経済生活における新しい精神の貫徹という決定的な転換を生み出したのは、厳格な生活のしつけのもと厳密に市民的な物の見方と「原則」を身につけたゆみなく綿密に徹底的に物事に打ち込んでいくような人々だった
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(岩波文庫)p.78経済生活における新しい精神の貫徹とという、外観上は目立たないが、しかしこうした決定的な転換を生み出したのは、通常、経済史上どの時代にも見られる命知らずの厚顔な投機屋や冒険者たち、あるいは端的に「大富豪」などではなくて、むしろ厳格な生活のしつけのもとで成長し、厳密に市民的な物の見方と「原則」を身につけて熟慮と断行を兼ねそなえ、とりわけ醒めた目でまたたゆみなく綿密に、また徹底的に物事に打ち込んでいくような人々だったのだ。p.159ピューリタニズムの文献のうちでもっとも広く読まれたバニアンの『天路歴程』のなかで、「クリスチャン」が「滅亡の町」に住んでいることに気付き、一刻も躊躇せず天国への巡礼に旅立たねばならぬとの召命を聞いてからあととった態度の描写を見るべきである。妻子は彼にとりすがろうとする。が、彼は、指で耳をふさぎ、「いのちを、永遠のいのちを!」と叫びながら野原をかけ去って行く。根本においてただ自分自身を問題とし、ただ自分の救いのみを考えるピューリタン信徒たちの情感を描き出したものとして、どんなに洗練された筆致も、この獄中に筆をとって宗教界の好評を博した鋳掛屋の単純な感覚に及びえない。天路歴程(Pilgrim’s Progress)この世の荒野をさまよっているうちに、ほら穴のあるところにさしかかり、そこに身を横たえて眠った。眠っているうちに夢を見た。(As I walked through the wilderness of this world, I lighted on a certain place where was a Den(注1), and laid me down in that place to sleep ; and as I slept, I dreamed a dream.)その夢の中で、見るとボロをまとった一人の男が顔をその家からそむけ、手に一冊の本を持ち、背中に大きな荷物を背負って、ある場所に立っていた。(I dreamed, and behold, I saw a man clothed with rags, standing in a certain place, with his face from his own house, a book in his hand, and a great burden upon his back.)私は眺めた。彼がその本を開いて、それを読んでいるのを見た。読みながら彼は泣いて震えていた。とうとう耐え切れなくなり悲しそうな声で叫び出した。『私はどうしたらいいだろう』と言いながら。(I looked and saw him open the book, and read therein; and as he read, he wept and trembled; and not being able longer to contain, he brake out with a lamentable cry, saying, “What shall I do ?”)注1 「天路歴程」の構想は、バニヤン(John Bunyan)が獄中にいたとき得られた。Denにはthe Jail(拘置所)と傍注されていることから確実であるという。(BUNYAN中野好夫著p79)バニヤンは1675年の夏から冬へかけての牢獄生活中に偶然構想を得て、獄内で3分の2以上を完成し、たまたま釈放にあい中断し、翌1676年中に完成されたものであろうとされる。こういう状態で、それから彼は家に帰り、妻や子どもがその苦しみを見つけないように、できるだけ長い間、自分を抑えていた。しかし、その苦しみが増えてきたので、長くは黙っていることができなくなった。(In this plight, therefore, he went home, and restrained himself as long as he could, that his wife and children should not perceive his distress; but he could not be silent long, because that his trouble increased.)それで、ついに、その妻と子供たちに心をうちあけ、このように語り始めた。「ああ、私の愛する妻よ」と彼は言った。「またお前たち、私の身を分けた子どもよ、お前たちの親しい友であるこの私は、私の上にひしと横たわる重荷のために自ら破滅に陥っている。その上、この私たちのまちは天の火で焼かれ、その恐ろしい瓦解のなかで、私自身も、私の妻、お前たち、私の愛する子らもろともに、何かのがれる道(それが私にはまだわからないのだ)を見出すことができて、それでもって救われるということにでもならなければ、滅び果ててしまうということを確かに教えられている。」(Wherefore at length he brake his mind to his wife and children; and thus he began to talk to them: “O, my dear wife,” said he, “and you the children of my bowels, I, your dear friend, am in myself undone by reason of a burden that lieth hard upon me; moreover, I am certainly informed that this our city will be burnt with fire from heaven; in which fearful overthrow, both myself, with thee my wife, and you my sweet babes, shall miserably come to ruin, except (the which yet I see not) some way of escape can be found whereby we may be delivered.”) バニヤンはすでに8,9歳の頃から、異常な想像力と病的にちかい感受性が目立っていた。