報徳記を読む 現代語訳 第一集 報徳記巻の1 第四 資料集 この人には清教徒(ピューリタン)の血の通っている所があった。
2022年4月30日報徳記を読む 現代語訳 第一集 報徳記巻の1 第四 資料集The man had a tincture of Puritanic blood in him; or rather he was a genuine Japanese undefiled yet by the Greatest- Happiness- Philosophy of the Occidental importation. He also found men who believed in his words, his good Lord the first of all. How did the Western "civilization" change us within a hundred years or so!The plan was adopted, and our peasant-moralist was to be the virtual governor of these villages for ten years. But sad was he to leave the restorative work of his ancestral property only half-completed. To a man of his ardent sincerity anything but a whole-souled devotion to any enterprise is sin; and now that he undertakes a public work, his private interests are to be wholly disregarded. "He that would save the homes of thousands can do so only at the expense of his own home," he says to himself. He gets his wife's consent to the sacrifice of their cherished hope, tells all of his decisions "audibly at his ancestors' graves," finishes up his home, and like a man bound for another world, he leaves his native village, "burning all ships behind him,; and enters upon the task he so boldly guaranteed to his Lord and countrymen.With the details of his "battles with wilderness, and wildness of his people's heart," we will not concern ourselves at present. Of arts and policies he had none. His simple faith was this, that "the sincerity of a single soul is strong enough to move both heaven and earth." He denied to himself all sweet things, put on nothing but cotton stuffs, never ate at his people's houses, slept only two hours a day, was in the field before any of his men was, remained there till all left, and himself endured the hardest of lots that befell his poor villagers. 《英文一六五ページに対応》この人には清教徒(ピューリタン)の血の通っている所があった。あるいはむしろ、この人はいまだ西洋直輸入の「最大幸福哲学」に汚されていない純粋の日本人であったと言うべきである。彼にもまた、その言葉を信ずる人々があった。彼の藩侯は、その最初の人であった。百年内外のうちに、西洋の『文明』はいかに我々を変化させたことか!そのプランは採用された。そして我が農民道徳家は、十年間、これら諸村の事実上の長官たることとなった。しかし彼は、先祖の家産を復興せんとする事業をわずか半ばにして放棄することが、悲しかった。彼のような熱誠の人にとりて、どのような事業に対しても全心をささげないことは、罪である。今や公の事業に着手する以上、自分の、私の利害は全然無視されるべきである。『万家を全(まった)くせんとして、一家を廃す』と、彼は自己に向って語った。彼は妻の同意を得て自分達の宿望を犠牲にし、その決心をことごとく『先祖の墓前に物言うごとく』告げ、家を畳み、他の世界に赴(おもむ)く人のように『背後の舟を焼いて』故郷を去り、彼が藩侯と国人(こくじん)とに、このように大胆に保証したところの仕事に入って行ったのである。彼がどのように『土地の衰微と人気の汚職』と戦ったか、私は今ここにその詳細を述べないであろう。術策と政略とは彼には皆無であった。彼の簡単な信仰はこれであった。すなわち『至誠の感ずる所、天地も之が為に動く』と。彼はすべての美味佳肴(かこう)をしりぞけ、綿衣のほかは着用せず、決して民家にて食をとらず、一日わずか二時間眠り、部下の誰より先に畑にあり、全ての者の立ち去るまでそこに留まり、このようにして貧しい村民に臨んだ最も困難な運命を彼自身、堪(た)え忍んだのである。