三河一向一揆 英雄たちの選択
英雄たちの選択 「家臣団分裂!若き家康・最大の試練 ~三河一向一揆の衝撃~」桶狭間で今川義元が討たれた直後、若き日の徳川家康は織田信長と組んで今川からの自立と三河統一を目指す。闘いが続く中、さらなる敵が現れる。三河一円に勢力を張っていた一向宗だ。まるで城郭のような堅固な寺院を拠点に、経済的にも軍事的にも圧倒的な力を持っていた。さらに家康の有力家臣たちも一向宗側についてしまう。家臣団分裂という大ピンチを家康はいかに切り抜け、三河統一を果たすのか?7月13日のNHK放送若き日の徳川家康は三河でおこった一向一揆に いったん和議を結んでいながら一揆の首謀者たちが藩をさるや、約定を破って一向宗の基盤をことごとく破却する。浄土真宗方「前々之ごとく」と約束した❗️家康「この寺が建つ前は野原だからこの寺は取壊して野原にする。」この文言を自分たちの都合のいいように解釈して、目的を達するやりかたは、その後、秀吉方をつぶすときにも行われる。「国家安康」→家康を切り離し、呪詛した。「外堀は徳川で、内堀は豊臣で埋める。」→「外堀すぐに埋めたから、ついでに内堀も埋めときま~す」しかし三河一向一揆では和議後、一揆方の殺戮はしない。これが源頼朝と違うところで、一揆側の武士やのちに武田方の武士なども受け入れて最強の軍団に成長する要因となる。