常人には見ることのできない宗教的恐怖心となって悪夢のように彼を苦しめたと告白している。そうした彼自身の体験が投影されているため生き生きとした冒頭部分の恐怖として描かれているのかもしれない。「子供の頃、神さまはいろんな恐ろしい夢やおそろしい幻で私を驚かしました。・・・私はまた審判の日を思い、日夜悩みました。そして地獄の劫火の苦しみを思い震えました。」これを聞いて身内の者はひどく驚いた。彼が言ったことを本当だと思ったからではなく、何か狂気じみた病気がその頭を侵したと思ったからである。それで、夜に迫っていた時でもあったから、眠りがその頭脳を落着かせることもあろうかと思って、早々床に就かせた。(At this his relations were sore amazed; not for that they believed that what he had said to them was true, but because they thought that some frenzy distemper had got into his head; therefore, it drawing towards night, and they hoping that sleep might settle his brains, with all haste they got him to bed.)しかしながら、夜は昼と同じように苦しみに充ちたものであった。それで、眠るどころか、ため息と涙でその夜を明かした。朝になった時、皆の者は気分はどうか、と尋ねた。「ますますよくない」と彼は言った。(But the night was as troublesome to him as the day; wherefore, instead ofsleeping, he spent it in sighs and tears. So when the morning was come, they would know how he did. He told them, “Worse and worse:”)それからまた語り出した。しかし家の者は冷酷になって来た。また、無慈悲な意地の悪い態度によって、その病気を払いのけようと思った。時にはあざけった。時には叱りつけた。時には頭から相手にしなかった。そこで彼はその部屋に閉じこもり、彼らのために祈り、彼らを憐み、また自分の哀れな身の上を嘆き始めた。彼はまた、ひとりで野原を歩くのであった。時には読み、時には祈りながら、こうしてしばらくの間、その時を過した。(he also set to talking to them again; but they began to be hardened. They also thought to drive away his distemper by harsh and surly carriage to him; sometimes they would deride, sometimes they would chide, and sometimes they would quite neglect him. Wherefore he began to retire himself to his chamber to pray for and pity them, and also to condole his own misery; he would also walk solitarily in the fields, sometimes reading, and sometimes praying: and thus for some days he spent his time.) さて、ある時のこと、彼が野原を歩きながら、いつもの習慣であったように、その本を読み、心の中で大変に苦しんでいるのを見た。読んでいるうちにも、彼はさきのように泣き出した。『救われるために、私はどうしたらいいだろう』と叫びながら。(Now I saw, upon a time, when he was walking in the fields, that he was (as he was wont) reading in his book, and greatly distressed in his mind; and as he read, he burst out, as he had done before, crying, “What shall I do to be saved?”) 私はまた見た。彼が走ろうとするかのように、この道、あの道と眺めているのを見た。しかし彼はじっと立っていた。というのは私にも分かったように、どちらへ行けばよいか分からなかったのである。私がその時眺めていると、その名をエヴァンジェリスト〔伝道師〕という人が彼のところへやって来るのを見た。その人は尋ねた。『なぜあなたは泣いているのですか』(I saw also that he looked this way, and that way, as if he would run; yet he stood still because (as I perceived) he could not tell which way to go. I looked then, and saw a man named Evangelist coming to him, and he asked, “Wherefore dost thou cry?”)彼は答えた。『私は私の手にあるこの本によって、私が死の宣言を受けていること。そしてその後に審判(さばき)を受けに行かなければならないことが分かったのです。そして私は、最初のことは望まないし、2番目のことは行うことができないと思うのです。』