びをした。「さて、今日はどこに寝るかな。竹生様に寝室をお貸ししてしまった」朱雀の寝室は穏やかな気配に満ちていた。竹生の悦ばしげな様子が伝わって来る。朱雀の”人でない”感覚がそれを感じ取った。(あの方も長く孤独であったのか・・)「私達は自分の為には生きられない」朱雀は”盾”に伝わる戒めの言葉をつぶやいた。佐原の家の当主であった幸彦の最強の盾として、人としての幸せも、人である事すら捨てざるを得なかった竹生。長き戦いの果てに、つかの間の平穏を望んで何が悪かろう。朱雀は竹生の心中を思いやった。軽く扉を叩く音がした。「入れ」進士が入って来て頭を下げた。「百合枝様が不安がっておられる様です」「そうか」「温かいお茶をご所望されましたが、本当に必要なものはこちらにあるかと」朱雀は片方の眉を上げ、進士のいつも平静な顔を見た。朱雀の住居に続く扉を叩く音がした。百合枝が扉を開けると、ポットと茶器の載った銀の盆を片手で頭上に差し上げた朱雀が立っていた。濃紺の厚手のナイトガウンを着ている。その下は淡いグリーンのパジャマである。素足にスリッパを履いている。「ルームサービスをお持ち致しました」百合枝は驚いた。朱雀が来るとは思っていなかったのである。百合枝はワンピースのままだった。入り口に立ち尽くす百合枝に、朱雀は優しく尋ねた。「入れてもらえるかね？」百合枝は入り口から身体をどけた。中へ入った朱雀は居間のテーブルの上に盆を置いた。キッチンから百合枝の声がした。「こちらに持って来て下さらない？」「いいとも」そこは小さなテーブルと椅子のあるこじんまりした空間だった。紫がかった青で野生の苺を描いたテーブルクロスの上に朱雀は盆を置いた。百合枝はすがる様な目で朱雀を見た。朱雀は何も言わずその目を暖かい目で見返した。「ここは広すぎるわ」百合枝は両腕で身体を抱えていた。「キミの屋敷の方が広いだろう」「私の部屋はそんなに広くない。それに・・」「それに？」「ずっと暮らして来た家だもの」朱雀はポットを手にした。「座りたまえ。カモミールのお茶だ、夜にはこれが良い」薄手の白いティーカップに朱雀はお茶を注ぎ、席に着いた百合枝の前に置いた。「蜂蜜を少しどうかね？進士が最近気に入っているプロヴァンスの物だ」百合枝が頷いたので、朱雀は硝子の入れ物から銀のスプーンですくい、百合枝のカップに入れてやった。百合枝が言った。「貴方もいかが？」「では、いただこうか」朱雀は百合枝の正面に腰を下ろした。百合枝がポットに手をかけると、朱雀がその手を押さえた。「今日のキミは、我が家のお客様だ」朱雀は自分でカップを満たした。百合枝がつぶやいた。「風が・・」「風？」「窓が激しく鳴って、外に人影が見えた気がしたの。私、怖くなって・・」朱雀は片手を伸ばし、百合枝の手を握った。小さな手は冷たかった。そして朱雀の手は温かかった。百合枝は怯えた顔を少し和らげた。「大丈夫だ、ここは安全だ」おそらく狩に出かけた三峰だろうと朱雀は思った。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/17

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  窓の記憶(33)「やがて来る朝」#11-3

  「やがて来る朝」#11-3勉強机に向かっていた柚木は風を感じた。それは覚えのある風だった。強大な風の力・・朱雀のものではない。柚木はその感覚を意識の隅へ追いやった。佐原の村を思い出すものには、まだ近付きたくない気持ちが柚木の中であった。そして更にもっと懐かしい気配を柚木は感じた。それは一瞬であった。柚木は気のせいだと思った。それは失ってしまったはずのものであるから。柚木は教科書とノートを閉じ、ベッドに潜り込んだ。”外”に出るまで柚木は布団で寝ていた。寂しい時は、母と弟の桐生の部屋まで布団を引っ張って行き、そこで眠る事もあった。父が家にいる時は父の部屋へ行く事もあった。父は笑って自分の布団を少し脇に寄せ、柚木の布団を並べて敷いてくれた。血の繋がらない父であっても、柚木には本当の父親以上の人だった。強く優しく美しい人だった。何故、父はあの様な形で死なねばならなかったのだろう。愛し信じて来た者達に裏切られ、失意の中で惨めに。思い出すと、暗い中で見開いた柚木の目から涙があふれ、目尻から耳に伝わり流れ込んだ。「お父さん・・」暗闇に笑顔の面影が浮かんだ。切れ長の目に特徴のある顔。幼い弟は父親似だと大人達に言われていた。今はもっと似ているかもしれない。久しぶりに思い出した故郷の家族・・だが柚木は母の顔は思い出すまいとした。父を裏切った母の事を。母の記憶を打ち消す為に、柚木はもう一度そっと呼んでみた。「お父さん・・」竹生がその声を聴き、複雑な顔をしたのを、柚木は知るよしもなかった。”壁”の向こうで楽しげに踊る者がいた。灰色の部屋の壁に、鼻歌を歌いながら踊るタキシード姿の影が映っていた。「愛は芽生え、愛の花が咲く。愛は育ってから、それを壊す方が楽しい」赤い髪の異人は上機嫌で歌った。「私達は待てばいい、やがて来る愛の夜明けを・・」床に座り込んだ黒い男がうんざりした様に言った。「いつまで待てば良いのだ？俺は気が短いんだ。もう充分待っただろう？」赤い髪の異人・鞍人（くらうど）は黒い男を見た。その顔は不機嫌に変わっていた。「やる事は他にもあるだろう。お前は馬鹿なのか？建角（たけつぬ）」建角は白い歯を剥き出して凄んだ。「馬鹿だと！口に気をつけろ、鞍人」鞍人は動じなかった。「あの方達がおいでになるまで、掃除はいくらでも必要だ。忌々しい”人でない者”も狩をしているが、私達も狩をしよう」建角は馬鹿にされた事もたちまち忘れ、笑顔になって身を乗り出した。「面白そうだな」鞍人は再び上機嫌の顔になった。「美味そうな奴を見つけたら、喰えばいい」「いいのか、騒ぎになっても」「都会なら、そうそうは見つからないさ」「だったら何で今までそうしなかった」「あの方達は騒ぎを起こすのはお嫌いだった。だが今はいない」「俺は面倒は嫌いだぞ」鞍人はにんまりと笑った。「だから、こっそりとだ」「見つかったら、罰を受けないか？」鞍人は建角に言い聞かせる様に、ゆっくりと繰り返した。「だから、こっそりとだ」建角もにんまりと笑った。「美味そうなのが見つかるといいな」鞍人は答えず、壁に映る影をパートナーに見立て、再び楽しげに歌い踊り始めた。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/16

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  窓の記憶(32)「やがて来る朝」#11-2

  「やがて来る朝」#11-2「とにかく今日は泊まりたまえ。キミも疲れただろう・・色々あり過ぎた」「そうね、貴方も」百合枝は戦いの後の朱雀の顔を思い出した。そして竹生の前での緊張した姿も。「キミがここを気に入ってくれるとうれしいが」「まだ良く分からない事が多くて」「それも説明する。その時間も必要だ」百合枝は知りたい事が沢山あった。朱雀の事も含めて。「明日もゆっくりしていってくれるのだろう？私が戻るまで」朱雀は居間の壁に取り付けられたインターフォンを顎で示した。「あれで呼べば進士が出る。用事は何でも言いつけたまえ」「ええ、ありがとう」百合枝はここで暮らす気持ちにほぼなりかけていた。朱雀もそう感じていた。「あの・・」「何だね」「竹生様に、私の部屋以外は、すぐに屋敷に手を加えても良いと・・」朱雀は竹生にそれが聴こえただろうと思った。竹生の耳は人の何倍も良いのだ。朱雀も常人を遥かに超えた五感を持つが、竹生のそれは朱雀よりも三峰よりも数段上なのだ。だが朱雀は言った。「分かった、お伝えしよう」朱雀は自室の書斎に戻り、千条に連絡を入れた。朱雀の携帯電話には彼等とだけ通じる特殊な仕掛けがあるのだ。「私の不在の時は、お前か鹿沼の組が彼女の護衛に付け」「承知致しました」「護衛の責任者は千条、お前とする。竹生様にも気に入られた方だ、心して当たれよ」「はい」無線機を切った後、千条は大げさな身振りで肩をすくめ、運転席の鹿沼を見た。「竹生様が女性に興味を？えらい事だな」「社長のいつもの冗談かも知れんぞ」「いくら社長でも、竹生様を冗談のネタには出来ないだろう」「まあ、そうだな」「という事は、大変なお役目についてしまったという事だな」鹿沼は車のエンジンを掛けた。「どんなお役目でも、お役目はお役目だ」千条は片手で後ろの部下の車に合図を送った。「美人だと張り合いがあるな」「お前は惚れっぽいからな。社長と、もしかしたら竹生様がライバルかも知れんぞ」千条は苦笑いした。黒い長髪を後ろに束ねた千条も人並以上には良い男ではあるが、朱雀の水際立った男ぶりや竹生の美貌には及ぶべくもない。「最初から勝ち目がないな」「そういう事だ」警備部の車は、朱雀のマンションの前から去って行った。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/15

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  窓の記憶(31)「やがて来る朝」#11-1

  「やがて来る朝」#11-1朱雀の住まいの玄関からマンションの廊下へ出た。片側に扉が並び、突き当たりにエレベータが見える。出てすぐの扉を指し、朱雀は言った。「ここが柚木の部屋だ」朱雀はその隣の部屋の扉に触れた。特殊なロックがあるらしい。何かを操作すると扉が開いた。「百合枝、ここがキミの為に用意した部屋だ」中へ入ると灯が点いた。暖かいクリーム色の廊下があった。突き当たりの濃茶の木製のドアを開けるとリビングだった。金茶色のソファと同じ生地の肘掛け椅子とオットマンがあり、テーブルには細かい花模様のクロスがかけられていた。カーテンも花模様で、それらは英国の田舎を思わせる、派手ではないが愛らしい草花であった。朱雀は百合枝に室内を案内した。「キッチンはここ、ここがバスルーム、こちらが寝室だ」ベッドにも同じような花模様のカバーが掛けられていた。テーブルも箪笥もどっしりとした古い欧州の風格を漂わせたものであった。「急いで用意させたのだが、気に入ってくれたかね」「素敵だわ・・私の趣味がどうして解ったのかしら」「あの家を参考に選んでみたのだ」朱雀を見上げて、百合枝は微笑んだ。「私、着替えだけあれば良いみたいね」「少しなら、それも用意してある。サイズはたぶん大丈夫なはずだ」朱雀はにやりと笑い百合枝を見た。百合枝は朱雀を軽く睨む真似をした。百合枝は部屋を見渡した。寝室だけでも百合枝の部屋以上の広さがある。「広すぎるわ。柚木君の家庭教師には分不相応です」「言ったはずだ。私はキミを使用人にするつもりはないと」「でも・・何故こんなに親切にして下さるの？」朱雀は百合枝の肩に手を置き、顔を覗き込んだ。「キミは狙われている。先程も襲われたのを忘れてはいないだろう」「ええ」「私もずっとはキミのそばにはいられない。ここなら安全だ」「この力のせい？」「そうだ、しばらく外出は昼間だけにしたまえ。『奴等』はあまり昼には出て来ない。私のいない時は、私の部下にキミを守らせる」百合枝は笑った。「急に重要人物になった気分だわ」朱雀は笑わなかった。「キミは我らに大切な人なのだ」朱雀は寝室を出て、居間の壁にある扉を開けた。そこには廊下があった。「ここから私の住まいに繋がっている。外に出なくても行き来が出来る。柚木の部屋とも」「じゃあ、表に出なくても良かったのね」「キミに部屋の位置を教えたかったのでね」朱雀は百合枝の耳元でささやいた。「普段は鍵を閉めておきたまえ。私がキミの寝室に忍び込まないように」百合枝がささやき返した。「貴方にいらして欲しい時は？」「私は合鍵を持っている」百合枝は朱雀の厚い胸を軽く叩いた。朱雀は笑った。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/14

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  窓の記憶(30)「魂に刻まれし名は」#10-3

  「魂に刻まれし名は」#10-3三峰は寝台の枕元に座った竹生の横に立ち、朔也を見下ろした。「良かったですね、兄さん」「元には戻らぬかも知れぬな」「それでも、兄さんは良いのでしょう？」「これが、我と共に生きてさえくれれば」「我らと同じものになって？」「分からぬ・・それは、これが自分の意志を取り戻し、決める事が出来る様になってからだ」「もし、ずっと人形の如きままであったら・・」三峰が言いかけた時、朔也が目を開いて言った。「私は・・竹生様の人形・・なのでしょうか」竹生は朔也の頬を指先で触れた。「ああ、今はそうかも知れぬ」「人形は飽きられると捨てられる・・ですね」竹生はふっと笑った。「お前は、妙な事だけ覚えているのだな」「そうですか・・私は人形・・」朔也は再び目を閉じた。「三峰」「はい」「百合枝は、我らの母に似ている」三峰は合点がいった。女に無関心な兄でも母親は特別であったのだ。「そうですね、目のあたりが少し。優しい物言いや仕草も」「私の目を癒す時、百合枝が微笑んだ。あの笑顔が母に似ていた」竹生は何かを思う顔をしていた。三峰はそれを美しいと思った。見慣れたはずであるのに、三峰は兄を見るたびに心に泡立つ思いを感ずるのである。弟の自分ですらそうであるのだから、竹生と出会った者が我を忘れて見入るのも無理はないと思うのであった。「お前は妻と子を持ち、家庭や家族というものを、少しは知っているであろう。父と母を失ってから、私はいつも一人であった。お前も私も”盾”ゆえに肉親の絆は断ち切られていた」三峰は黙って聞いていた。兄がこんな話をするのは初めてであった。「私はいつもお役目の為に生きて来た。今、幸彦様の守護者の立場をお前に譲り、”盾”の責務からも解放された。そして・・私は”人でない者”、長き時が先にある」竹生は安らかな寝息を立てている朔也を見た。めったに見せない竹生の優しい顔が三峰の胸を切なくした。「私はこれに巡り合った。真っ直ぐな心と優しさと脆さを持ち、そして誰よりも強い盾だった。誰もが恐れる私にさえ、これはひたすらに誠意を尽くそうとした」三峰は朔也の過去を知っていた。苦い思い出がそこにあった。「つまらぬ私の意地が、これをこんなにしてしまった。もしこれが目覚めたら、今度は心穏やかに暮らしてみたいと思ったのだ」「それで、あの家を」竹生は三峰に微笑んだ。「もう良いであろう？私も家族を持っても。真似事でも良いのだ、呪われた我らは血の匂いからは離れられぬ。だが一時でもそれを忘れる場所を、持っても良いであろう？」三峰は竹生の孤独を感じた。三峰は兄を抱き締めた。「ええ、良いですとも。朔也の身体もじきに良くなるでしょう。あの家に越したら、私も尋ねて行っても良いですよね」「当たり前だ、お前は私のたった一人の弟ではないか」竹生も三峰を抱き締めた。「私は狩に行って参ります」竹生が身体を離すと、三峰は天を仰いだ。天井の上に広がる夜空の気配を”人でない”三峰の鋭敏な感覚は感じる事が出来た。「今宵は月も冴えている。貴方の分まで狩をして来ましょう」「ああ、すまなぬな、弟よ」三峰は寝台の横のカーテンを開いた。窓を開けると冷えた夜気が流れ込んで来た。「では、行って参ります」三峰は軽く床を蹴ると、ふわりと窓枠に飛び乗った。そして竹生と目を合わせ、微笑むと、蒼く月の輝く空を風と共に翔けて行った。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/13

