窓の記憶(96)「知られざる再会」#32-3
「知られざる再会」#32-3「私の血は、必要以上に摂れば毒になる。これの胃も何もかも、荒れておろう」鍬見(くわみ)は、聴診器を慎重に横たわる朔也の胸に当てていた。「心臓にも、負担がかかっております」竹生は無表情のままであったが、その手は朔也の髪を撫でていた。「そうか」部屋に飛び込んで来た黒猫のヨミの様子に、何かがあったと直感した桐原は、一緒にいた鍬見を連れて、ヨミの走る後を追って来た。そして鍬見と二人で、朔也の服を着替えさせ、血糊を拭い取ったのだ。桐原が静かな口調で言った。「朔也様は、百合枝様のお部屋へ行く事を控えておられます。紫苑様がいらっしゃる百合枝様のお身体を、気遣っての事でしょう」鍬見は訴えるように言った。「このままでは、朔也様は弱っていかれるばかりです。百合枝様にご負担があまりかからぬ程度に、お力を・・」「だめ・・百合枝さん・・」意識がないと思われていた朔也が、弱々しく抗議をした。「私は・・もう、いい・・」目を開けるのも億劫なのか、その瞳は閉ざされていた。苦しい息を吐きながら、朔也は言った。「竹生・・さまにも・・百合枝さん・・にも・・これ以上・・私は・・」「馬鹿を言うな」竹生は言った。「お前が何を言おうと、私は聞かぬ」竹生の白く長い髪がなびいた。竹生は静かに出て行った。朱雀は、屋敷内の荒れた気配を感じ取っていた。百合枝の傍らから身を起こし、薄いグリーンの寝巻の上に、素早く紺色のガウンを羽織った。扉を開けると竹生が立っていた。「百合枝の力が必要だ」竹生はそれだけ言った。朱雀は朔也の事だと即座に理解した。寝物語に、百合枝は朔也が最近あまり姿を見せない事を嘆いていたのだ。朱雀は竹生を中に入れた。竹生は百合枝の枕元に歩み寄った。百合枝もそれとなく気配を感じ、目を醒ましていた。「百合枝・・お前に頼みがある」竹生が命令ではなく、頼み事をするなど、めったにない事である。「朔也を救ってやって欲しい」「朔也さんが、どうかしたのですか」「救ってくれるなら、私はお前のどんな願いでも聞いてやる。私に出来る事なら、何でもしてやる」百合枝は微笑んだ。「何をおっしゃるのです。竹生様は、今でも私を守って下さっています。それに、朔也さんも、この家の大事な家族ですもの」「すまぬ」竹生は百合枝に頭を下げた。これもありえない事であった。百合枝は首を少し上げ、竹生の後ろで控えていた朱雀の方を見て言った。「貴方、私を朔也さんの所へ連れて行って下さいな」「ああ、良いとも」朱雀は、百合枝を毛布で包むと、抱き上げた。百合枝は朱雀に言った。「幸彦様も、ご心配なさっているのね。朔也さんが苦しまぬ様に、夢を・・」竹生もそれを感じていた。幸彦は夢の中で、朔也に語りかけていた。二人が心を許しあい、竹生に見守られながら過ごした頃の思い出を。朔也の隣に、朱雀はそっと百合枝を横たえた。竹生は朔也の手を取り、百合枝の胸に載せた。暖かい力が、百合枝から朔也に流れ込んだ。やがて朔也は、皆の見守る中で目を開けた。隣の百合枝に気がつき、百合枝に触れている手を引っ込めようとした。「駄目よ、朔也さん」百合枝は子供をあやす様に言った。「こんなになるまで、我慢するなんて、いけない子ね」「百合枝さん・・疲れる・・」「大丈夫よ。貴方が元気にならないと、皆が心配するでしょ」「みんな・・」「竹生様も、私も・・柚木君も、幸彦様も。ここにいる皆が、貴方を心配しているのよ」「でも・・私は・・竹生さまの・・人形だから・・」「ならば、私の言う事を聞け」竹生が、百合枝の胸の上の朔也の手に、自分の手を重ねた。「お前は、私が死ねと言うまで、死んではならぬ」「竹生・・さま・・」「生きよ、朔也。お前が愛した子供達の行く末を見届けるまで」百合枝はささやいた。「明日からは、ちゃんと来てね。私に、あのお話の続きを聞かせてちょうだい」「桃の花の・・?」「ええ、綺麗な花の咲く桃の木のある村のお話を」「はい・・」朔也は百合枝の方を見て微笑んだ。百合枝を除いて、この部屋にいる者達は、皆その桃の木の事を知っていた。何故ならば、その桃の木のある村が、皆の故郷であったから。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『窓の記憶』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・