(He answered, “Sir, I perceive, by the book in my hand, that I am condemned to die, and after that to come to judgment; and I find that I am not willing to do the first, nor able to do the second.”)☆「ジョン・バニヤンの場合、父親は、ベドフォードシャのハロウデンにかろうじて生計を立てているだけの家と9エーカーの土地をもっていたが、鋳掛け屋(鍋釜等の修繕)として収入を補っていかなければならなかった。したがって、土地保有面積からいえば農民、仕事からいえば貧しい職人ということになる。・・・結婚に際し妻が持参した2書、『民衆の天国への道』、『敬虔の実践』を読んだことが回心への一契機となった。『こうした因縁をもつ2冊の書物は、自分の罪深く哀れな状態に目を開かせるほど訴えはしなかったが、それでも信仰を持ちたいという気持ちをいくらかでも起こさせた』のである。ここで2つの点に注目しておきたい。バニヤンはこれを『時々、妻と一緒に読んだ』と述べている。『赤貧洗うがごとき状態』にあったこの家庭にあって、夫婦がともに識字技能をそなえていたと考えることは驚嘆に値しよう。さらにこの2書が広汎な読書を捉えていたことが注目される。前者は1603年から40年までの間に25版、1704年の40版までに10万部が印刷された。」(「ピューリタニズムと近代市民社会」今関恒夫p89-90)すると、エヴァンジェリストは言った。「この世にはこれほど多くの災いがつきまとっているのに、どうしてまた死ぬることを好まれないのですか。」彼は答えた。「なぜなら、背中に背負(しょ)っているこの荷物が私を墓よりも低く沈め、地獄に落ちるだろうと心配するからです。それに、私が牢屋へ行く用意さえできていないとすれば、もとより審判(さばき)を受け、そこからまた仕置きを受けに行く用意などはできていません。こんなことを思って泣いています。」(Then said Evangelist, “Why not willing to die, since this life is attended with so many evils?” The man answered, “Because, I fear that this burden that is upon my back will sink me lower than the grave, and I shall fall into Tophet. And Sir, if I be not fit to go to prison, I am not fit to go to judgment, and from thence to execution; and the thoughts of these things make me cry.”)すると、エヴァンジェリストは言った。「そういう事なら、なぜじっと立っていられるのです。」彼は答えた。「どちらへ行けばよいか分からないからです。」すると、彼は羊皮紙の巻物を渡した。その中には『来るべき怒りよりのがれよ。』と書いてあった。(Then said Evangelist, “If this be thy condition, why standest thou still?” He answered, “Because I know not whither to go.” Then he gave him a parchment roll, and there was written within, “Fly from the wrath to come.”) で、彼はそれを読み、それからエヴァンジェリストの顔を注意深く眺めながら、「どこへのがれるべきでしょうか」と言った。その時、エヴァンジェリストは(大そう広い野の上を、指でさし示しながら、)言った。「むこうの潜り門が見えますか。」男は言った。「いいえ。」すると相手は言った。「むこうに輝く光が見えますか。」 彼は言った。「どうやら見えるように思います。」 すると、エヴァンジェリストは言った。「あの光を目から離さないようにして、あすこまで真直ぐに進んでいらっしゃい。そうすると門をご覧になります。その門をお叩きになった時、どうすればよいかということが分かります。」(The man therefore read it, and looking upon Evangelist very carefully, said, “Whither must I fly?” Then said Evangelist, (pointing with his finger over a very wide field,) “Do you see yonder wicket-gate?” The man said, “No.” Then said the other, “Do you see yonder shining light?” He said, “I think I do.” Then said Evangelist, “Keep that light in your eye, and go up directly thereto, so shalt thou see the gate; at which, when thou knockest, it shall be told thee what thou shalt do.”)☆バニヤンはある日、商売をしながらベッドフォドの町を歩いていた。ある一軒の陽のあたる戸口で、3、4人の貧しい女が何か話し合っていた。バニヤンはソッと近づいて耳を傾けた。彼女たちの話は、新しく生まれ変わること、私たちの魂に働きたまう神のみ業、生れながらのわれわれがいかにみじめか、とそういったことに関してだった。彼女たちはまた自分達のみじめさ、不信仰について語り、自己の義というものをまるで厭わしい、何の役にもたたないように賤しみ、軽蔑し、嫌悪していた。 しかしバニアンには彼女たちは抑えきれない喜びにみちているように思えた。それまで自分の義をよりどころとしていたバニヤンの魂を、この女たちの会話は一瞬にして深淵の底に投げ落とした。