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  窓の記憶(29)「魂に刻まれし名は」#10-2

  「魂に刻まれし名は」#10-2竹生は他人に興味を持つ事はほとんどない。わずかに実弟の三峰と同じ風の家の一族である朱雀にだけには親しみを見せる事があった。幸彦の”盾”の長であった時も、幸彦以外の人間には一切無関心であった。美しい竹生に熱いまなざしを送る者も多かったが、竹生はそれらにも無頓着であった。特に竹生は女には興味がなかった。女の名前を覚える事さえなかった。しかし百合枝を抱き締め、その名を呼んだ。「前代未聞」と三峰が言うのも無理はなかった。「朔也の身体も、まだお前の手が必要の様だ。百合枝」「百合枝・・さん？」朔也がつぶやいた。「お前は不服か？」竹生の言葉に朔也は微かに首を振った。「優しい・・暖かい・・」「朔也も百合枝を気に入っているのだな」竹生は朱雀を見た。「お前も一緒に住めばいい」朱雀は苦笑した。「おたわむれも程々に、竹生様」竹生はそれには答えなかった。三峰の優しい声がした。「夜も更けてしまいましたね。竹生様も百合枝様も、今夜はこちらへお泊りになった方がよろしいでしょう」三峰は寝台の側に立つ朱雀の隣まで進んだ。「いいだろう、朱雀」朱雀は頷いた。「竹生様、今宵はこの部屋をお使い下さい。必要なものがあれば、遠慮なくおっしゃって下さい」竹生は朔也から目を離さずに言った。「ああ、世話になる。さっそくだが、これの着替えを用意して欲しい」「承知致しました」朱雀は部屋の片隅の箪笥を開け、オフホワイトの厚手のパジャマを取り出した。「今はこれを」朱雀はそれを竹生の脇のテーブルに置いた。「すまない、借りるぞ」竹生は朔也の腕にそっと触れた。「そろそろ百合枝を離してやれ」朔也の腕から力が抜け、だらんと身体の両側に垂れた。百合枝は起き上がった。朔也はすがりつくような目で百合枝を見ていた。「貴方は・・私を怖い目で見ない？憎しみの目で見ない？」百合枝は戸惑った。何か朔也の過去に係わる事であろうか。「ええ、そんな事はないわ」百合枝は朔也に微笑んだ。朔也は安心した様に目を閉じた。朱雀が三峰にささやいた。「朔也の事は、柚木にはまだ・・」「ああ、知らせぬ方が良いな」三峰は頷いた。朱雀は百合枝を助け起こしながら言った。「キミも黙っていてくれ、百合枝。事情は後で説明する」この朔也という青年は柚木とも関係があるらしい。百合枝は彼等の故郷の村には、秘密が多そうだと思った。「百合枝、キミの為に用意した部屋へ行こう」朱雀が百合枝を促した。「それでは、失礼致します」竹生に頭を下げ二人は出て行った。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/12

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  窓の記憶(28)「魂に刻まれし名は」#10-1

  「魂に刻まれし名は」#10-1どの位の時が経ったであろうか。不意に青年が大きく呼吸をした。びくりと身体が波打ち、閉じた睫毛の先が震えた。青年はゆっくりと目を開いた。竹生がその顔を覗き込んだ。青年の唇からかすれた声がした。「こ・・こ・・は・・？」竹生が言った。「朱雀の家だ」「す・・ざく・・？誰・・？」青年の顔が歪んだ。「わたし・・は誰？・・思い出せない」戸惑いと恐怖が青年を支配しているようだった。青年は起き上がろうとした。だが身体がうまく動かない様であった。百合枝がその身体の上に崩れるように突っ伏した。朱雀は意識を失った百合枝を抱き上げると、部屋の隅のソファに横たえた。青年は怯えた目で百合枝を見ていた。竹生は青年の手を握り、髪を撫でた。青年は愛しげに自分を見ている月の輝きと安らぎを湛えた美貌を見上げた。その美は混乱した心にも感動を与えた。青年は恍惚のまなざしで竹生を見ていた。「私が判るか？」青年の顎が小さく頷いた。「たけお・・さま」神の美貌に天上の微笑が広がった。「それだけ判れば良い」青年は再びつぶやいた。「私は・・誰？」竹生は、青く深く澄んだ光を湛えた目で、青年を見て言った。「お前は、朔也だ」「さ・・く・・や？」「ああ、そうだ」朱雀と三峰は顔を見合わせた。この者の名は・・「朔也・・」青年は口の中で繰り返し、その顔に安堵の笑みが浮かんだ。「はい・・竹生様・・」竹生は青年を抱きしめた。「今はそれだけ解れば良い、良いのだ・・朔也」百合枝はすぐに意識を取り戻した。朱雀が百合枝にささやいた。「大丈夫かね」「ええ・・少し、気が遠くなっただけ」百合枝が起き上がると、竹生の声がした。「朱雀、百合枝を連れて来い」朱雀は百合枝を抱き上げると寝台まで運んだ。竹生は青年の枕元に腰掛け、青年の髪を撫でていた。竹生の指示で、百合枝は竹生の隣に腰を下ろした。朱雀はその傍らに立った。竹生は百合枝に言った。「朔也は、左半身が良く動かぬというのだ。分かるか？」百合枝は朔也の身体を見た。（まだ毒が残っているのかも知れない・・でも）百合枝はまだ自分の力を良く理解していないのである。（どうしたらいいの？）不意に朔也の手が伸び、百合枝を引き寄せた。百合枝は朔也の上に倒れこんだ。竹生は動かなかった。だから朱雀も動けなかった。朔也は右手を自分の胸の上の百合枝の背に回した。ぎこちなく左手も動かし、両腕で百合枝を抱き締める格好となった。「ああ・・」朔也はため息を漏らした。裸の青年の胸に頬を押し付け、百合枝は驚きながらもじっとしていた。「貴方に触れると・・痛みが・・楽になる・・」重なり合う二人をじっと見ながら竹生が言った。「百合枝、お前の家を買うのは私だ」「竹生様が？」百合枝も朱雀達と同じく、思わず竹生様と呼んでしまった。竹生は満足げに頷いた。「明日からでも手直しをさせたい」竹生は朔也を愛しげに見た。「早くこれをゆっくりと養生させてやりたいのだ」「でも、私・・まだ住む所も決まっていなくて」竹生は微笑んだ。「お前の部屋にそのまま住んでも良いぞ。私はお前が気に入った」百合枝は驚いた。それ以上に朱雀と三峰が驚いていた。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/11

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  窓の記憶(27)「過去を呼ぶ風」#09-3

  「過去を呼ぶ風」#09-3竹生は百合枝を抱きしめた。さらさらと流れる白く長い髪が百合枝の周囲を覆った。白い髪の帳（とばり）の中で、青く甘い香りが百合枝を包み込んだ。それは朱雀の香りに似ていたが、更に甘く魅惑的な香りがした。夜の物憂さを含んだ声がささやいた。「女よ、名は何と言う」「御影百合枝・・です」百合枝は恍惚の中で答えた。竹生のささやきには柔らかな闇に抱かれている様な心地良い響きがあった。「百合枝・・礼を言う。お前は本物だ。お前になら私の大切な”あれ”を見せても良い」三峰が朱雀の耳元でささやいた。「竹生様が女性を・・前代未聞だな」朱雀は肩をすくめた。竹生は朱雀に寝台の横に椅子を運ばせ、百合枝を坐らせた。竹生は寝台の端に腰を掛け、慎重に布をまくり上げた。それは丁重に幾重にも包まれていた。姿を現したのは、これも美しい青年だった。目を堅く閉じている。真っ直ぐな黒い髪、端正な顔立ち、滑らかな肌は蜂蜜色をしている。竹生は更に布を広げた。喉から胸元があらわになると、胸が少し上下しているのが分かった。（生きている・・）百合枝は安堵した。余りにも青年の表情が穏やかなので遺体ではないかと怯えていたであった。裸の上半身がすっかり皆の目の前に明らかになった。竹生は青年を見ていた。そのまなざしは優しく、きらめく魔性の青い瞳も和み、微かにうるんで見えた。竹生は青年から目を離さずに言った。「百合枝・・何か見えるか？」顔だけではなく、身体も美しい青年だった。均整の取れた身体は細身ではあるが、鍛えられた筋肉がほど良く付き、引き締まっている。だがその腹には横に走る無残な傷痕があった。そしてその傷にまとわりつく緑の炎が百合枝には見えた。炎は青年の身体のいたる場所にちろちろと蛇の舌の様にうごめいていた。百合枝はつぶやいた。「毒・・」竹生はうなずいた。「そうだ、『奴等』の毒だ。これは多くを助ける為に、己を犠牲にしたのだ」百合枝は竹生が何を望んでいるのかを感じた。竹生はこの青年を百合枝が癒せるかどうかを知りたいのだ。百合枝はまだ自分に何が出来るのか分かっていなかった。けれども心のどこかで百合枝に語りかけるものがあった。百合枝は両手を青年の腹の傷に当てた。ぞっとする冷たいものが恐ろしい勢いで百合枝の手から体内に流れ込んで来た。百合枝は眩暈がした。百合枝の身体が揺らいだのを見て、素早く朱雀が駆け寄り、百合枝の傍らに膝を着き、百合枝の身体を支えた。「大丈夫か、無理はしなくていい」「ええ」百合枝は朱雀に軽く微笑んでみせた。朱雀のぬくもりが百合枝を勇気付けた。百合枝はもう一度、今度はそろそろと手をかざしてみた。少しずつ緑の毒が流れ込んで来る。これ位なら耐えられると百合枝は思った。三人の見守る中、百合枝は青年の身体に手を当てたまま、目を閉じ俯いた。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/10

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  窓の記憶(26)「過去を呼ぶ風」#09-2

  「過去を呼ぶ風」#09-2「和樹、久しぶりだね。元気そうで何よりだ」「三峰さんも」和樹はうれしそうに答えた。三峰は部屋の隅に控えている進士にも声をかけた。「進士、今夜はやっかいをかけるかも知れんが・・」「いえ、竹生様と三峰様の御用でしたら喜んで」進士は深く頭を下げた。その態度からは三峰への尊敬の念が感じられた。三峰はベランダの方を振り返り、窓から見える月を見上げた。「ああ、竹生様がおいでになられる」三峰の声は風に溶け込み、夜の闇を彷徨い流れて行った。その声に応える様に、月明かりの向こうから再び風がやって来た。激しい風に百合枝は片手で髪を押さえた。先程よりも更に身を引き締める何かが、その風の中にあった。ベランダに長身の黒い影が降り立った。長く白い髪をなびかせ、その影は居間に入って来た。風に舞う白髪に縁取られた白き顔を見た途端、百合枝は目を見開いたまま、動く事が出来なくなった。そしてこのまま永遠に動く事が出来ないのではないかという思いに囚われた。三峰という極上の美を見たばかりであるのに、そこにはそれ以上の美があった。それは神の領域だった。激しく燃え立つ透明な炎に包まれた美神。神を見たものは盲目になるという。その神話を百合枝は思い出した。これほどに美しいものばかり見てしまって良いのだろうか。百合枝は怖気づいた。肩を抱いている朱雀の手に力がこもった。百合枝をいたわる様に。朱雀が言った。「ようこそお越し下さいました。竹生様」竹生は無表情の中にあらゆる表情を持つかの如き顔で朱雀を見た。「お前が、なかなか来ぬからだ」夜の物憂さを含んだ声が言った。白き美貌の主が竹生に言った。「兄さん、まずはそれを降ろしてから」それを聞いて百合枝は初めて気がついた。竹生は両腕に布で包まれた何かを抱えていた。それは人の様に見えた。それともうひとつ、訪れた二人の顔立ちがとても良く似ている事に。「竹生様と三峰は兄弟なのだ」朱雀が百合枝の疑問に答えるかの様にささやいた。何故、三峰は呼び捨てで、竹生は竹生様なのか、百合枝は不思議だった。それも彼等の”一族”のしきたりに係わる事かも知れない、後で聞けば良い事だと百合枝は思った。「こちらへ」朱雀は先に立ち、自分の寝室へ竹生を導いた。朱雀の後ろに竹生が続き、その後ろに三峰が続いた。百合枝は最後に着いて行った。和樹と進士は後に残った。朱雀の寝室は最初に百合枝が泊まった部屋に良く似ていた。寝台と最低限の家具しかない。それらは上等な物だが余計な飾りはない。むしろ質素に見える部屋であった。白い布に包まれたものは朱雀の寝台に横たえられた。竹生は振り向いた。部屋の隅に立っている百合枝をその目が捕らえた。「私はお前に用がある」竹生の目は青く魔性に燃えていた。「私に・・ですか？」百合枝はその瞳に魅入ってしまった。深く、どこまでも深く、吸い込まれてしまいそうな瞳。だが百合枝の目は、そこに混じりこむ緑がかった光を感じ取った。それは朱雀の傷に見えたのと同じものだった。百合枝の何かが竹生が目を病んでいると知らせた。操られる様にふらふらと百合枝は竹生の許へ歩み寄った。ほとんど無意識に百合枝は手を伸ばし、竹生の目のあたりにかざした。朱雀も三峰も、無礼に腹を立てた竹生が払い除けるだろうと肝を冷やした。だが竹生は目を閉じ、されるがままになっていた。百合枝は両手を竹生の目に当てた。白い硬質の陶器の如く透き通る肌は冷たく、百合枝の手のぬくもりが次第にそれを暖めていった。百合枝には緑の光が自分の手の中に吸い込まれていくのが見えた。やがて竹生の手が百合枝の手首を掴んだ。掴んだまま自分の目から百合枝の手を下ろした。竹生の顔が皆に見えた。竹生は目を閉じていた。長い睫毛が頬に影を落としていた。竹生はゆっくりと目を開いた。その白き顔に微かに笑みが広がった。「良く見える、見えるぞ」「では、御目がお治りに」竹生の目の事は三峰しか知らぬ事であった。竹生の目は『奴等』の毒に侵され、視力を失いかけていたのであった。竹生はその事を他者には隠していたのである。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/09

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  窓の記憶(25)「過去を呼ぶ風」#09-1

  「過去を呼ぶ風」#09-1朱雀は或る気配を感じ、顔を上げた。馴染みのある風がやって来る。腕の中の百合枝をそっと抱き起こしソファに坐らせた。百合枝は朱雀の態度に何かを察し、手早く髪の乱れを直した。和樹が入って来た。和樹は部屋に残る悩ましい空気に気づかない振りをした。和樹の後ろに菓子を載せた盆を持った進士が続いて入って来た。「新しい珈琲を持って来たよ、お父さん」「ああ、ありがとう」朱雀も何気ない素振りで答えた。朱雀は立ち上がり、ベランダに続く窓の鍵を開けた。和樹はすぐにその意味に気がついた。朱雀は和樹と目が合うと頷いた。「朱雀様」進士が近寄り、そっとハンカチを朱雀に差し出した。進士は自分の唇に片手を当て、ちらりと朱雀を見た。そしてすぐにそばを離れた。朱雀が唇を拭うと白いハンカチに薔薇色の痕が残った。朱雀が進士の方を見ると、進士はそ知らぬ顔で百合枝と話していた。（良く気がつく”執事”で、うれしい限りだよ）朱雀は胸の内でつぶやき、苦笑した。夜空の向こうからやって来る者にもそれが伝わったらしく、面白がる心の響きが朱雀の中に木霊した。「百合枝」「はい」「紹介したい者が増えてしまったようだ」朱雀がベランダに面した床から天井まで届く大きな窓を左右に開いた。金色がかった厚手のカーテンがまるでレースの様に軽々と翻り、舞い踊った。百合枝は驚いて立ち上がった。朱雀は百合枝の隣に戻り、守る様に肩を抱いた。ベランダから誰かが歩いて来た。「竹生様が待ちきれずに、こちらへお越しになるそうだ」月光がそのまま声になったかの如き柔らかく澄んだ声が聞こえた。肩までの白い髪をなびかせ、白いマントを纏った人影は、この世のものとは思われぬ美しい姿をしていた。百合枝はその白き美貌の主に見惚れた。朱雀も良い男だが、この白き者は人と言うよりまさに天使が舞い降りたかの如くに見えた。天使は百合枝に目を止め微笑みかけた。「貴方が百合枝ですね」百合枝は半ば上の空で頷いた。返事をしようにも声が出なかった。「成程、名前の如く可憐な白百合を思わせる。朱雀が守りたいと思うはずだ」柔らかな声には楽しげな響きが混じっていた。朱雀は百合枝の耳元でささやいた。「彼は三峰、私の一族の者だ」三峰が付け加えた。「そして朱雀の良き飲み友達です」三峰は優雅に百合枝の前にひざまずき、百合枝の手を取った。三峰の手は白く指の先まで繊細で、この上もなく丁重に神が創った作品の様であった。三峰は百合枝の手の甲にくちづけをした。柔らかなくちびるは冷たかったが、吐く息は熱く、百合枝の肌はそこだけ快感に燃え上がった。朱雀は初めて三峰に逢う人間がどうなるか心得ていたが、眉間に微かな嫉妬の影がよぎった。三峰はそれに気がつき、朱雀にいたずらっぽい流し目を送った。その妖艶さ、もし朱雀でなければ身体中から力が抜け、その場に坐りこんでしまったであろう。朱雀はその目を見返し、にやりと笑った。「良き友かどうかは、怪しいものだな」「それはお互いさまだ」三峰は言い返し、にっこりと笑った。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/08