令和4年2月26日現在「報徳記を読む」第一巻全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年3月発行)蔵書図書館一覧 全 62図書館国立国会図書館 都道府県立図書館 35図書館北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、栃木県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、奈良県、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、広島県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、宮崎県、鹿児島、沖縄県市区町村立図書館 192図書館(北海道)札幌、江別市、富良野市、旭川市、北斗市、帯広市、苫小牧市、小樽市、恵庭市、北見市、釧路市、芦別市、岩見沢市、比布町、京極町、美幌町、八雲町、厚岸町、別海町、佐呂間市(青森県)八戸市、十和田市、五戸市、五所川原市、藤崎町、板柳町、弘前市、平川市、三戸町、六ヶ所村、おいらせ町、野辺地町(秋田県)横手市(岩手県)盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、金ヶ崎町(山形県)米沢市(宮城県)石巻市、名取市、加美町(福島県)郡山市、相馬市、南相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、須賀川市、南会津町、三春町、新地町、(栃木県)足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市(茨城県)水戸市、ひたちなか市、土浦市、筑西市、常総市、桜川市、笠間市、常陸太田市、ゆうき市、八千代町(群馬県)藤岡市、館林市、渋川市、富岡市(埼玉県)さいたま市、所沢市、越生町(千葉県)千葉市、鎌ヶ谷市、市原市、流山市、成田市(神奈川県)横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、南足柄市、横須賀市、二宮町、寒川町(新潟県)五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)長野市、安曇野市、松川村、白馬村、(静岡県)静岡市立清水、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、富士市、森町、小山町、川根本町(富山県)富山市、滑川市、黒部市(石川県)金沢市、加賀市、羽咋市、七尾市(福井県)あわら市(愛知県)名古屋市、安城市、岡崎市、新城市、武豊町、愛西市、豊川市、津島市(三重県)名張市(京都府)南丹市、京丹後市(奈良県)奈良市(大阪府)大阪市(兵庫県)姫路市、三田市、赤穂市(島根県)松江市(広島県)広島市(山口県)防府市(徳島県)三好市、吉野川市、牟岐町、阿波市、小松島市、松茂町(香川県)善通寺市、観音寺市、高松市、東かがわ市(高知県)土佐市、四万十市、南国市、いの町(愛媛県)西条市、今治市、西予市、大洲市、伊予市、八幡浜市(大分県)佐伯市、臼杵市、日田市(長崎県)長崎市、佐世保市(佐賀県)多久市(熊本県)上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)宮崎市、都城市、えびの市、小林市、日南市、延岡市(鹿児島県)薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町、大崎町、南大隅町(沖縄県)石垣市、北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください。☆彡 鈴木藤三郎 「職務本位主義」・職務を本位として誠心誠意、力のある限り、各自の職に尽くすべきものである。今日世間に現存している人間はいかなる身分のものでも、天地の恵みと祖先の遺徳とによりて、現代の開明に浴しているのであります。すなわち学問でも、教育でも、政治でも、宗教でも、はた、農工商その他いやしくも人間社会における一切の事物は、ことごとく、我らの祖先が数千年前の有巣時代穴居時代より今日までに、経験工夫のかずかずを積みて遺されたる賜物であることは、誰人も熟知のことであります。然らば天地の恵みは申すまでもなく、祖先の遺徳の大なることは、到底言葉で言いあらわすことのできることではない。 故に人たるものはこの大恩徳を報いる心がけが必要であることを了知すると同時に、その実を挙げねばならぬ。これがすなわち報徳の行いである。然らばいかなることを為してこの大恩徳に報いることができるかと申せば、現代の我々は倍々勤労を積みて、人の幸福となるべきことを拓き、祖先の遺徳に加えてこれを後代に譲り、子々孫々、またかくのごとくにして、数百千代の後には、この世界をして、ついに円満無欠の楽土となすようにつとめること、これがすなわち右申す大恩徳に報いる所以でありまして、また、実に人間仲間に、一貫したる人生の大目的でなければならぬ。 人々がこの大目的を達せんとするには、もとより方法と手段とが必要であります。人間仲間には古よりそれぞれ職務を分担するという最も便宜なる習慣が自然に成立しておりますから、人々が銘々にその職務を完全につとむるというだけの事であると私は存じます。 職務というものは皆、直接自己のために勤めるように心得るものもありますが、その実は左様で無い。何の職務でも、自己のためには間接であって、まずもって、他人のために勤めることに事実がなっている。人々が職業を本位として職務のためには、一切の私事を犠牲として、誠意専心、勤労をなすときは、自ら人間仲間に、一貫した前述の大目的に適うようになってくる。 職務を本位として勤労を尽すことが、人生に一貫したる大目的に適うが故に、自然の報酬としてあるいは立身出世をなし、あるいは富貴福徳を得、あるいは名誉尊敬をうけ、遂に万世に不朽の令名を伝えるなど、その形は種々かわるが、ともかくも、その人の勤労に対して、尊ぶべき報いが期せずして来ることは、古来の歴史に明らかです。 人たる者は自己の職務を本位として、一生懸命に働かねばならぬ。これがすなわち報徳訓の義に適うものである。💛「カフカの階段」と呼ばれるものがある。カフカの「父への手紙」より「たとえてみると、ここに2人の男がいて、一人は低い階段を5段ゆっくり昇っていくのに、別の男は1段だけ、しかし少なくとも彼自身にとっては先の5段を合わせたのと同じ高さを、一気によじあがろうとしているようなものです。 先の男は、その5段ばかりか、さらに100段、1000段と着実に昇りつめていくでしょう。そして振幅の大きい、きわめて多難な人生を実現することでしょう。しかしその間に昇った階段の一つ一つは、彼にとってはたいしたことではない。ところがもう一人の男にとっては、あの1段は、険しい、全力を尽くしても登り切ることのできない階段であり、それを乗り越えられないことはもちろん、そもそもそれに取っつくことさえ不可能なのです。意義の度合いがまるでちがうのです。」まことにカフカのいう「着実に一つひとつ小さな階段を上っていく」ことが「小を積んで大をなす」という報徳の考えである。それは「自然」を科学的に観察した結果二宮金次郎が悟ったこの世界の原理である。