バニヤンは新しい眼をもって聖書を読んだ。以前には興味をひかなかった聖パウロの手紙が生き生きと彼の目の前に蘇った。そして彼の深淵の苦悩が始まった。その貧しい女たちを通して、バニヤンはベッドフォドの説教者ジョン・ギフォドに接し、それまで主として自分の理知に頼り、ややもすれば神を試みようとする傾向があったが、聖パウロの言葉は「自分は選ばれているのか。もしも恩寵(めぐみ)の日が過ぎ去っていたらどうだろう」という不安が彼を絶望に投げ込んだ。「その貧しい女たちはどこか高い山の陽のよくあたる場所で、輝かしい日を浴びて生き生きとしているようでした。だのに私は寒い中で霜や雪や暗雲に苦しめられてひとりブルブルふるえているように思いました。」「私は思いました。私はもうきっと神さまに捨てられているのだ。もう救いの及ばない魂になってしまっているのだ、と。」 バニヤンのために伝道師Evangelistの役目を果たしてくれたギッドフォドと接して、バニヤンは祈りの生活に入る。絶えず祈り絶えず聖書によって力づけられた。しかも彼の苦悩はこの時期において最も深刻に襲われていた。 (「BUNYAN」中野好夫著p31-35) すなわち天路歴程は、バニヤン自身の霊的苦悩と救いの体験を物語りに託して記したもので、その実体験に基く「火のごときペン」(a pen of fire)が同時代人の魂を揺すぶったのである。そこで私は夢の中で彼の走り出したのを見た。さて、彼の家からまだ遠くは走っていないころ、妻と子どもはその後から帰れ、と叫び出した。しかし、その男は彼の指を耳の穴の中へ突っ込んで走り続けた。いのち、いのち、永遠のいのち!と叫びながら。こうして後をかえりみず、大野の真ん中へ向かってにげのびた。(So I saw in my dream that the man began to run. Now he had not run far from his own door when his wife and children, perceiving it, began to cry after him to return; but the man put his fingers in his ears, and ran on crying, Life! life! eternal life! So he looked not behind him, but fled towards the middle of the plain.) 近所の人々もその走るのを見るために出て来た。彼が走っている時、ある者は嘲り、他の者は脅かし、またある者は彼の後から、帰れ、と叫んだ。その中に力づくで連れて帰ろうとした二人の者があった。その一人の名はオブスティニットで、今一人の名はブライアブルであった。この頃には彼もよほど遠く離れたところに達していた。しかしながら、2人はあとを追おうと決心していたので、そのとおりに行い、やがて彼に追いついた。(The neighbors also came out to see him run and as he ran, some mocked, others threatened, and some cried after him to return; and among those that did so, there were two that were resolved to fetch him back by force. The name of the one was Obstinate and the name of the other Pliable. Now by this time the man was got a good distance from them; but, however, they were resolved to pursue him, which they did, and in a little time they overtook him.)すると彼が言った。「ご近所の方々、何のために来られたのですか。」彼らは言った。「あなたを説得して私たちと一緒に帰ってもらうために。」しかし彼は言った。「それは断じてできませんよ。あなたがたは、」と彼は言った。「滅亡(ほろび)の市(まち)に住んでいられる。そこはまた私の生れたところでもあるんです。私にはそうなることが分かっています。そうして、早かれ遅かれそこで死んで、あなたがたは墓よりも低く沈み、火と硫黄の燃えているところ〔地獄〕へ行かれるでしょう。ですから、ご近所の方々、あなたがたも安んじて私と一緒に行くことにしなさい。(Then said the man, “Neighbors, wherefore are you come?” They said, “To persuade you to go back with us.” But he said, “That can by no means be: you dwell,” said he, “in the city of Destruction, the place also where I was born: I see it to be so; and dying there, sooner or later, you will sink lower than the grave, into a place that burns with fire and brimstone: be content, good neighbors, and go along with me.”)オブスティニット 「何ですって、」と、オブスティニットが言った。「そうして私どもの親しいものや楽しみを後へ残すのですか。」クリスチャン 「そうです。」クリスチャンが言った。(というのは、これがその男の名であった。)「なぜなら、あなたがたのふり棄てるすべてのものでも私が授かろうと思っているものの少しのものに比べるほどの価値がないからです。もしあなたがたが私と一緒に行かれ、それを手に入られたならば、私と同じように暮らしていけるのです。なぜなら私の行くところには十分でなおありあまる程の物があります。さあ、まいりましょう。私の言葉をためしてごらんなさい。」