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  窓の記憶(24)「咎なき罪人」#08-3

  「咎なき罪人（つみびと）」#08-3和樹と進士はキッチンへ引き返した。キッチンのテーブルにポットを置き、和樹は腰を下ろした。進士も盆を置き、新しいふたつのカップに珈琲を注ぎ、自分も腰を落ち着けた。「お父さんが少し、昔のお父さんに戻ったみたいでうれしいよ」和樹も進士も、朱雀のここ数年の傷心ぶりに心を痛めていた。「お母さんが死んでから、あんなに穏やかな顔をしているのを初めて見たよ」「そうでございますな」進士も頷いた。和樹がやや軽い口調で言った。「それにしても、どうして『奴等』に狙われるやっかいな人ばかり好きになるのだろう、お父さんは」進士の返事は思いがけず真剣な響きを帯びていた。「守るべき者あってこその盾・・ですから」和樹は笑顔を消し、真面目な顔で進士を見た。進士は手を重ね、テーブルの上に置いた。「我等”盾”は佐原の家の当主様を守る為に存在致します。朱雀様はさゆら子様の盾として生涯を捧げるおつもりでした。今もきっと・・」進士も幸彦の母親であるさゆら子の盾であった。「さゆら子様を守りきれなかった・・その罪の意識から、朱雀様は逃れる事がお出来にならぬのでしょう」「お父さんのせいではないだろう？」和樹の言葉に、進士は首を横に振った。「守るべき者を失った時、盾は盾でなくなるのです。”盾”とはそういうものなのです」「お父さんは、お母さんと僕を守ってくれたよ」「それも偽りなき朱雀様のお気持ちです。けれども朱雀様は、ずっと探しておられたのでしょう、贖罪の道を・・・舞矢様の事は大変にご不幸な事でした。あの時から朱雀様は変ってしまわれた。本当の笑顔をお見せにならなくなった」「うん、そうだね」和樹は深く頷いた。和樹と進士だからこそ解る朱雀の変貌だった。「百合枝様は、おそらく朱雀様がようやく巡り合った方なのです。すべてをかけて守りたいと・・ですからもし百合枝様の身に何かあったら、今度こそ朱雀様は・・」「進士」「はい」「僕は、鞍人（くらうど）を許さないよ」いきなり低く叫んだ和樹に、進士は驚きの目を向けた。「和樹様？」「僕には『奴等』や異人を直接滅ぼす力はない。だけど出来る事はするつもりだ」和樹は進士を見た。「お前は知っているのだろう？僕の銀の身体が、もうもたない事を。今度大きな戦いが来たら最期だと」哀しみが、その顔にあった。進士はいつもの冷静な顔で言った。「存じております。ですがもし、百合枝様がカナ様の代わりを努めるが可能なら・・」「いや、代わりなんて誰もいないさ。僕の身体を癒せるのはお母さんだけだ」和樹は残りの珈琲を飲んだ。「僕だって『火消し』の仲間だ。覚悟は出来ているつもりだよ。それに後少しでも、お父さんの役に立つなら、僕はいいんだ」すっかり会社の専務が板につき、ここ数年、戦いの事など一言も口にしなかった和樹であった。だが自らの真の役目を忘れたわけではなかったのだ。進士はあえて穏やかに微笑んで見せた。「和樹様は、本当に親思いでいらっしゃいますな」「それは、お父さんが僕を大切に思ってくれたからだ」和樹は立ち上がった。「さあ、戻るよ。そろそろ向こうでも珈琲のお替りが欲しい頃だろう」進士も立ち上がった。「かしこまりました。すぐにご用意を」（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/06

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  窓の記憶(23)「咎なき罪人」#08-2

  「咎なき罪人（つみびと）」#08-2食事の間に柚木も大分打ち解けて、百合枝と言葉を交わす様になっていた。柚木は百合枝が、学校の女性教師の様な押し付けがましさもなく、友達の母親達の様にこれ見よがしな同情や世話の焼き方もせず、ごく自然に柚木と接してくれるのが好ましかった。優しい瞳に見られると、柚木は素直になれる気がした。（この人は、小鳥や花とでも、こういう風に話すのではないだろうか）そんな事を思った。何故、朱雀が彼女をここへ連れて来たのか、柚木は朱雀から明かされていた。それは柚木にも”誰かを守る”事を教えようとする朱雀の思いもあったのだ。今の柚木が「盾」という言葉を嫌うのを朱雀は知っていたから、あえてその名称は避けたが、”盾”としての正規の訓練から離れてはいても、朱雀と進士は常に柚木を鍛え、柚木に”最高の盾”と預言されたにふさわしい実力を身につけさせようと心を砕いていた。ベランダに面した居間に移った一同は食後の珈琲を楽しんでいた。百合枝と柚来はソファに、朱雀と和樹は安楽椅子に掛けていた。しばらくすると柚木は「宿題があるから」と自室に引き取ると言った。柚木は立ち上がると皆の前で礼儀正しく挨拶をした。「おやすみなさい」そして柚木は百合枝に言った。「貴方に来ていただけたら、僕はうれしいです」百合枝は柚木に微笑みかけた。「ありがとう、私達、もっと仲良しになりましょうね」「ええ、きっと」柚木はちらりと朱雀を見た。「朱雀おじさんの事も、よろしくお願い致します」百合枝の頬が赤く染まった。朱雀は咳払いの真似をした。「余計な事は良いから、早く行きなさい」「はい、おやすみなさい」柚木は和樹と目配せし、出て行った。柚木がいなくなると、朱雀は少しあらたまった声で言った。「百合枝・・私の家族にはキミが見たものを隠さなくていい」「あの人達の事ですか」「ああ、むしろ隠さずに言って欲しいのだ」和樹も言った。「それが貴方の、そして僕らの為でもあるのです」『火消し』の仲間である和樹も、もちろん百合枝の力の事を知らされていた。百合枝は戸惑っていた。「良く分からないわ。どういう事なのかしら」百合枝は和樹を見ながら言った。「それは、和樹さんを包んでいる銀色の光にも、関係がある事なの？」和樹は微笑んで朱雀を見た。「お父さん、彼女は本物だ。きっと僕らの・・」朱雀は和樹を片手で制した。朱雀は百合枝の隣に席を移した。「まずは説明しないとな。私達の戦っている相手と、そして『火消し』の仲間である我等の事を・・」『奴等』が何処から来たのか、何時からいるのかわからない。それは何処とか何時とか人が言える場所でも時間でもないのかもしれない。そして何時からか”壁”を守る者、『奴等』と戦う者が存在した。人の心に忍び込む『奴等』・・心を奪われた者は悪鬼と化す。多くの血が流される。かけがえのない命が失われていく。『奴等』の進入を阻止する”壁”はいたる所に張り巡らされているが、余りにも薄い。ひとたび破られると『奴等』は容赦なくやって来る。『火消し』は『奴等』の災難を人知れず消す者。『火消し』の神内の手にある青い石の剣は『奴等』を切り裂く度に短くなる。その剣が消えた時、神内は役目から解放される。力をすり減らし死ねば又生まれ変わる。自分の役目が終わるまで。どのくらいの間それを繰り返すのか・・『火消し』の仲間と呼ばれる者達もそれを繰り返す。神内の剣のように目に見えてわかるものもあるが、大抵の者はそれすら知る事は出来ない。”異人”とは『奴等』に心を奪われ、操られた者。或いは自ら『奴等』に心を渡した者。人でありながら『奴等』の加護に寄り超常的な能力を持つ。心を奪われた度合い、個人の能力に寄り、その力には格差がある。「キミを襲った連中、キミが青く光って見えると言ったのが”異人”なのだ」百合枝は黙って聞いていた。百合枝の緊張した横顔を眺めながら朱雀は言った。「いきなり信じろという方が無理なのは分かっているが・・」和樹が立ち上がった。「珈琲が冷めてしまいましたね。新しいのを持ってきましょう」二人きりになると、朱雀は百合枝の耳元でささやいた。「怖がらせてしまったかね」百合枝は首を左右に振った。「我等はキミを守りたいのだ」朱雀は百合枝の肩を抱いた。「あの家の、正面の緑の窓・・あの窓から誰かが手を振っていた。不思議なんだ、どういう訳か、私にはその記憶がある」「その人は、白いブラウスを着て、青いリボンを髪に結んでいた？」朱雀は百合枝の顎に手をかけ、上を向かせた。朱雀の目は驚きに見開かれていた。「どうしてそれを？」百合枝はそれには答えなかった。「どなたが、私を守って下さるの？」「我らすべてが・・」朱雀は自分を見上げる瞳を覗き込んだ。澄んだ深い瞳の中に、期待と不安が揺れていた。「いや、誰よりも私が・・私がキミを守る」和樹はコーヒーポットを持ったまま、居間の戸口でしばし佇んでいた。「和樹さまは、親孝行な方ですな」プティフールを載せた盆を運んで来た進士が、いつもの飄々とした口調で和樹にささやきかけた。「お父さんが親孝行するチャンスを沢山くれるからね」和樹はささやき返し、進士に苦笑してみせた。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/05

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  窓の記憶(22)「咎なき罪人」#08-1

  「咎なき罪人（つみびと）」#08-1「貴方が百合枝さんですね。お父さんの言った通りの方だ」出迎えた和樹が言った。感じの良い青年だと百合枝は思った。落ち着いた灰色の背広に紺のネクタイをしている。控え目だが品の良い身なりである。専務という肩書きには若すぎるが、知的な話し方や態度に、見た目以上に世間に慣れた様子を感じさせた。扉を開けてくれた進士とは顔なじみであったから、百合枝の緊張は少し解れた。進士の後ろにいた和樹は会釈をし、自分から朱雀の息子だと名乗った。百合枝の肩を抱き、奥へ共に進みながら、朱雀は和樹に言った。「言った通りとは、私は何と言ったかね」「ラファエル前派の絵のようだと。水に浮かぶオフェーリア」百合枝はその絵を知っていた。「私が誰かの”運命の女（ファム・ファタール）”？」おどけて百合枝が言うと、朱雀は百合枝の肩を抱いているのと反対の腕を大げさに広げ、半ば歌うように言った。「生憎、私には運命の女性に捧げる詩を吟じる才はないが、ささやかな宴をキミに捧げよう。我が不肖の息子達と共に」三人は笑った。笑いながら、それぞれが胸の内に微かな痛みを覚えた。おぼろげに運命が動き出した事を、彼等は予感していたのかも知れない。「まあ、あの絵より、実際のキミの方が魅力的だ。息子の前で訂正しておくよ」朱雀は百合枝に言い、素早く片目をつぶって見せた。和樹もおどけて答えた。「ええ、そうですね。最近お父さんと意見が合う事が少ないけれど、これについては同意しますよ」三人は再び笑った。胸に兆した痛みを押しやるかのように。食堂に入ると、眼鏡をかけてはいるが朱雀に良く似た顔立ちの少年がいた。彼が柚木だと百合枝は思った。中学生にしては背が高く、神経質そうに見えた。「この子が柚木だ。柚木、彼女が百合枝だ」「始めまして」柚木は百合枝に頭を下げた。寡黙だが愚鈍な様子はない。ぶっきらぼうに見えるのは照れているせいだろう。百合枝はそう思い微笑みかけた。「よろしくね、柚木君」普段使いのテーブルに白いリネンのテーブルクロスがかけられ、食事の用意がされていた。朱雀は百合枝の正面に坐り、百合枝の右側に和樹、左側に柚木が腰を下ろした。「少し狭いかも知れんが、我慢してくれたまえ。普段はこの家に人を招く習慣がなくてね」朱雀はテーブルが狭い言い訳をした。「だが、進士の腕は一流シェフ並だ」「そう言われると、料理が出しにくくなりますな」朱雀の褒め言葉にまんざらでもなさそうな顔で、進士はワインの栓を抜き、朱雀のグラスに少し注いだ。味を見た朱雀が頷くと、三人の大人のグラスに薔薇色のワインが注がれた。柚木のグラスにはレモンの一切れと緑の瓶のミネラルウォーターが注がれた。朱雀曰くの”ささやかな宴”が始まった。「ポタージュ、美味しかったわ」進士は控え目な態度で答えた。「南瓜を煮て裏ごしして、牛乳で伸ばしただけで御座います」「きっと良い南瓜を選んでいるのね」進士は真面目な表情の下にうれしさを隠して言った。「はい、探すのに苦労致しました」進士が次の料理を取りにキッチンに消えると、朱雀が声をひそめて言った。「進士をあまり褒めると、はりきり過ぎるからな。気をつけてくれたまえ」もちろん本気で言っているのではない事は、朱雀のいたずらっぽい表情から皆に伝わった。「僕もこれだけ賑やかな食事は久しぶりだな」和樹が言った。和やかな食卓の向こうで黙って料理を口に運んでいる柚木に、和樹は優しく声を掛けた。「柚木もそうだろう？」「うん、そうだね」柚木は百合枝の方を見ない様にして答えた。見るのが恥ずかしかったのだ。「百合枝」朱雀が言った。「はい」「もし、ここへ来てくれるなら、朝と夜は柚木とここで食事をしてくれないか」「え・・」「その方が進士も腕の揮い甲斐があるだろう。私は家ではほとんど食事をしないのでね」百合枝は、朱雀が酒以外はほとんど料理に口を付けていない事に気が付いた。（先に済ませたのだろうか。会社の付き合いも多いだろうし・・）百合枝はぼんやりと思っていた。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/04

