(終)白木蓮は闇に揺れ(23)
鍬見はこの道の先に渦巻いている不穏な気配を感じた。助手席の詩織は何も気づいていない。「何があっても、指示通りの道を行け」朱雀は言った。(朱雀様を信じよう)鍬見は迂回せず、そのまま進む事にした。悪意にどんどんと近づいて行く。それでも鍬見は止まらなかった。不意に圧倒的な気配が前方に広がった。閃光が空をよぎった。白き炎が影を一瞬で焼き尽くしたかの如く、一切の悪意は消え去った。優雅なる白き風は二人の乗る車の上をあっという間に翔け抜けていった。鍬見にはそれが何であるか、解った。(三峰様・・)二人の進む道を白き守護者が守っている。鍬見は心の中で三峰に頭を下げた。無言のまま、車は夜の底を走っていた。不意に詩織が口を開いた。「ねえ、さっき感じたの」「何を?」四方に気を配ったまま、鍬見は聞いた。「夜空に燃え上がる、白く美しい炎を」詩織も三峰の存在を感じ取っていたのだと、鍬見は思った。「白い木蓮が、夜に咲いているのを見た事がある?」「いや、ない」「闇の中に、白く空に向かって開いた花がね、まるで白い炎のようなのよ。それを思い出したわ」ハンドルを握る鍬見の手に、詩織はそっと自分の手を重ねた。「私達を守ってくれる炎だったのね」朱雀と別荘に向かう車中にある時、今後に役立つあらゆる事柄を朱雀は鍬見に教え聞かせた。白神との取引に関しても包み隠さずに語った。野に下り、密かに『奴等』の芽を摘む事、それが鍬見へ与えられた役目であった。それと引き換えに鍬見は生かされたのだ。鍬見の目頭が熱くなった。朱雀が部下としての自分に寄せていた深い信頼ゆえに、こうして何もかも打ち明けているのが伝わって来た。この人になら一生お仕えしたい。鍬見に限らず、朱雀の配下になった者は誰もがそう思う。今その人の下を去らねばならぬ自分が口惜しくてならなかった。と同時にその人の思いを裏切ってはならぬ、詩織を必ず幸せにしなければならぬという決意もまた新たにしたのであった。鍬見は頷いた。「そうだ、私達は多くの方々の手で生かされている」朱雀や三峰だけではない。白神は名刀神星を手にしていた。その真の持ち主は竹生である。白神はあえて刀の銘を口にする事で、そこに竹生の意思をもある事を鍬見に知らせたのだ。「私達が幸せになるのが、何よりもの恩返しになる。だから・・」「大丈夫」詩織は微笑んだ。「大丈夫、私達はきっと・・」白き風が過ぎ去っても、風はどこまでも二人を見守るかの如くに、深まる夜の中を吹いていた。(終)