金木犀は嘆く 第13話 その3(最終回)
幸彦と真彦が並んで眠る部屋の天井から、干瀬は二人を見下ろしていた。斤量が隣へやって来た。斤量は干瀬にささやいた。「真彦様も、これで落ち着かれると良いな」干瀬もささやき返した。「”外”へ行くらしいぞ」「私も付いていく。まだ敵はいるからな」「ならばワシは、ここに残り柚木を守ってやろう」二人は真彦の手が幸彦の布団の端を握っているのを見た。干瀬は青い手を伸ばして、真彦の肩に布団を引き上げてやった。「子供達は、まだまだ試練が多いのだな」「お前の目には、哀しみしか見えぬのか?」斤量が聞いた。「いや」干瀬は斤量を見て微笑んだ。「幸せな事もある。ワシはその時まで、真彦と柚木を見守るつもりだ」「私もだ。二人の子供のそのまた子供まで、ずっと見ていたいものだな」「ああ、それくらいの時など、あっと言う間に過ぎてしまう」「我等にはな」二人の背後で羽ばたく気配がした。更紗だった。「真彦様も斤量も、しばらく留守にするのか。更紗は寂しい」干瀬は振り向いて陽気に言った。「ワシはずっとおるぞ」更紗はつんとして言った。「更紗は水は好かぬ」干瀬は肩をすくめた。「まあ、斤量がいない分、働くというのなら、口くらい聞いてやるぞ」干瀬は更紗にいたずらっぽい笑顔を向けた。「ありがたい事だ」執務室の自分の席で書類に目を通していた高遠の元に、部下の滋野(しげの)がやって来た。「朱雀様の車が見当たりません。お一人で村を出られたようです」「そうか」まだ戦いの事後処理は終わっておらず、執務室も盾の詰所も慌しい気配に満ちていた。今後の事を相談しようと、高遠は滋野に朱雀を迎えにいかせたのだが、朱雀のブリティッシュグリーンの車は、すでに走り去った後だったらしい。かつての恋人を自らの手で殺したのだ。その場所から一刻も早く遠ざかりたいと思うのも仕方の無い事であろう。高遠は書類に目を戻した。暗い国道を朱雀の車が疾走して行った。(私がキミの名を呼ぶ時は、すべてを捨てる時だろうな)朱雀は十年前に自分が舞矢に言った言葉を思い出した。(失った人の身代わりでもなく、過去のつぐないでもなく、今ここにいる舞矢、君の為に戦おう・・)摩天楼で交わした愛、あの時にすべてが終わっていたら・・不意に金木犀の香りが車内に漂った。朱雀は車を止めた。暗闇を見通す朱雀の目が、座席の下にあるものを見つけた。それは枯れた金木犀の一枝だった。すがれてはいても香りは微かに残っていた。(命がこの世から消えても、思い出は残るのだろうか。この花の香りの様に・・)朱雀の視界がぼやけた。世にも稀な美貌と剛毅さを兼ね備えた男の目に涙があふれていた。それは”人でない”者になって、初めて流した涙だった。朱雀の命は長い。(私はキミを忘れない。キミのすべてを・・それが私に出来る唯一の償いだ、舞矢・・)朱雀は枯れた花を握り締めた。乾いた音を立て、花は砕けて散った。(終)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・