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  窓の記憶・登場人物の紹介

  窓の記憶・登場人物の紹介柚木（ゆずき）真彦と同じ日に生まれた宿命の子。最強の盾になると予言されている。篠牟と麻里子の子。義父の忍野を本当の親のように慕っていた。強い風の力を有する。佐原の村での悲劇の後、村を出奔、現在は伯父の朱雀に保護され”外”で暮らす。子供ながら名刀”風斬（かぜきり）”を授かる。本当の名前は道也（みちや）。佐原真彦（さはら　まさひこ）柚木と同じ日に生まれた。幼くして佐原の家の当主となる。夢の力を生まれつき持つ。前の”村の守護者”マサトの転生と言われている。マサトの好みがどこかで影響しているのか青色が好き。外見は幸彦似。どこか影のある子供。朱雀（すざく）朱雀・篠牟・御岬の三兄弟の長男。”外のお役目”と呼ばれる特殊な役目に付いている。表の顔は大会社の社長。風変わりな言動と性格の人だが、品格を感じさせる容姿を持っている。”人でない者”の一人。御影百合枝（みかげ　ゆりえ）没落した華族の末裔。異人に襲われていた所を朱雀に救われる。知らずに『火消し』と『奴等』の戦いに影響する何かを有しているらしい。朱雀に想いを寄せるが・・三峰（みつみね）人でない者。佐原の村の長であり盾の長であったが、人でなくなる道を選んだ為、村を出る。稀なる美貌の持ち主。温厚な性格で今も人々も慕われている。神内の古本屋の真の経営者（笑）狩野幸彦（かのう　ゆきひこ）夢狩人。夢を操る力を持つ。佐原の家の当主の血筋。『奴等』をあざむく為、名前を変え、幼少時から『火消し』の神内の元で育つ。引っ込み思案の青年だったが、様々な戦いの中で使命に目覚め、『火消し』の留守を守っている。久須美和樹（くすみ　かずき）普通の人の目には見えない銀の身体を持つ。『火消し』の仲間。『奴等』を滅する力を持つ為に異人に狙われる。内向的な性格だったが、父親代わりとなった朱雀とのふれあいの中で成長していく。現在は朱雀の会社の専務。柚木を弟の様に思っている。忍野（おしの）篠牟の次の盾の長。美形で女性に人気が高かった。術にたけた露の家の跡取。篠牟への忠誠は誰よりも強く、篠牟亡き後、麻里子と結ばれ、柚木の育ての親となる。麻里子との間に後に露の家の長となる桐生（きりゅう）を得る。『奴等』の毒に侵され、とある不幸な事件の後に遺体で発見されるが・・栗橋麻里子（くりはし　まりこ）朱雀の会社の末席ながら社長秘書だった。明るく元気な女性。交通事故から救われたのをきっかけに篠牟と知り合う。篠牟に一目惚れし、押しの一手で篠牟に迫る。柚木の母。篠牟亡き後佐原の村に移り住み、忍野と結ばれ桐生を得る。高遠（たかとお）村の長。篠牟と共に有能な盾だった。見た目は軽そうな美形だが、真面目で事務的能力が優れている。彼の妻の撫子（なでしこ）は村一番の美人と名高く、それが周囲のやっかみとからかいの種になる事が多い。進士（しんじ）痩躯の老練の盾。朱雀達の父・善衛の部下であった為、朱雀達にも召使の様に仕えている。朱雀が「外のお役目」に着いた時に志願して同行。最上の”執事”になる事を夢見ている。多趣味で朱雀同様変った言動が多いが、盾としても優秀で戦闘力も高い。尊敬する人物はギャリソン時田。 磐境（いわさか）盾の者。朱雀の会社の警備部に所属している。屈強な体躯の男。社長である朱雀のボディガードというのが表向きの立場。朱雀の本当の強さを知っており、その大らかな人柄も含めて尊敬している。 郷滋（ごうじ）塚の家の者。父親に代わり佐原の家令を務める。腕っ節は強くないが精神的には強い人。 奥座敷の騒動に冷静に対処していく。目立たないがあらゆる場面で気配りを見せる。鞍人（くらうど）異人のリーダー。真っ赤な頭髪にタキシード姿。軽い口調で嫌味だが、戦闘力は高い。朱雀に軽くあしらわれては腹を立てていた。その存在は消えたはずだったが・・白神（しらかみ）盾の者。風の家出身。さらさらの黒髪が美しい青年。戦闘力は忍野に劣るものの頭の回転は早く、忍野を良くフォローしていた。外の盾のまとめ役になった途端、鞍人に襲われ大怪我をするも、その後は無難にお役目をこなしている。久遠（くおん）忍野の後の盾の長。白神と交代で外の盾のまとめ役をしていた。忍野の実力を認め、次期の盾の長と噂されながら忍野を支持し、自らは裏方に徹していた。真面目で温厚な性格で部下の信頼も厚い。斤量（きんりょう）奥座敷に仕える異界の者。低く野太い声をしている。力自慢。やや融通が利かないというか独特な解釈で動くというか、命令する方は苦労する。風から生まれた不死の者。朱雀の部下である進士（しんじ）と種族を超えた友情を結び、時折”外”へ会いに行く。人の姿をした時は童顔で灰色の髪をした若者。本当の姿を見た者は誰もいない。干瀬（ひせ）斤量と同郷の異界の者。本当の姿は青いぶよぶよした肌の化物。人が怖がるので普段は忍野の姿を借りているが肌の青いのはどうしようもないらしい。水から生まれた不死の者。父親になりたいと思っている。忍野の姿を借りたのも忍野と柚木の交流を好ましく思ったせいらしい。ひょうきんで陽気な性格。何かと真彦をかまう。更紗（さらさ）マサトの代から奥座敷に仕える者。高く優しげな声をしている。身軽で敵が来ると良く屋根の上で戦っている。間宮（まみや）ゆりかごの女。厨のまとめ役。陽気な婦人。最近は息子の高遠の嫁の撫子に仕事をまかせている。料理が得意だが若い盾達がそれを感じてくれていないのが不満。村の守護者にも『火消し』にも恐れず口が聞ける貴重な人。佐原のお母さん的存在。神内威（じんない　たけし）『火消し』と呼ばれる。青石剣を持つ。『奴等』との戦いを運命とし、転生を繰り返す。この世界では古本屋の主人。現在は不在。幸彦が古本屋の留守を守っている。朔也（さくや）自分は「竹生の人形」だと言う青年。普段は伸びた髪で顔を隠しているが、稀なる美青年。竹生の見守る中長く眠りについていた。目覚める前の記憶がほとんどない。彼の正体は・・・竹生（たけお）三峰の兄。”人でない者”。絶世の美貌の持ち主。最強の盾と言われた風の家の者。幸彦を守る為に人でなくなる道を選ぶ。どこまでが真面目でどこまでが冗談か誰も分からないが、忍野に対して他の者より親しみを感じていたのは確からしい。経済観念が皆無なので買い物をさせると凄い事になる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/03

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  窓の記憶(21)「赤き災禍再び」#07-3

  「赤き災禍再び」#07-3唇を離しても、朱雀は百合枝を抱いたままでいた。百合枝の怯えを押し流した情愛の興奮が静まるのを、朱雀は待っていた。車内はエンジンの微かな音以外は静寂が支配していた。朱雀の腕の中で、百合枝は青く甘い香りに包まれていた。それはどんな花とも違う、人工の香料でもない、朱雀自身から匂い立つ香りであった。これほどに身を寄せ合ったからこそ気がついた事であった。「良い香りがするわ」百合枝のつぶやきを聞きつけて、朱雀は百合枝の髪を撫でながら小声で聞いた。「どんな香りだね」「青く・・甘い・・香りが、貴方からする」「私達の一族の男は、どうやらそうらしい」「一族？」「ああ、古い家なのだ。ずっと遠く・・山に囲まれた田舎の村が私の故郷だ」「貴方のご家族はそちらに？」「末の弟が村にいる。父も母も私の幼い頃に死んだ。すぐ下の弟も柚木を残して死んだ。私の肉親と呼べるのは、村にいる弟と甥の柚木、そして義理の息子の和樹だけだ」「義理の？」「和樹は妻の連れ子だった。だが私は本当の息子だと思っているし、和樹も私を父と呼んでくれた。今日これから、キミに会わせるよ」朱雀はコンソールの時計を見た。「そろそろ出発しないと、皆が待ちくたびれてしまうな」慌てて起き上がろうとした百合枝の身体が、強い腕で抱きしめられた。「大丈夫かね」「ええ」百合枝は答えたが、朱雀は百合枝を離さなかった。「無理はしなくていい」ふと百合枝は、朱雀の方こそ無理をしているのではないかと思った。身も心も深く傷つき、とても疲れ果てているのではないだろうかと。微かな指先の震えや躊躇い、時折深くなる呼吸、熱すぎる胸・・自信に満ちた大会社の社長という仮面を今の朱雀は脱ぎ捨てていた。孤独な男の素顔がそこにあった。自分の前でこんな無防備な姿を見せて欲しくないと百合枝は思った。（そうでないと、私・・）夢はいつまでも夢だからこそ美しく、人はそれにすがって生きていけるのだ。希望を期待に変えてしまった時、人は貪欲になり忍耐を忘れ、悲しみにも痛みにも過敏になっていく。百合枝はそっと朱雀の腕を解き、起き上がった。「少しだけ、あちらを向いていて下さる？お化粧を直したいの」「ああ、いいとも」朱雀は運転席に坐りなおし、室内灯を点けると反対側の窓に顔を向けた。百合枝は小振りのバッグからコンパクトを取り出しパフで顔をはたいた。そして口紅を塗りなおした。バッグの留め金を閉める音を聞き、朱雀は言った。「もう、いいかね」「ええ、ありがとう」「では、行こう」朱雀は車を出発させた。車はじきに賑やかな通りに出た。ネオンの瞬きが車の中に飛び込んでは流れて行った。「キミの口紅は・・」朱雀は外国のメーカーの名前を言った。「ええ、その通りよ」百合枝は驚いた。そして言った。「さっき、見ていらしたね」その口紅は特徴のあるケースに入っている。見れば大抵の人間なら分かる有名ブランドだった。車が信号で止まった。朱雀はおどけた声で言った。「これは心外だな。私が覗き見などする男だと、キミに思われたとは」朱雀は百合枝の顔を見て、にやりと笑った。自信に満ちた男の綺麗な笑顔だった。「口紅の味で、解ったのだよ」百合枝の頬が赤く染まった。信号が変った。朱雀は前を向き、アクセルを踏んだ。車は再び繁華街の中を走り出した。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2007/01/02

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  窓の記憶(20)「赤き災禍再び」#07-2

  「赤き災禍再び」#07-2朱雀達が”異人”に襲撃された事は、すでに警備部に連絡が届いていた。朱雀の車には特殊なセキュリティが幾つか施されている。異人と戦う為に車を降りる時、朱雀は警備部への緊急連絡のボタンを押したのだ。知らせを受け取った部長の磐境（いわさか）はただちに千条のチームを現場に向かわせた。千条達が到着した時には、すでに朱雀の車はなく、異人達の屍も消失した後だった。『奴等』は証拠を残す事を極端に嫌う。人々の気づかぬうちにこの世界へ入り込む機会を伺っているかの如くに。千条は車の無線から磐境に報告を入れた。磐境の声がスピーカーから聞こえた。「社長はご無事だ。ご自宅に戻られた」「了解です。我等もただちに戻ります」「お前達はご自宅の側で待機を」「社長のですか？」「今夜、竹生様とお会いなるそうだ。道中の護衛を頼む」「竹生様が余所者と？それは珍しいですね」千条の言葉に、磐境の叱責が聞こえた。「口を慎め、余計な事は言うな」千条は（しまった）と思った。警備部に所属していても、部内の役割をすべて知っている者は、ごく一部なのだ。それは佐原の村で訓練を受けた”盾”と呼ばれる者達だった。それ以外の者は、会社の建物の管理や警備、会社の要人の警護等が仕事だと思っている。社長自らが未知なる敵と戦う者であると想像もしていない。磐境のそばに誰かいないとも限らないのだ。社長に同行者がいる事も、知っているのは磐境と”盾”だけなのである。「申し訳ありません、では速やかに移動致します」無線を切ると、運転席の鹿沼（かぬま）が車を出発させた。鹿沼がハンドルを操りながら言った。「不思議な力を持つ方らしいな」「癒しの力らしい」鹿沼は千条と同期の”盾”だった。どちらかというと論理的な思考の人間で、感情的になりやすい千条のブレーキ役でもあった。二人とも”盾”らしく長身で端正な顔立ちの男達であった。「カナ様がお亡くなりになったのだ。もし本当であれば、心強い事だな」「ああ、”異人”が絡んでいるという事は、おそらく間違いないだろう」千条はシートを倒した。「おい、勤務中だぞ」鹿沼がたしなめた。千条は笑って相手にしなかった。「昨夜も残業だったのだ。少し位、見逃してくれ」「仕方ないヤツだな。お前より朱雀様の方がお疲れなはずだ。本来の責務もこなしながら、一日も休みなく、あの方を守っておられる」千条は目の上にハンカチを載せた。「社長は特別だ」「お前は本当に注意力が足りんな。社長も疲れておられるのだ」鹿沼の返事には真面目な響きがあった。千条はハンカチをずりあげ、鹿沼を見た。「何故解る」鹿沼は前を見たまま言った。「敵の殲滅を急ぎすぎる。以前はもっと余裕がおありだった」千条は椅子を元に戻し、起き上がった。「俺はたるんでいるな、確かに」鹿沼は口元に微かに笑みを浮かべた。「着くまで寝ていろ。少しでも英気を養って、社長の負担を減らせるようにな」千条はため息をつくと、椅子を再び倒した。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/31

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  窓の記憶(19)「赤き災禍再び」#07-1

  「赤き災禍再び」#07-1百合枝は顔を上げ、そっとフロントガラスから外を見た。朱雀のベージュの背広の背中が、暗闇の中にくっきりと見えた。その向こうに数人の人影が見えた。すべて青い光を放っている。（この前の人達と同じだわ・・）朱雀は大丈夫なのだろうか。百合枝は震えながら、朱雀の広い背中を見詰めた。「その人を渡して下さいと言っても・・当然、断られますよね」「当たり前だ」朱雀の良く通る声は闇を渡り、異人の元へ明快に届いた。赤い髪の異人、佐原の村に大いなる悲劇をもたらした鞍人（くらうど）は、にやにやと笑いながら、朱雀に言った。「舞矢の事は、もうお忘れですか。今度は彼女に入れ込んでおいでの様で」朱雀は厳しい表情を変えなかった。「キミに人の心が解るのかね、心奪われし者に」鞍人は細い剣を抜いた。他の異人達も身構えた。「ええ、解りますよ、解りますとも。人の心は愚かで弱いという事が！」鞍人が跳んだ。朱雀も跳んだ。刃の触れ合う鋭い音が夜空に響いた。鞍人は後ろに下がり、着地した。朱雀は下がらなかった。朱雀の手には愛刀”焔丸（ほむらまる）”が握られていた。朱雀は踊る様に刀を閃かせ、異人達を切り裂いていった。たちまちに鞍人以外の異人は倒された。「やりますね」「時間を掛けたくないのでね。夕食に遅れると執事がうるさいのだよ」刀をかまえた朱雀と対峙しながら、鞍人は笑った。「では今日はご挨拶という事で、このへんで退散致します」鞍人の口が耳まで裂けた。「いずれ、彼女をいただきにあがります」鞍人は夜空を駆け上がり、消えて行った。朱雀は鞍人を追わなかった。隠しから紙を出し、刀の血を拭った。そしてあたりの気配を確かめながら、車の方へ戻った。車の中から自分を見ている百合枝のまなざしを感じた。怯えているのは当然だろう。目の前で斬りあいがあったのだ。朱雀は運転席に坐ると、百合枝の方を見ずに言った。「もう大丈夫だ・・少なくとも、今は」百合枝の手が朱雀の頬に触れた。「血が・・」その手を朱雀の手が握り、引き寄せた。百合枝は朱雀の胸に倒れこんだ。暖かい朱雀の胸に顔を埋め、百合枝はつぶやいた。「また、私を守って下さったのね」朱雀は戦いの名残に猛る血の騒ぐままに、百合枝を抱きしめた。百合枝の身体が震えていた。「私が怖いかね」朱雀の腕の中で、百合枝は首を左右に振った。「そうか」朱雀の声はかすれていた。百合枝が顔を上げると、朱雀の燃える瞳と出会った。百合枝の瞳にもその炎が燃え移った。唇が重ねられた。激しく性急に。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/30

