台風の被害に遭われた皆さんに心よりお見舞い申し上げます。
この度の台風19号は、大きな被害を持たらしました。被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。宮城県でも大きな被害がありましたが、私どもの工房は、おかげさまで被害がなく、みな元気でおります。写真は今日の野外ギャラリーです。いつもは川の水は見えないのですが、水かさが増して見えています。水は奥の方の木立まで来たかなあ、どうかなあ、というところです。カタログとホームページ作品集の石んこ地蔵のお顔。8タイプを並べました。左から、ありがとう、ほほえみ、やさしさ、祈り、願い、安らぎ、ほっこり、開口おーいい、とふたり。この奥の方にも川の水が見えています。これは別の日に撮ったもの。石んこ地蔵やさしさ左側の石んこ3人家族は、明日、納品です。お隣、村田町、蔵の町のお店の前に置かれます。村田の藏の町では、10月18日、19日、20日の3日間「陶器市」が行われます。道に並ぶ蔵や店舗の中で、全国各地からの陶芸の作家さんが集まって販売します。さて、私は台風19号が来た10月12日は、宮城県柴田町の白石川の堤防から2軒目の実家に居ました。この先は、自分の備忘録であります。NHKのデータ放送の白石川の水位を気にしながら午後10時半ころまで過ごしていましたが、水位が危険なところまで来たので、避難所に行こうという事にしました。地区の指定避難所に84歳の両親を載せて車で行くと、既に駐車場は満杯。雨の中、遠くに路上駐車をしてあるのも大変です。あきらめて帰宅。すると、緊急メールで、別の、小学校の体育館を避難所をして開放したとのお知らせ。また車に乗り込み、小学校へ。行く途中の道路では、何か所が冠水があり、勢いつけて車が停まらないように進みました。でも、ハイブリット車は水をかぶったらおしまい、と言われていたので、ドキドキです。車を停めた校庭から体育館まで、風雨の中歩きます。大きな水溜も。カッパは母に貸し、自分やヤッケのようなものを着ていましたが、中の上着も、2枚重ねのジーパンもびしょびしょです。おまけに私の長靴は片方に穴が開いていたようで、靴下もびちょびちょ。さて、避難所へ。まずは名前と住所を書いて。指定避難所ではないので、体育館にはパイプ椅子しかありません。小学校に着いたのが11時でした。父は特に落ち着かず、椅子に座って一点をじっと見つめている様子。1時ころになって、毛布が届けられました。それもひとり1枚はなく、まずは小さい子とお年寄りから。雨も降っているし、毛布くらいあるだろうと軽い気持ちで、枕代わりにと小さいクッションだけ持って行きました。が、避難して来る家族の中には、シートや寝袋や毛布や、ちゃんと自分たちで用意している方が多かったです。着替えや大きなゴミ袋を何枚も持ってきていた近所の同級生。ビニル袋を防寒に貸してもらいました。が、避難所に行くなんて、考えてもいなかったのです。そんなにひどくないだろうと。避難所の体育館は100人弱の人たち。1時半ころから毛布が配られると徐々に眠りはじめ、ほとんど音がしなくなりました。静かな1時間半あまり。3時に父がトイレに起きると、雨が止んでいました。母が、帰ろうか、と言い毛布は、近隣の家族に渡して体育館を後にしました。さて、家に着く手前100mくらいのところの道路、冠水です。長靴で歩いて確かめると、長靴の丈よりも高く水が来ています。車をバックさせ、別の道へ、そして迂回して反対側から家に向かいました。家のすぐそこまで100mくらいずっと冠水してました。避難がもし遅かったら、冠水のため、車での避難はできなかったかもしれません。朝になり、堤防の上に川を観に行きました。水が来ていたであろう草の跡は、階段の段数から予想して、てっぺんから150cm弱でしょうか。けっこう上まで川の水は来ていました。今回は、何事もなく、しかも4時間ほどの避難所でしたが、年寄りを連れての避難は特に大変だと思いました。どの時点で避難を決定するか、避難しない選択か、決めるタイミングが難しい。車での避難は冠水を想定しておくこと。避難所で必要なものを考えて用意しておく。そして、着の身着のまま、8年前の震災では福島の原発事故のあとに避難した皆さんは、きっとこんなふうにしてきて、すぐに戻れるだろうと思っていのです。ところがそのまま帰れなかった。とても想像できません。自分たちは、被害もない家にちゃんと戻ることができました。ほんとうに幸いです。もう少し水が上がっていたら、堤防が決壊したら、と思うと、ぞっとします。また、年寄りを連れて、雨の中の避難。これも、歩くのが困難だったり転んだりと、リスクも伴い危険です。せめて、2階建てだったら2階に避難していたかもしれません。朝、実家から、工房と家のある川崎町へ。大河原町では至る所、道路が冠水していました。抜ける道3か所すべて冠水で、先に進めません。とりあえず実家に戻って、昼過ぎにまた出ました。今度は柴田町の入間田方向から村田町に入るルートです。ここはすごく婚ではいましたが、冠水はありませんでした。というか、冠水したところを復旧させた後でした。