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  窓の記憶(18)「揺れる追憶」#06-3

  「揺れる追憶」#06-3「普段着でいい」朱雀にそう言われたけれど、百合枝は茶色の地に細かい花模様を散らした落ち着いた柄のワンピースに、荒く編んだ濃茶のカーディガンを羽織った。華やかではないが、普段着よりは少し上という感じだった。鏡台の上の硝子の一輪挿しに昨日摘んで貰った薔薇がまだ萎れずに、微かな甘い香りを放っていた。百合枝は薔薇の花よりも少し濃い色の口紅を塗り、鏡の中の自分も見詰めた。自分もこの薔薇の様に、ひっそりと咲き匂い、褪せていく一歩手前なのだと思った。散る前に、少しだけ良い思い出が出来そうだと、ときめくのと同時に寂しさもやって来た。呼び鈴が聞こえた。窓から外を覗くと、門の前に長身の影が見えた。百合枝はコートを手に取ると、急いで階下へ降りて行った。玄関から門までの道を歩くのが、百合枝はとても恥ずかしかった。朱雀がずっとこちらを見ている気がしたからである。「少し遅くなった、すまない」百合枝が門の閂を開けていると、朱雀は言った。「いえ、社長はお忙しいのですもの」百合枝が外に出て、再び門の鍵を閉めていると、肩に手が置かれ、耳元でささやく声がした。「朱雀だ」百合枝の背筋に甘い慄きが走った。「そう呼ぶ様にいったはずだ」百合枝は首をすくめた。「寒いかね？早く車に乗るといい。中は暖かい」片手でドアを開け、片手で百合枝の背を抱く様にして、朱雀は百合枝を助手席に乗せた。そして素早く反対側に回り、運転席に乗り込んだ。車は滑らかに夜の街を走り出した。「この車と、キミの装いとは、同じ国の香りがする」「そうかしら」「ああ、荒々しい自然と古い伝統と、新しい息吹が混ざり合い、それでも人は古びたまま朽ちていくのかどうするのか、探しあぐねているように見える。そして我等外国人には、古き良きの時代の宝庫に、まだまだ感じられるのだ」「それは、この国の事を言っている様にも聞こえるわ」朱雀の横顔が微笑を刻んだ。すれ違った車のヘッドライトに浮かんだ微笑は、闇の中にあまりに綺麗で、百合枝は何故か胸が痛んだ。「この国は、多くを失い過ぎてしまった。もはや失われた伝統は戻らないのだよ。滅びてしまった麗しきもの達も」朱雀は前を見詰めたまま、言葉を続けた。「守りたいと思うのに、守るべきものの方が自ら滅ぶ事を選ぶのだ。その繰り返しが続くと、私は何を守るべきなのか、解らなくなる」百合枝は不思議な思いに囚われた。（いつも自信に満ちて見えるのに、この人は心の奥にどんな絶望を抱いているのだろう・・それ程に多くを失っているのだろうか）「だが、少なくとも今は、キミを守ってみせる」朱雀はブレーキを踏んだ。急ブレーキで前のめりのなった百合枝の身体の前に、朱雀の左腕がかばう様に伸びた。朱雀は低い声で言った。「車から降りるな、何があっても。いいね・・百合枝」百合枝は畏れの中で頷いた。何が起きたのかは解らない。けれども朱雀はキミを守ると言った。百合枝は朱雀を信じようと思った。朱雀は車を降りた。前方に幾つかの人影が見えた。朱雀は車の前に立ち、その人影の方を見据えた。中央に立つ影が、面白がる様に言った。「おやおや、また貴方でしたか」「それはこちらのセリフだよ、鞍人（くらうど）」朱雀の赤い髪が夜の風になびいていた。朱雀が鋭い視線を向けているタキシード姿の男も又、燃える様に赤い髪を星のない夜空に逆立てていた。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/28

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  窓の記憶(17)「揺れる追憶」#06-2

  「揺れる追憶」#06-2「それは、確かなのか」朱雀は上着の袖を捲り上げ、ほとんど治りかけた傷を三峰に見せた。「カナ様より、治りが良い様だな」「毒そのものを無効化出来る様だ」『火消し』の古本屋の奥の事務所である。三峰は今は不在である神内の椅子に座り、書斎机に頬杖をつき、机の前に立っている朱雀を見ていた。肩までの白い髪がさらさらと揺れ、月光の輝きを含んだ肌と美貌が夜の闇に浮かんでいる。三峰は顎でソファを示した。朱雀は腰を降ろした。「幸彦様は、もうお休みか」三峰は頷いた。「真彦様がお出でになられてから、早くお休みになられる様になった」「親子の時間を大切にするのは、良い事だ」「今はなるべく、お二人を戦いからは遠ざけて差し上げたいものだ」「ああ、そうだな」佐原の家の当主は、夢の力を持つゆえに『奴等』との戦いを運命づけられている。幸彦と真彦の親子も、それは避ける事は出来ない。戦いの中で、十年余りを離れて暮らしていた親子が、ようやっと一緒に暮らせるようになったのだ。周囲の者は二人の力が必要になるぎりぎりまで、そっとして置いてやりたいと思っていた。三峰が言った。「柚木は、真彦様に会おうとしないようだな」「まだ、佐原の村への憎しみが消えないのだ。村との関わりが深い者とは会いたがらない」「心の傷は、深いのだな」それには答えず、朱雀は言った。「彼女を柚木の家庭教師という名目で、我が家に保護しようと思う」「慎ましやかな古風な女性らしいな。麻里子様と正反対なのが、柚木には良いかも知れぬ」麻里子とは、佐原の村にいる柚木の実の母親の名である。「そうだと良いが」百合枝に対する朱雀の躊躇いを三峰は感じ取った。三峰は微かに笑みを浮かべた。”絆”を結んだ二人には、互いの感情の揺れる様が伝わるのだ。朱雀も三峰の想いを感じる。だが互いに興味本位で人の心を覗く事はしない。それについては暗黙の了解があった。三峰はそ知らぬふりで話を続けた。「竹生様が、彼女の家を欲しいとおっしゃったそうだな」「あの家、私は見覚えがある」「らしいな」「彼女の能力も含め、その事も追々調べていかねばな」「最優先なのは、彼女の安全だ」朱雀はいつもの朱雀の笑顔で三峰を見た。「だから、ここへ来た」「そうだな」三峰も、朱雀でなければ、見ただけで腰を抜かしてしまいそうな魅力的な微笑を返した。「竹生様にもお話があるのだ」朱雀は遠い風の中にその気配を感じた。日課の夜の狩を終え、最強の美影がここへ戻って来る。三峰ももちろん感じている。「”あれ”の事か」「さすが、話が早いな」「彼女を試してみるのか？」「やってみる価値はあるだろう。柚木の為にも私は・・」突如、突風が室内を吹き荒れた。硝子窓は鳴り、カーテンは舞い上がった。ひとりでに扉が開いた。二人は立ち上がり、そちらを見た。そこには美そのものが黒と白に描かれているかの如き、ひとつの姿が立っていた。夜の物憂さを滲ませた声が言った。「その女、明日にでも連れて来い」白く長い髪をなびかせ、竹生は二人の方へゆっくりと歩いて来た。カーテンの隙間から漏れる月の光が、竹生の周囲にきらきらと輝き、舞い踊った。「あの屋敷の次のあるじと対面するのも、悪くないだろう」竹生は弟の三峰の方を見た。「お前も同席せよ」「はい」良く似た美貌が見詰めあい、微笑を交わした。それらはすべて漆黒の闇の中での出来事であった。この”人でない者”達には、灯りは必要ない。闇の中で、人外の美貌を持つ三人は、一人の女の今後について話し合いを進めた。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/26

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  窓の記憶(16)「揺れる追憶」#06-1

  「揺れる追憶」#06-1家に入ると、玄関先で百合枝が言った。「お茶でもいかがですか」朱雀は腕時計を見た。「すまない、今日はこれから約束があるのだ」百合枝は落胆したが、努めて明るく言った。「社長はお忙しいですものね」朱雀は少し口をとがらせた。「キミは我が社の社員ではないのだ。キミまで社長はよしてくれ」そして長身を折り曲げ、百合枝の顔を覗き込んで言った。「朱雀と呼んでくれ」百合枝は頬が熱くなった。「はい、朱雀」百合枝が答えると、朱雀はにっこりと笑った。「明日の晩は、時間はあるかね？」「明日ですか？」「キミの部屋になる場所を見てもらいたい。家の者にも紹介しよう」朱雀は百合枝にマンションに移る事を早急に決めさせたかった。「それと晩飯を我が家でどうかね。進士の料理の腕前を試してみてくれたまえ」「はい、喜んで」朱雀は百合枝の差し出したコートを受け取り、優雅に袖を通した。「では、そうだね、今位の時間に迎えに来る。待っていてくれたまえ」百合枝が頷くと、朱雀も頷き返し、そして出て行った。百合枝は朱雀が本気なのだと思った。本当に自分に部屋を提供するつもりなのだと。（明日、部屋を見てから決めれば良いわ。どちらにしても、ここは早々に立ち退かねばならないのだし）百合枝は半ば承諾する気持ちになっていた。柚木がどういう子供か不安はあったが、親と早く死に別れた自分なら、実の親と離れているという柚木の気持ちを理解してやれるのではないかと思った。あの弁護士の新明（しんめい）の説明に寄れば、古い家具の処分もしてくれるらしい。百合枝は身一つで持てるものだけ持って出て行けば良いのだ。（新しい生活になるのですもの、出来る限り置いて行きましょう）自分の部屋へ行き、箪笥や物入れを調べてみた。トランクと幾つかの箱があれば、全てかたがつきそうだった。百合枝は作りつけの箪笥の引き出しを開け、祖父の形見の懐中時計を取り出した。それだけは誰の目にも触れさせず、百合枝がずっと持っていたものであった。祖父が曽祖父から譲り受けた物だと言ったのを覚えている。外国製の古い物で、重い銀の蓋を開けると川岸に男女の姿が浮き彫りになっている細工がしてある。時間になると音楽が流れ、川が動き、二人の影も揺れるのだ。百合枝は毎日ネジを巻き、時折取り出してはそっと眺めた。見ていると祖父と二人きりの静かで穏やかだった日々が思い出される。祖父の剛三はいつもガウンのポケットにこの時計を入れていた。天気の良い日は車椅子を百合枝に押させ、庭を散歩するのが祖父の楽しみだった。身体は不自由になっても、頭はしっかりしていた祖父は様々な事を問わず語りに話しながら、百合枝と庭を彷徨うのだった。特に自分の父親、百合枝にとっては曽祖父にあたる黎二郎（れいじろう）の事を語るのが、機嫌の良い時の剛三の習慣だった。黎二郎は残念ながら写真は残っていないが、外国人の様な長身と端正な美貌、そして赤味がかった髪をしていたという。外国で教育を受け、数ヶ国語を解していた。その語学力を生かし、貿易で財を成した。だが仕事一筋の人ではなく、相当な趣味人でもあり、多くの芸術家のパトロンにもなった。屋敷にも彼等の作品が多く残されていた。祖父が亡くなった時、それらで値がつくものは持ち出され、今はほとんど残っていない。赤い髪の美貌の男・・祖父の話を聞くたびに、百合枝は顔も知らない曽祖父をどんな人物だっただろうと想像した。今、久しぶりに曽祖父の事を思うと、その面影は何故か朱雀になった。百合枝はおかしくなり、一人で少し笑った。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/26

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  窓の記憶(15)「屋根の上と下で」#05-3

  「屋根の上と下で」#05-3この治癒力と識別力。『奴等』にとって面白くない存在であるのは間違いない。何故彼女にそのような能力があるかを調べるのは、この際後回しで良い。彼女はこれからも狙われる、間違いなく。朱雀は言った。「この屋敷を売った後の、行き先は決まっているのかね」百合枝は肩を落とした。「いえ、何も。これから先の事は、何も決まっていません」「仕事も？」「ええ」「私の住まい、マンションのあの階はすべて私の物だが、幾つか部屋が空いている。そこへ来ないか」百合枝は驚いた。「とてもお家賃が払えないわ」朱雀は笑った。「家賃などいらない。この屋敷を譲ってくれる礼のひとつだと思ってくれたまえ」朱雀と同じ屋根の下に住む。百合枝には青天の霹靂と言って良い。もう逢う事のないと思っていた朱雀と。でもこの好意に甘えて良いのだろうか。朱雀は百合枝の当惑を見て、言葉を続けた。「その代わりと言っては何だが、少しばかり甥の柚木の家庭教師をやってくれないか」「甥御さん？」「ああ、最近引き取る事にしたのだ。キミの得意の語学を教えて欲しい。柚木もゆくゆくは私の会社でと思っているのだ。これからは外国語も必要な時代だ」「私にそんな事が出来るかしら」「柚木は中学生だ。父を失い、事情があり、母とも離れて暮らしている。大人びた口は聞くが、まだまだ子供なのだ。私も親の気持ちではいるが、男の目だけでは行き届かない所もあるだろう。どうかその面も含めて、見てやってくれないかね」朱雀の家の使用人となる。その方がむしろ諦めがつく。思い上がった気持ちを冷ますには良い事だ。百合枝は頷いた。「精一杯、頑張ります。ダメな時は何時でも解雇して下さいね」朱雀は片方の眉を上げ、百合枝を見た。「私はキミを使用人として雇うつもりはない」「朱雀さん、私は・・」風が吹き、百合枝に着せかけたコートがさらわれそうになった。朱雀は素早く百合枝の両肩に手を置き、コートを押さえた。「朱雀でいい。私もキミを百合枝と呼ばせてもらう」コートを通して、朱雀の手のぬくもりが百合枝の肩に伝わった。「私達は知り合ったばかりだ。お互いの事を知るのに、充分な時間も機会も作ったとしても良いだろう」百合枝は優しい笑顔と良く通る声の持ち主の名をつぶやいた。「朱雀・・」「それでいい。すぐにでも荷物をまとめたまえ、百合枝」なるべく早く、ここよりも安全な場所へ彼女を移さねばならない。『奴等』の手から彼女を守る為に。（今後の事は、三峰とも相談せねばなるまい）朱雀は思い、手にした薔薇を見ながら思案顔をしている百合枝を見詰めた。風が夜の気配を帯び、冷たさを増して来た。朱雀は言った。「家の中へ入ろう」肩を抱いて歩き出しながら、朱雀は百合枝の耳元でささやいた。「風が冷たすぎる・・この薔薇にも、キミにも」そうだ、この吹き荒れる風の中に彼女を置いてはならない。朱雀は肩を抱く手に力を込めた。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのＨＰでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/25

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  窓の記憶(14)「屋根の上と下で」#05-2

  「屋根の上と下で」#05-2夕暮れが空を染めていた。百合枝は庭に出た。季節は秋から冬に移ろい、荒れ果てた庭は一層の侘しい景色となっていた。百合枝は正面から屋敷を見上げた。そして自分の部屋の窓に目を止めた。そこだけ特徴的な窓枠で緑色に塗られていた。祖父の姉である人が少女時代に使っていたのだと聞いた事がある。朱雀があの窓を見詰めていたのを、百合枝は思い出した。「上着も着ないで、寒くないかね」不意に後ろから良く通る声がした。百合枝が驚いて振り向くと、門の細い鉄柱に指をからませ、朱雀が立っていた。朱雀はライトブラウンの背広に、臙脂色のネクタイをしていた。薄手のベージュのコートを肩に羽織っていた。朱雀は百合枝に微笑みかけた。「中を見せてもらえないかね。私の記憶が確かなのか、確かめたいのだ」百合枝は門の鍵を開けた。「どうぞ」朱雀を案内しながら、百合枝の胸の鼓動が早くなった。言わば朱雀はこの屋敷の買主なのだ、物件を確認に来るのは当然の事なのだ。百合枝なるべく心を落ち着けようと努力した。玄関の正面に階段、右手に応接間、奥への廊下の突き当たりに仏蘭西窓のある部屋があり、窓を開けてベランダに出る事が出来る。その隣の部屋の向こうにキッチン・・朱雀は百合枝に説明されずとも、この屋敷の間取りを知っている自分を感じていた。「使っている部屋は、今はほとんどなくて」百合枝は荒れた室内を恥じるように言った。古びてはいても見覚えのある家具、カーテンの模様。そこで暮らしていた人々の顔が、朱雀の脳裏に浮かんでは消えた。「キミは御影剛三氏のお孫さんだね」「ええ」「実業界の大立者だ。今でもその名を覚えている人も多い」「貴方はやはり祖父と知り合いだったのね。だからこの家の事もご存知なのね」それは違うと朱雀は言いかけて黙った。何故この屋敷の記憶が自分にあるのか、朱雀にも解らないのだから。「庭を見せてくれないかね」二人は一旦玄関に戻り、家の横手を抜けて裏庭に出た。前に朱雀が言った通りだった。だが白い小さな愛の神の像は半ば壊れ、小道は雑草に覆われていた。その先の東屋も破れた屋根と四隅の柱を残すだけとなっていた。薔薇の蔓は残った柱に絡みつき、小さな花を咲かせていた。二人は東屋の前で立ち止まった。朱雀は薔薇を見上げた。「名残の薔薇だね。やや薄いけれど、まさしく薔薇色だ」朱雀は薔薇に片手を伸ばした。「キミに摘んであげよう」上着の袖口から覗いた朱雀の手首のあたりに、百合枝は紫に腫れた傷を見つけた。「あら、どうなさったの」百合枝を守る連夜の戦いの中で負った傷だった。大抵の傷は早く治るが、『奴等』の毒が入った為に、さすがに朱雀でもすぐには治す事が出来なかったのだった。「酷い傷だわ」そう言いながら、百合枝の手がその傷に触れると、朱雀は痛みが引いていくのを感じた。『奴等』の毒が効力を失っていく。朱雀は合点がいった。（これが彼女の狙われた理由か）朱雀は傷に触れた百合枝の手に、もう片方の自分の手を重ねた。「ありがとう、大丈夫だ」（もしかしたら”あれ”にも・・）朱雀は思いながら、摘み取った一輪の薔薇を百合枝に握らせた。「寒くないかね」朱雀は自分のコートを百合枝に着せ掛けた。「ありがとうございます」百合枝は礼を言った。朱雀はおどけた調子で言った。「そのありがとうは、薔薇にかね？それともコートに？」百合枝は笑った。「両方に」朱雀は百合枝の笑い声を始めて聞いた。どこか儚げで投げやりな響きがあった。幸せな女の笑いではなかった。「キミはあの夜の事を、何故私に聞かないのだね」百合枝の笑顔が消えた。「あの、青く光る人達の事？」朱雀は眉をひそめた。「青く光る？」百合枝は横を向いた。東屋の向こうに広がる荒れた庭の奥に眼をやった。「貴方は常識的な方だし、きっと私がおかしいと思われるわ」「私は、頭ごなしに物事を否定する事はない」朱雀自身が”人ではない者”であり、人外との戦いの中にいるのだ。百合枝は朱雀を見た。百合枝の落ち着かないまなざしを、朱雀の目が覗き込んだ。百合枝はその目の中にいたわりと優しさを見た。「時々、青く光って見える人がいるの。外見は普通の人と変わらないのに」「キミを襲った男達がそうだったのだね」百合枝は頷いた。「成程」彼女は、人と”異人”を見分ける事が出来るのだ。ふと思いついて朱雀は聞いてみた。「私はどう見えるかね」百合枝は確かめるように朱雀を見た。そして言った。「普通の人に見えるわ」朱雀は微笑した。「それは良かった」（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/24

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  窓の記憶(13)「屋根の上と下で」#05-1

  「屋根の上と下で」#05-1「あの弁護士と不動産屋はグルです」「やはりな」「二人してあの家から相当甘い汁を吸っていますが、異人とは関係なさそうです」社長室で警備部の磐境（いわさか）の報告を聞いていた朱雀は、自分の椅子に背中を深く預け、くるりと回して窓の方を見た。窓の外には都会の夜景が広がっている。夜になるに連れ、朱雀は神経の隅々まで生気が甦るのを感じる。それは”人でない者”の体質である。「竹生様が欲しいとおっしゃったのだ。望みはかなえて差し上げねばならない」大柄で屈強な磐境は、職務にふさわしくいつでも無表情である。表向きは警備部の部長であるが、佐原の村の”盾”である。朱雀の配下で『奴等』に関する出来事を処理しているのだ。「我が社の弁護士は、どうかね」「少なくとも、あの男よりは優秀な者達ばかりかと」「では、新明（しんめい）にまかせよう」「あの不動産屋は、背後に良くない連中がいるようです」朱雀は元の位置に椅子を戻し、磐境を見てにっこりと笑った。男が見ても惚れ惚れする笑顔だった。「たまにはキミも、身体を動かす機会が必要かも知れんな」磐境の表情はほとんど変わらなかった。だが口元に微かに笑みが走った。「承知致しました」磐境は頭を下げ、出て行った。数日後、百合枝に黒田から電話があった。屋敷の買い手が現れたと言う連絡だった。そして今後は買い手側の弁護士と百合枝で直接話して欲しいと言うのだ。黒田は朱雀の会社の名前を告げると、何かに怯えるように早々に電話を切った。百合枝は黒田の態度を妙に感じたが、朱雀の会社ならと、どこかで安堵を感じた。その電話のあった午後、進士と一人の若い男が屋敷を訪れた。進士は百合枝の衣服を届けに来たのであった。「朱雀様が直接お届けにとおっしゃっておられましたが、何分ご多忙で」進士はすまなそうに言った。百合枝は落胆したが、それが当然だとも思った。（私とは世界が違う人なのだもの）一緒に来た男は、朱雀の会社の弁護士の一人で、新明と名乗った。新明は黒田から渡されたという書類を百合枝に差し出した。「こちらが権利書が各種、こちらもご自身で保管された方がよろしい物ばかりです」百合枝は戸惑った。「どういう事でしょうか」新明は中肉中背の平凡な容貌だが、歯切れの良い話し方をする男だった。「黒田弁護士は、この家のすべてから手を引かれるという事です」進士が控え目ながら、言葉を添えた。「黒田という弁護士は、百合枝様に誠実であったとは言えないようですな」それは百合枝も薄々気がついていた事であった。新明が言った。「今後は私の方で、お力になる様にと、社長から言い付かっております」「それは、ありがたい事ですわ」百合枝は、朱雀が自分を心配してくれたのがうれしかった。「この屋敷を、我が社に縁の深い方が欲しいとおっしゃるのです」新明は金額や条件等を、百合枝に説明した。「すぐにご返事という訳にもいかないでしょう。良くお考えになって下さい。ご不明な点、解らない事がございましたら、いつでも私までご連絡下さい」二人が帰って行った後、百合枝はもう一度、書類に目を通した。買いたいと希望した人物は、この家を手直しはするが、ほぼそのまま使うつもりの様だった。金額も当座の百合枝の生活を考えれば悪くない。その後の事は、今はまだ考えたくなかった。どちらにしても、朱雀の心遣いが感じられるのが、百合枝の気持ちを明るくした。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/23

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  窓の記憶(12)「緑の窓」#04-3

  「緑の窓」#04-3あれは、夢だった。一生に一度位、良い夢を見てもいいだろう。悪夢を見たばかりなのだもの。百合枝は青磁色のドレスを脱いだ。滑らかな絹の手触りが心地良い。キャミソールもペチコートも絹とレースの高価な物だった。百合枝は朱雀の顔を思い浮かべた。端正な顔立ちなのに、美形の男独特の嫌味がない。自信に満ちた態度の中に謙虚さがある。広い肩も厚い胸も男らしいが、それを必要以上に誇示する気配もない。何もかもがごく自然でありながら、目を離す事が出来ない何かを感じさせる。極上の男である事は百合枝にも解った。自分とは別の世界の男だとも思った。朽ちかけたがらんとした家で、同じ様に朽ちていくしかない自分。百合枝はいつもの寝巻きに着替えた。清潔ではあるが、古びた淡黄色の寝巻き。足首まである簡素なすとんとした形で、胸のあたりだけ僅かにレースが張り付いている。肩口にも胸と同じレースの飾りがある。まだ少女だった頃から大事に着ている。亡き祖父の贈ってくれたものだった。祖父が死んでから五年余り経つ。遺産は税金と祖父の死後にハイエナの如く寄って来た親類がほとんど持っていってしまった。百合枝に残されているのは、僅かな貯金とこの家だけだった。長患いの祖父の世話をしていた百合枝は、外で働いた事がなかった。大学の時の教師の世話で、得意だった仏蘭西語の翻訳などを細々としていたが、それも小遣稼ぎ程度でしかない。朱雀のドレスは、久しぶりに昔の暮らしを思い出させた。華美ではない本物の上質がそこにはあった。昨夜は・・音楽会の帰りだった。同級生の一人がチケットをゆずってくれたのだ。フルトベングラーはとりわけ好きではなかったが、生の楽器の音色は百合枝の心に慰めを与えた。夜半から降り出した雨の中、駅から二人の男が自分に着いて来るに気がついた。足を速めると、男達の歩く速度も上がった。百合枝は怖くなり、走りだした。男達は追って来た。途中で傘を捨てた。夢中でどしゃぶりの雨の中を走った。転んだのは覚えている。そして、目覚めた時にはあの部屋にいたのだ。男達から自分を救ってくれたのは朱雀だろうと、百合枝は思っていた。意識を失う直前、あの良く通る豊かな声が聞こえた気がしたのだ。朱雀は昨夜の出来事については、詳しい事は何も言わなかった。百合枝も聞かなかった。執事の進士も言葉少なで、百合枝も社交的な方ではなかったから、最低限の言葉以外は交わしていなかった。朱雀は丁重に百合枝を扱ってくれたけれど、それは女性に対して、彼はいつでもそうだろうと思わせる態度でしかなかった。百合枝は一人でいる事が苦ではなかったが、一人でいる事に寂しさを感じなかったわけではない。朱雀なら一緒にいても、百合枝は百合枝のままでいられる気がした。だが、彼は大会社の社長、自分は落魄れ、この先どうなるか知れない身の上なのだ。朱雀の暖かい大きな手の感触を思い出した。優しい笑顔を思い出した。あれ以上に素晴らしい男性にこの先巡り合えるとは思えなかった。これからの人生には、そんな素敵な出来事は訪れそうになかった。百合枝は、その夜は早めに床に着いた。目を閉じると朱雀の面影が浮かび上がって来る。（忘れなくちゃ・・）家を売るのだ、次の住まいも探さねばならない。荷物も片付けねばならない。私は忙しいのだ、余計な事を考えている暇はないのだ。この家を売る事を薦めたのは、弁護士の黒田兵吉だった。兵吉は小太りの中年男だった。何かと百合枝の力になる様な事を言いながら、狡猾で好色な目をする黒田を百合枝は好かなかった。だが祖父の代からの出入りの者で、相談出来る者は彼しかいなかった。百合枝は眠ろうと努力した。不意に涙があふれて来た。百合枝は押し寄せる寂しさと哀しさの中に自分を投げ出した。（今だけ・・明日はもう忘れるわ）その夜、朱雀が百合枝からそう遠くない場所にずっといたのを、百合枝は知らなかった。屋敷に忍び込もうとした異人は、悉く朱雀の獲物となった。夜明け前に、配下の者達を残し、朱雀は引き上げる事にした。（やはり、彼女には何かあるのだ。『奴等』と異人が狙う理由が）見上げた緑の窓は灯が消えていた。シーツの上で、意識のないままに、仄白く柔らかい身体を朱雀の目の下に晒した百合枝。無防備でありながら、みだらでも下品でもなかった。昨夜の百合枝を思い出し、朱雀の血が騒いだ。それは凶暴な欲情ではなく、百合枝の足元に跪き、その手に唇を押し付け、彼女の為に我が身を捧げる事を誓いたいような、不思議な想いだった。（今度は守り抜けよ。たおやかなる花を・・）竹生の声が耳朶に甦った。かつて朱雀は、一度は愛した女を自らの手にかけてしまった。朱雀がその痛手から立ち直ったかと言えば、そうではない。竹生はそれを知っている。知っていて、あえてそう言ったのだろうか。（竹生様の本当のお考えなど、誰にも分からぬ）実の弟の三峰ですら、そう言うのだ。朱雀に分かるはずもない。”人でない者”・・人を超えた能力を有する者であっても、神ではない身には、分からない事だらけなのだ。朱雀は何も知らずに寝ているであろう百合枝に、心の中で挨拶をし、朝の気配の漂い始めた闇に紛れ、消えて行った。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/22

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  窓の記憶(11)「緑の窓」#04-2

  「緑の窓」#04-2「この家、私が欲しい」後部座席から声がした。朱雀は驚かなかった。「竹生様がですか？」白く長い髪が揺れ、夜の物憂さを漂わせた声が言った。「私にも住まいが必要だ。いつまでも古本屋の地下にいるわけにもいくまい」朱雀の会社の管理する竹生の財産はかなりな額になっていた。この家程度なら幾らでも買える。「では、手配致します」「桐原に管理させよう」「はい」桐原は竹生の部下だった盾で、今は引退し竹生の身辺の世話をしている者である。「”あれ”にも、落ち着いて眠れる場所が必要だ」”あれ”の事を竹生が口にしたので、朱雀は言った。「柚木を引き取る事にしました」「そうか」「柚木はまだ・・」「それは”あれ”と柚木の問題だ。私は口出しはせぬ」「それを聞いて安心致しました」「どちらにせよ、まだ先の話だ」沈黙が流れた。微かなエンジンの振動が、静寂を満たしていった。朱雀が口を開いた。「どちらかにお送り致しましょうか」竹生は首を振った。ふわりと白髪が舞い上がり、ゆるやかに落ちた。バックミラーに白い光の粉が散った様に見えた。「あの女、何故、狙われた」「わかりません」「守ってやるつもりか」「その必要があれば」竹生はふっと笑った。「今度は守り抜けよ。たおやかなる花を」朱雀は振り向いた。「竹生様、私は・・」後部座席は空っぽだった。誰もいなかった。朱雀は前を向き、ため息をついた。青く甘い香りが微かに漂い、月の光の如き美影を持つ者が確かに今までそこにいた事を示していた。朱雀はアクセルを踏み込んだ。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/21

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  窓の記憶(10)「緑の窓」#04-1

  「緑の窓」#04-1欧州の深い森の色を写した愛車で、朱雀は彼女を家まで送り届けた。それは大きな通りから少し入った所にある古い洋館だった。車を停めると、朱雀は素早く降り、助手席のドアを百合枝の為に開けてやった。鉄の細い棒をねじり合わせた華麗な細工を施した門の前に、二人は並んで立った。百合枝は恥じるでもなく淡々と言った。「古い家でしょう」昔は豪奢な屋敷であったのだろう。風格があったが、屋根や壁のいかにも応急処置といった修繕の跡が痛ましかった。玄関まで敷き詰められた石の両側には、かつて花々が華やかに咲き誇った名残があった。「キミは、ここに一人で住んでいるのかね」百合枝は頷いた。「ええ、手放さねばならないのだけれど、なかなか売れなくて・・手入れも行き届かなくて、お化け屋敷みたいでしょう」ふと見上げた、正面から見える緑の枠の窓が、朱雀の心の底の何かに触れた。（私は・・この家を知っている）朱雀は記憶を探りながら、つぶやく様に言った。「裏のベランダから庭に出ると、白いクピドーの像があるね。その奥に東屋があって、季節には薔薇が咲く・・」百合枝は、何故か驚かなかった。「良くご存知ね。ここは曽祖父が建てた家なの。私の生まれる前に亡くなったのだけれど」百合枝は屋敷の窓から目を離さずにいる朱雀の横顔を見上げながら言った。「曽祖父はね、赤い髪をしていたそうよ」朱雀は何も言わなかった。百合枝が門を開け、ファサードの奥の玄関の中に消えるのを見送ると、朱雀は低い声で言った。「香春（かわら）」「はい」朱雀の背後で声がした。男らしき影がいつの間にか立っていた。「彼女の身辺に警護を付けろ」「はい」「磐境（いわさか）に、彼女の身元を調べさせろ」「はい」返事だけ残し、影は去って行った。一人、残った朱雀は、再び緑の窓を見上げた。（あの窓から誰かが手を振っていた・・これは、何時の記憶なのだ）朱雀の見ていた窓に灯が点った。百合枝らしい影が淡くカーテンに映るのが見えた。それを認めると、朱雀は車に乗り込み、エンジンを掛けた。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/21

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  窓の記憶(9)「異人狩り」#03-3

  「異人狩り」#03-3朱雀の出て行った後に、百合枝はベッドを降りた。朱雀の入って来たアーチの向こうにバスルームらしき場所が見えた。磨り硝子の扉を開けると明るいパウダールームがあり、奥にシャワーとバスタブがあった。バス用品もバスローブも用意されている。化粧品もある。どれもが外国製であった。蛇口をひねるとほど良い熱さの湯が勢い良くバスタブに注ぎ込まれた。バスザルツを少し、バスタブの中にこぼし入れると、柔らかな花の香りが広がった。白い寝巻きを脱ぐと、下着を着けていないのに気がついた。バスタブに浸かり、透明な湯の中にゆらゆらと白く見える身体を見ながら、このすべてを朱雀に見られてしまったのかと、羞恥があらためて込み上げて来た。三十をとうに超えた今まで、百合枝は余り特定の男性と親しくなった事はなかった。大学まで女子校であった事もあったが、百合枝の興味をひく男性がいなかったのだ。百合枝は両親を早くに亡くし、祖父に育てられた。百合枝に興味を持っても、旧家の出で、と或る方面の実力者だった祖父を敬遠する男達も多かった。祖父が死んで百合枝が一人になっても、百合枝の周囲には誰も寄って来なかった。百合枝が醜い娘な訳ではない。どこか色恋の対象としにくい雰囲気が百合枝にはあったのだ。百合枝も同年の友人達のように、男性を積極的に追いかける気持ちはなかった。肩までの髪を洗い、後ろに梳かしつけ、百合枝はほっとしてため息をついた。身体を清潔にし、温まると、気持ちも解れていった。バスローブを纏い、タオルを頭に巻きつけ部屋に戻ると、遠慮がちなノックの音がした。「どうぞ」と答えると、痩躯の老人が入って来て頭を下げた。きちんとボタンを嵌めたチョッキを着け、細いネクタイを堅くしめている。両手に薄い紙の箱を幾つか重ねた物を捧げ持つ様にしている。執事の進士だろうと、百合枝は思った。「百合枝様のお召し物のクリーニングが終わらずに申し訳ございません。代わりの物を朱雀様が用意されましたので、お持ち致しました」「ありがとう」百合枝は言った。「こちらにお置き致します」進士は側の黒檀のテーブルの上に箱を置いた。「お支度がお済みになりましたら、お声がけ下さい。簡単なお食事などご用意致しましょう」進士は頭を下げ、出て行った。夕方、戻って来た朱雀は、青磁色のワンピースを着た百合枝を見てにっこりと笑った。「良く似合う。急いで選んだので、心配だったのだが」朱雀自身は朝よりも濃い色の背広を着ていた。髪も撫でつけたばかりの様で、一分の隙もない洒落た身なりをしていた。「貴方がお選びになったの？」百合枝が朱雀の視線に恥じらいながら尋ねた。「ああ、そうだ。キミの為に。キミへのプレゼントだ」百合枝は驚いた。「こんな高価な物、いただけないわ」朱雀は百合枝に近付くと、耳元でささやいた。「キミのすべてを見てしまったお詫びに」百合枝は耳まで真っ赤になった。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/20

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  窓の記憶(8)

  「異人狩り」#03-2百合枝が目を開けると、見知らぬ天井が見えた。淡いベージュの天井に仄かにオレンジの灯。（ここは、どこかしら）どこかのホテルの一室の様であった。そろそろと起き上がる。薄い掛け布もシーツも清潔で良い香りがする。「目が覚めたかね」知らない男の声がした。知らないが暖かく親しみのある声だった。ベッドの右側の壁の一部がアーチ型にくり貫かれており、そこに男が立っていた。長身の端正な顔立ちの男だった。赤味がかった髪をしていた。仕立ての良い淡いベージュの背広が、良く似合っていた。それなりの社会的な地位がある人物に見えたが、優しい笑顔をしていた。「気分はどうかね」「私は・・」まだ半分夢の中にいる心地のまま、百合枝は言いかけて、自分が襟の大きく開いた白いレースと薄物の寝巻を着ているのに気がついた。もちろん、見覚えのない物である。襟を掻き合わせた百合枝の様子を見て、男は言った。「キミの服がすっかり濡れていたからね。すまないが、妻の物を着てもらっている」百合枝は思い出した。雨の中で追いかけて来た男達。恐怖が甦った。百合枝の怯えを察したのか、男はベッドの横に来ると膝を付き、百合枝の手を取った。大きく温かい手だった。「もう怖い事は何もない。安心したまえ」男は朱雀と名乗った。そして自分は会社の社長だと言った。百合枝も聞き覚えのある名前の会社だった。それで男の様子も納得がいった。「キミの名前を聞いても良いかね」「御影百合枝です」「百合枝・・キミにふさわしい名前だね」朱雀は微笑んだ。それは綺麗な笑みで、百合枝は頬を染めた。「白百合を思わせる。どこか古風でたおやかな」「私は、そんな」「キミが魅力的なので、着替えさせる時、紳士的であろうとするのに苦労したよ」朱雀はそう言って、片目をつぶってみせた。では自分を着替えさせたのは彼だったのかと、百合枝は羞恥に更に頬を染めた。朱雀は柔らかく手を握った。「急ぐ用事がなければ、ゆっくりしていきたまえ」百合枝は頷いた。そして朱雀に尋ねた。「あの、ここはどこでしょう」朱雀は再び微笑んだ。「私の住まいだ。ここには私と私の執事しかいない。隣の部屋に執事の進士がいる。用事は彼に何でも頼みたまえ」百合枝は不思議に思った。自分に着せた物は妻の物だと言ったのに。「あの、奥様は」朱雀の明るい笑みが翳った。「妻は死んだのだ。しばらく前に」百合枝は聞かねば良かったと思った。「ごめんなさい」朱雀は百合枝の手を再び軽く握った。「いや、いいんだ」そして立ち上がった。「夕方に私は戻る。そうしたら家まで送ってあげよう」（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/19

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  窓の記憶(7)

  「異人狩り」#03-1いつの頃からか『奴等』はいた。人の心に忍び込み、支配する物達。この世界を操ろうとする物達。人間の中には自らの意志で心を明け渡し、『奴等』の手先となる者がいる。人でありながら『奴等』の加護により超常的な能力を持つ者達。心を奪われた度合い、個人の能力で、その力には格差がある。その者達は”異人”と呼ばれる。それ等が騒ぎを起す前に狩るのが”人でない者”の役目。朱雀の鋭い感覚は、どしゃぶりの雨の中でも、遥かに遠い”異人”の気配を感知していた。車はそちらに向かっている。竹生も三峰も、どこかで同じ様に”異人”を追っているだろう。彼等にとってこれは使命であり、生き延びる為の行為でもあるのだ。異人の血は”人でない者”の糧になる。これほどに毎晩、狩りに出ても異人は絶える事はない。次の『奴等』はまだ『火消し』達の手に届かない場所にいるというのに。（心をたやすく奪われる者、心弱き人間は、こんなにも多いのか）異人の気配が近づいた。朱雀の耳に悲鳴が届いた。女の悲鳴だった。誰かが異人に襲われている。ハンドルを握る朱雀の手に、力が篭った。人気のない公園、か細い悲鳴は激しい雨の音にかき消されてしまう。逃げ惑う女の髪も服も濡れそぼち、手足も泥だらけだ。二人の男がその後を追いかけている。女が躓いて転んだ。男達は勝ち誇り、圧し掛かろうとした。「女性に対する扱いがなっていないな」良く通る声が、男達の耳に聞こえた。振り向くと、ベージュのトレンチコートを着た赤い髪の男が立っていた。弱々しい街灯の光でも美丈夫と解る長身の男が微笑んでいた。朱雀であった。どこか面白がるような口調で、朱雀は言った。「無理強いは、嫌われるだけだぞ」一人の男が歯を剥いて呻いた。尖った乱杭歯が見えた。「哀れな・・そこまで心奪われているのか」朱雀はつぶやいた。もう一人の男が宙に跳んだ。朱雀は片手を振った。闇に青白く刀身が閃いた。切り落とされた片手がぬかるんだ地面に落ちた。斬られた男は悲鳴をあげ、背を向けて逃げ出そうとした。朱雀が雨の中を飛んだ。男は真ッ二つに両断され、転がった。最初に唸った男も朱雀に襲い掛かった。朱雀は動いたように見えなかった。しかしこれも一刀で倒された。朱雀は二人の死を確かめ、片方の遺体にかがみ込んだ。何かを啜る小さな音がした。朱雀は倒れ伏している女の側にいった。見下ろす顔は蒼褪め、強張っていたが、目だけは爛々と赤く輝いていた。女の意識はなかったが、怪我をしている様子もなかった。朱雀は腑に落ちないと思った。異人が女を襲うのは、心奪われ箍がはずれた欲望を満たす為である事が多い。だがあの異人達は、そうは見えなかった。女をただ捕らえようとしているかに見えた。女は亡き妻加奈子位の歳に思えた。派手な美人ではない。典雅な雛人形か古い映画のお姫様役者の面影を持っていた。朱雀は女を抱き上げると、車の停めてある方へ向かい、歩き出した。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/18

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  窓の記憶(6)

  「雨は刹那に煌く」#02-3キッチンで、柚木は夕食をしたためた。こんがりと焼けたラムチョップは美味かった。ポロ葱とポテトのスープも気に入った。未成年の柚木に、進士は大きなグラスに並々と冷たい水を注いでくれた。柚木は御飯をお替りした。進士はその様子をうれしそうに見ていた。「若い方の召し上がるのを見るのは、気持ちの良いものですな」柚木はちょっと恥ずかしくなった。「僕、とてもお腹がすいていたみたいだ」進士は笑い、柚木のスープ皿を取り上げると中身を注ぎ足した。「これだけ食べていただけると、作る方も張り合いがあります」表は雨が降り始めていたが、朱雀はあの後、何処へか出かけていった。柚木は朱雀の外出の意味に思い当たった。朱雀は家で食事をする事はないのだ。「進士さんは、いつも一人で食べるの？」「そうですな」「僕がここに来たら、一緒に食べようよ」進士は礼儀正しく微笑んだ。「いえ、私は・・」「僕は、一人で食べるのは苦手なんだ。それに美味しいものは一緒に食べた方がもっと美味しくなるよ」進士は料理を褒められたうれしさを顔に浮かべ、頷いた。「解りました。そうさせていただきます」進士は真面目な顔になり、柚木に言った。「柚木様、それでは私のお願いもひとつ、よろしいですか」柚木は匙でスープをすくいながら言った。「何かな」「私の事は、進士とお呼び下さい。”さん”はいりません」それが進士の職業に対しての矜持であった。「うん、よろしく、進士」「柚木様の好物も、これから覚えないといけませんな」「進士の作るものなら、何でも好きになりそうだよ」進士はますますうれしそうな顔をして言った。「もう少し、ラムもいかがですか」柚木は雨の日が苦手だった。失ったものを思い出すから。温かいスープと温厚な笑顔が側にある事が、柚木の心の痛みを和らげていた。食べている間にも雨は激しさを増した。しぶきに跳ね返る灯を更に蹴散らす様に、朱雀の車は夜道を疾走して行った。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/18

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  窓の記憶(5)

  「雨は刹那に煌く」#02-2「お前の弟、桐生（きりゅう）はまだ幼く、背はお前の膝にも満たないだろう・・お前は桐生も憎むのか？」柚木（ゆずき）は首を左右に振った。「僕は桐生に逢いたい。桐生は僕を忘れてしまったかもしれないけれど」朱雀は柚木の肩を叩いた。「逢いに行けば良いさ」柚木は身を堅くした。「村には行かない」朱雀は柚木の肩を抱き寄せると、柚木にささやいた。「では、村の外で逢えば良いさ。私が連れて来てやる」柚木は顔を輝かせて朱雀を見た。「本当？」「私はお前に嘘を言った事があるかね」「ないよ、朱雀おじさん。でも・・」「三峰（みつみね）と和樹と一緒に行こう。何、三峰ならどうにかしてくれるさ」「うん」柚木は、朱雀に逢いたいと和樹に言って良かったと思った。特に和樹に不満があったわけではないのだ。ただ、和樹には和樹の人生があり、自分はまだ子供であり、もっと大人の庇護が必要だと思ったのだ。あの雨の日、村を飛び出して以来、和樹の許に身を寄せながら、本当の意味で自分を守ってくれていたのは、朱雀なのだと柚木には分かっていた。朱雀はベランダの真ん中に進み、伸びやかに両手を天に差し伸べた。「これから少しずつ、どこででも出来る鍛錬の方法を教えてやろう。基本的な身体の動かし方、筋の伸ばし方、整え方・・こういう地味な事が、大きな力に結びつくのだ」柚木の目が熱を帯びて、朱雀の動きを見た。美しくよどみのない動き。一見何でもない事の様だが、柚木は自分には出来ない事が即座に解った。「お前はこれからも成長する。身体が変われば鍛錬の方法も変化する。自分の身体と良く話し合うのだ。忍野（おしの）はこういう事が得意だった」朱雀がその名を口にするのを、柚木は”外”で初めて聞いた。「お父さんが？」「篠牟（しのむ）の事も、忍野の事も、私の知る限りの事をお前に話してやろう。お前にとって、二人とも父親なのだからな。まあ、私が言うのも何だが、二人とも女の子にとてもモテたぞ」朱雀と柚木は笑った。柚木も女の子の視線を感じないわけではない。けれども今の柚木はまだそれほど興味を持てないでいるのだ。もっと大切な事がある気がして。「お前の本当の名前は、二人の父親の名前を継いでいるのだ」「朱雀おじさんは、僕の本当の名前を知っているの？」「当たり前だ、私が付けたのだからな」柚木は驚いて、眼鏡の奥の目を見張った。「知らなかった」朱雀はベランダの手すりに寄りかかった。柚木も隣に同じ様にして並んだ。「私はお前の母の兄代わりであり、後見人だった。だから忍野は私を自分の兄として、自分の本当の名前を私に明かし、お前の名付け親になって欲しいと言ったのだ」「お父さんが？」「そうだ。忍野は、篠牟をとても尊敬し大切に思っていたのだ。その篠牟の子であるお前に、出来る限りの庇護をと思ったのだろう」柚木は忍野の事を思い浮かべていた。父と言うより兄の様に若々しく美しい人だった。子供達には優しいが、盾の長である時は堂々として威厳があり、それが柚木には誇らしかった。「道也（みちや）」朱雀が柚木の本当の名前を呼んだ。「はい」柚木は答えた。「お前の父親達がお前にしてやりたかった事、その幾らかでも、私はお前にしてやろう」「ありがとう、朱雀おじさん」朱雀は頷いた。「ああ、それでいい。戸籍上はどうであれ、私を無理に父と呼ばなくてもいい」朱雀は柚木に微笑んだ。柚木はその微笑に、篠牟と忍野の微笑をも見た気がした。「どう呼ばれようと、この高明は、お前が大人になるまで守る者だ」「たかあき・・それが、おじさんの？」「そうだ、覚えておけ。亡き弟、篠牟の代わりにお前が」本当の名前は、家族か本当に近しい者にしか教えないのだ。柚木は朱雀の思いを感じた。「はい、覚えておきます」柚木は再び、自分を慈しむ大きな手を見つけた。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/17

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  窓の記憶(4)

  「雨は刹那に煌く」#02-1柚木を自分のマンションに連れて行くと、朱雀は和樹に電話で告げた。「今夜は私の所に泊める」和樹は、ややためらうように言った。「僕が柚木を邪魔だと思ったわけではないよ」朱雀は解っているという響きを籠めて言った。「私にもあの子を可愛がるチャンスをくれたのだろう？」「僕がお父さんと初めて逢ったのは、ちょうど今の柚木位の時だった」「ああ、そうだったな」「柚木も僕も、本当の父親に逢った事がないんだ」朱雀が何かを言う前に、和樹は言った。「でもお父さんと逢えて、とても良かったと思っている」そう言うと、和樹は電話を切った。柚木を乗せた朱雀の愛車が、地下の駐車場に滑り込んだ。何重ものセキュリティ（竹生や三峰には無効ではあるが）を経て、エレベータは最上階まで静かに登った。濃い臙脂の絨毯を踏んで、突き当たりの重厚な木製の扉の前に着くと、それはひとりでに開いた。「お帰りなさいませ、朱雀様」進士（しんじ）が二人を出迎えた。「いらっしゃいませ、柚木様」落ち着いた痩躯の老紳士といった体の進士は、朱雀の”執事”である。かつては勇猛な”盾”として鳴らした人物であった。「今日は柚木を泊まらせる。部屋の用意を頼む」「かしこまりました」進士は頭を下げた。二人は大きな窓のある部屋に入った。そこはベランダに続いていた。朱雀は柚木の肩を抱くとベランダへ出た。ビルの向こうに山の端が見え、その上には夕暮れの名残が赤く燃えていた。風が二人の髪を掻き乱した。柚木は風の中に”想い”を感じた。それは、村を出てから、努めて避けて来たものだった。朱雀は柚木の頬に自分の頬を寄せ、ささやいた。「感じているのだろう？風の呼び声を」柚木は認めたくなかった。朱雀はそんな柚木の心を見透かすかの如く言った。「お前は村人を嫌っても、あの土地を嫌ったわけではないだろう。あの土地はお前を愛している・・だから、お前には風の力がある」柚木は黙っていた。久しぶりに聴く風の声は、柚木の中に柔らかく心地良い波紋を残し、心の底まで染み透った。「強くなれ、柚木。お前には力がある。救えなかった命を悔やむなら、強くなれ。今度は救えるように」柚木の熱く心の流れ込むものがある。それは朱雀の熱さであった。（強くなる・・）柚木は眼鏡の蔓に手をやった。それは考え事をする時の柚木の癖だった。同じ癖が柚木の実の父親の篠牟（しのむ）にもあった。だが今の柚木が思うのは、育ての父親の忍野（おしの）の事だった。どしゃぶりの雨の中、病に侵され、倒れていた忍野・・あの時、お父さんを抱いて飛べる力があれば、お父さんはもう少し生き延びられて、皆の謝罪を聞く事が出来たかもしれない。失意のうちにたった一人で死なずにすんだかもしれない。考え込む柚木の耳に、朱雀の良く通る声が聞こえた。「強さとは、戦う為の力だけではないのだ。心も強くなれ、弱い者達を支えられるように。戦う術（すべ）を持たぬ者の為に、身も心も。お前の家族、お前の友達の為に・・」「家族・・」柚木の脳裏に母の麻里子の顔が浮かんだ。柚木の胸に痛みが走った。一番お父さんを信じて欲しかった人が、お父さんを信じなかった。それが柚木の中で深い傷になっていた。柚木の麻里子に対する感情を、朱雀も知っていた。誤解だとしても今の柚木は理解しようとしない事も。柚木がもう少し大人になるまでは、それには触れるまいとした。（もう少し時が経ち”あれ”に変化が起きれば、柚木の心を解きほぐす事が出来るかもしれない。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/15

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  窓の記憶(3)

  「人でない者と人の子と」#01-3朱雀は柚木の正面に腰を下ろした。黒い革張りのソファに似合いの磨かれた木の低いテーブル越しに、朱雀は身を乗り出した。「やっと私を頼る気になってくれたのかね」柚木はちょっと困ったような顔をして頷いた。哀しい出来事の後、自らの意志で村を出た柚木はその時十歳だった。彼に庇護の手を差し伸べたのは和樹とその義理の父親、柚木にとっては実の伯父である朱雀だった。柚木は”村”のすべてに嫌悪を抱いていたから、和樹以外の”村”に関係する人々に心を開こうとしなかった。柚木は和樹のアパートで暮らしていた。”外”で暮らす必要上、形式的には柚木は朱雀の養子となり、二人は兄弟となっていた。朱雀は三峰とも語らい、柚木を普通の学校へ入れた。朱雀は柚木の傷ついた心に無理強いする事はせず、それでも親代わりとして、昼間の激痛の時間であっても、学校の行事には欠かさず参加した。実の親でない事は隠さなかった。だが人目に立つ美貌と威厳を持つ朱雀の面立ちが、柚木と似ている事は、誰の目にも明らかだったから、柚木は羨望のまなざしで級友から見られた。柚木自身、頭も良く運動も出来たし、元来明るい性格であったから”外”の学校でも親のない事でいじめに合う事はなかった。養子にしても、朱雀は柚木に自分を父と呼ぶ事を強制はしなかった。柚木の育ての父親である忍野を巡る哀しみが、柚木の”村”から出るきっかけであった事、その痛手から柚木が立ち直るまではと、朱雀は思っていた。それだけに自分から柚木が訪ねて来てくれた事が朱雀はうれしかった。秘書の高橋美佐江が運んで来た紅茶を味わうと、朱雀は言った。「良い香りだね。高橋君は、珈琲だけでなく紅茶を入れるのも上手いね」「また、そんな事をおっしゃって」高橋美佐江は、少し朱雀を睨む真似をして、それでもうれしそうに出て行った。その後ろ姿が扉の向こうへ消えると、柚木は言った。「和樹さんは、朱雀おじさんがお手本なのかな」「和樹がどうかしたかね」「女の人に何か言う時、朱雀おじさんみたいなんだ」朱雀は苦笑した。「困った所ばかり似るものだな」朱雀はふと気がついた。「そろそろ、お前の住まいも考えてやらんといけないな。いつまでも和樹の所にいるのも窮屈だろう」柚木は紅茶のカップを両手で抱え、鼻を突っ込むようにして飲んでいた。そんな幼い様子を朱雀に見せる事は余り無い。朱雀は柚木の不安を感じた。「私のマンションの同じ階に部屋がある。そこをひとつやろう」柚木は顔を上げた。「僕の部屋？」「お前も中学生だ。自分の部屋が欲しいだろう。身の回りの事は進士に頼めばいい」柚木は恐る恐ると言った風に聞いた。「僕と一緒でいいの？」朱雀はにやりとして見せた。「楽しくやっていけるように、お互い、努力しよう」柚木も笑顔を見せた。「うん」朱雀は今気がついたかの如く言った。「すまん、お前の来た用事をまだ聞いていなかった」聡い柚木は笑顔で言った。「もう、済んだからいいです」朱雀も笑顔を返した。「もう一杯、紅茶はどうかね」「はい、高橋さんにお願いして下さい」朱雀は良く通る声で笑い、後ろに片手を伸ばした。そしてソファの背に片手を着き、ひらりとソファの背を飛び越え、宙を舞い、机の側に着地した。目を見張った柚木に片目をつぶって見せてから、朱雀はインターフォンに叫んだ。「高橋君、紅茶のお替りを。柚木はキミをご指名だ、よろしく頼む」（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/12

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  窓の記憶(2)

  「人でない者と人の子と」#01-2朱雀は竹生達の様に地下に寝所を作らなかった。寝室の作りを工夫して、出来る限りの遮光を施した。それでも痛みは激しいが、痛みを朱雀は贖罪だと感じていたから、あえて耐える事にしていたのだ。感傷に過ぎない事は分かっていた。けれども運命の悪意と自らの力不足の中で失われていった数々の命を思うと、それが朱雀自身への戒めに思われて来るのであった。日が傾き、痛みが和らぐと、朱雀は起き上がり、入浴して着替える。エレベータで地下の駐車場へ行き、愛車に乗り込むと、出かけて行く。朱雀が夕方に出社する本当の理由は、和樹以外は知らない。昼間は所用で外出している事が多いと社内では思われている。居並ぶ秘書の熱い視線を受けながら、社長室へ入る。最近はわざと地味な服装にしているが、長身ですらりとした身体に仕立ての良いスーツが映えている。柔らかな赤味がかった髪は豊かに波打ちながら額にかかり、端正な顔立ちに色を添えている。妻を失い独身になった事も、女性社員のまなざしに熱を帯びさせる理由になっている。有能で独身でハンサムな大会社の社長。それが表向きの朱雀だった。部屋には和樹が待っていた。和樹は柚木を連れていた。「ここに来るとは珍しいな、柚木」「こんにちは、朱雀様」柚木は神妙な顔をして頭を下げた。柚木は中学生になっていた。背が伸び、大人びて来た顔立ちは、ますます亡き弟の篠牟に似て来たと、朱雀は胸に軽い痛みを覚えた。そしてそれを振り払うかの様に、陽気に言った。「私の事をそう呼ぶな。朱雀おじさんとでも呼べ。”外”であろうと”村”であろうと、私はお前の伯父である事には変わりないのだからな」柚木は緊張した顔を解し、笑顔を見せた。「はい、朱雀おじさん」和樹は二人の様子を見て、一人うなずくと朱雀に言った。「じゃあ、僕は仕事に戻るから。後はお父さんにまかせたよ」和樹は柚木に言った。「お父さんは、今はお前にも父親みたいなものだから、遠慮するな」そして軽く柚木の肩を叩くと出て行った。朱雀は柚木をわざと乱暴に抱きしめ、ゆすった。「会いに来てくれてうれしいよ、柚木」柚木は少し照れて抗ったが、朱雀から発するどこか青く甘い香りに、顔も知らないはずの父を感じた。広い胸の温かさが柚木を安らかな気持ちにさせた。「僕はもう子供じゃないです、朱雀おじさん」すねた言葉の中に甘えを感じ、朱雀は微笑んだ。「大人だって、こういう事が必要なのさ」朱雀は柚木を片隅の来客用のソファへ連れて行った。目顔で柚木を坐らせると自分の机に戻り、机上のインターフォンに手を伸ばした。朱雀は柚木の方を振り返ると聞いた。「お前は紅茶がいいかね」「はい」朱雀は頷くとインタフォーンに言った。「紅茶を二つ、社長室に頼む。レモンを添えてくれたまえ」柚木は朱雀が自分の好みを覚えていてくれたのがうれしかった。（続く）・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/11

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  窓の記憶～イメージ絵～

  新連載「窓の記憶」用の絵の一枚です。彼が誰であるかは、これからになりますが・・今回の執筆中のＢＧＭはＤ・ボウイの「チャイナ・ガール」らしいですよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/10

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  窓の記憶(1)◆新連載◆

  「金糸雀は二度鳴く」「金木犀は嘆く」に続く『火消し』シリーズ新作、連載開始です！！。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。「人でない者と人の子と」#01-1朱雀は”人でなくなって”から夜の外出を好む様になった。それは本来のお役目である「異人狩り」の為でもあったが、夜のドライブが楽しかったのだ。竹生（たけお）と三峰（みつみね）は風に乗り、天翔ける事を好んだが、朱雀は彼の目には真昼も同然の闇の中を、愛車を駆り気ままに行くのが好きだった。朱雀は”外”では表向きは大会社の社長であったから、それに相応しく外国車に乗っているが右ハンドルの車である。良くある独逸車ではなく、英国の深い森の色をした車である。内装も古き良き時代の香りがする。無味乾燥な合理性と機能性だけではなく、居心地の良さを感じさせてくれるのが、朱雀の好みに合っているのだ。朱雀は八年余りを夫婦として暮らした加奈子を数年前に突然に亡くした。クモ膜下出血だった。台所で倒れているのを発見され、そのまま意識が戻る事無く帰らぬ人となった。余り苦しまずに逝った事がせめてもの慰めだと、義理の息子の和樹と語り合った。和樹はすでに大学生になり、親離れが出来る歳になっていた。朱雀と和樹は、加奈子と三人で暮らした部屋を出て、別々に暮らし始めた。そして・・異人・鞍人（くらうど）とその妹の舞矢（まいや）に始まった佐原の村を揺るがす戦いで、朱雀はかつて恋人だった舞矢を自らの手で葬り去った。朱雀は加奈子の死後、和樹達と家族となる前に一人住まいしていた摩天楼のマンションに戻り、しばらく暮らしたものの、余りにも舞矢との思い出が多過ぎるこのマンションを結局は引き払い、今は別の場所で暮らしていた。やはり高層マンションの最上階で、広いベランダがあった。ベランダは”人でない者”達にとっては玄関の様な場所であった。そこから彼等は風と共に朱雀を尋ねて来る。朱雀の忠実な部下である進士は”執事”として、変る事無く朱雀の身の回りの世話をしていた。和樹は堅実な青年であったから、朱雀の援助が充分にあろうとも、大学生に相応なアパートを借り、倹しく暮らしていた。食事も自炊で器用に作っていた。和樹は義父の朱雀の様に人目に立つ美貌ではなかったが、落ち着いて知的な、人々に好感を持たれる青年になっており、それなりに女の子の影も周囲にちらほらしていた。朱雀と和樹は、お互いをほとんど干渉する事はなかった。朱雀は、相談をされれば助言を与えるが、学校も進路も選択は和樹の意志を尊重した。和樹は大学で経済を学び、在学中から朱雀の会社の経営に携わる様になっていた。今では専務として、社内でも様々な事をまかされる立場になっていた。その分、朱雀は身軽になった。和樹は『奴等』との戦いより、会社の経営の方が向いている様であった。古参の社員達も、将来の社長としての和樹を頼もしく思っていた。『火消し』の古本屋は、今も幸彦（ゆきひこ）が店主だったが、実際の切り盛りをしているのは三峰だった。幸彦と真彦の親子は古本屋のビルの二階で二人で暮らしていた。二人を守る為に、白神（しらかみ）を中心とした”盾”が同じビルにいた。そこには朱雀の会社の警備部の分室があった。白神と本社で警備部の部長となった磐境（いわさか）、佐原の村で盾の長となった久遠（くおん）等は密に連絡を取りながら、来るべき『奴等』との戦いに備えていた。幸彦と真彦の父子は、仲睦まじく暮らしていた。最愛の人であり母であった舞矢を失わねばならなかった痛みは残ったものの、「夢の力」を有する彼等は『奴等』との戦いを宿命付けられた自分達の事を受け止め、支えあい生きていた。三峰を始め、周囲の者達は二人を暖かく見守っていた。三峰に幸彦の守護をまかせた竹生は、古本屋のビルの地下で三峰と共に昼間の寝所を持っていた。”人でない”彼等は、昼間は全身を激痛に苛まれる。それを少しでも和らげる為に漆黒の闇の中に身を横たえているのだ。そして地下にはもう一人、目覚めぬままに時を過ごしている者がいた。竹生はそれを見守っていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  2006/12/09

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