(OBSTINATE: What, said Obstinate, and leave our friends and our comforts behind us! CHRISTIAN: Yes, said Christian, (for that was his name,) because that all which you forsake is not worthy to be compared with a little of that I am seeking to enjoy; and if you will go along with me, and hold it, you shall fare as I myself; for there, where I go, is enough and to spare. Come away, and prove my words.)☆バニヤンにはじめて罪の意識を自覚させたのは妻の感化だったという。「信仰の篤い父親に育ったものを妻にえましたことは私の幸せでありました。」「この女と私は全くひどい貧乏で、世帯道具といっても二人の間に皿一つ無い、サジ一つ無いといったありさまで一緒になりましたが、妻はその持物として、妻の父親が形見にのこしてくれたという『誰でも天国へ行ける途の話』、及び『神信心と実行』という本を持っておりました。」 この信心深い、貧しい日々をともにした妻を亡くしたバニヤンは、第二の妻エリザベスを迎える。 ブラウン博士は評した。「僅かに数画で、ある場合には名前をつけるだけで、抽象がたちまち血肉(flesh and blood)をもって生きてくる」The name of the one was Obstinateとは「強情」、the name of the other Pliableとは「柔弱」であり、抽象の名前を具体的人物像として、生き生きと描き出すのが「天路歴程」の一つの特徴である。オブスティニット 「世界のすべてのものを棄ててもそれを見つけようとなさるからには、あなたのお求めになるのは一体何ですか。」クリスチャン 「私は朽ちず、汚れず、また萎れてしまうこともない遺産を求めるのです。それは天に貯えられています。そこでは大丈夫であり、ある定められた時に、勉めてそれを求めた者に与えられることになっています。お望みなら、私の本の中にそう書いてあるのを読んで下さい。」(OBSTINATE: What are the things you seek, since you leave all the world to find them?CHRISTIAN: I seek an inheritance incorruptible, undefiled, and that fadeth not away; and it is laid up in heaven, and safe thereto be bestowed, at the time appointed, on them that diligently seek it. Read it so, if you will, in my book.)オブスティニット 「ちぇっ!」と、オブスティニットが言った。「本なんかどうでもいいのです。私どもと一緒にお帰りになるのですか、ならないのですか。」クリスチャン 「いや私は帰りません」、と相手は言った。「手を犂(すき)に置いたのですから。」(OBSTINATE: Tush, said Obstinate, away with your book; will you go back with us or no?CHRISTIAN: No, not I, said the other, because I have laid my hand to the plough.)オブスティニット 「では、さあ、まいりましょう。プライアブルさん、もう一度引き返して、この人を連れないで帰りましょう。世の中には頭の狂った利(き)いたふうな奴(やつ)どもがありましてな、何かふと思いついたことを考えると、わけの分かった7人の人間よりも、自分たちのほうが利口なように見えるもんですよ。」プライアブル すると、プライアブルが言った。「そう口汚くおっしゃるな。クリスチャンさんの言われることが本当なら、この人の求めるものは私どものより上です。私もこの方と一緒に行きたくなりました。」(OBSTINATE: Come then, neighbor Pliable, let us turn again, and go home without him: there is a company of these crazy-headed coxcombs, that when they take a fancy by the end, are wiser in their own eyes than seven men that can render a reason.PLIABLE: Then said Pliable, Don’t revile; if what the good Christian says is true, the things he looks after are better than ours: my heart inclines to go with my neighbor.)◎イギリスにおけるピューリタン革命とその反動は、このクリスチャンとオブスティニットの心理的対立に求められようか。プライアブルは当初クリスチャンに同調するのだが後にその圧制に反発して離反する。そしてオブスティニットとともにピューリタン革命覆滅に転ずる。 しかしクロムウェルのイギリス全土におけるピューリタン的神政という独裁のなかで、それまでイングランド、スコットランドといった地域的意識に分かれていたものが、成熟した市民意識(王権への盲目的服従から自主自律を重んずる)や資本主義の精神(勤勉、節制、余剰の享楽ではなく資本への再投資)のイギリス全土への波及となっていったのかもしれない。オブスティニット 「何ですって!まだこの上に愚かな人が出てくるのですか。私の言うことを聴いてお帰りなさい。こんな気の狂った人があなたをどこへ連れて行くか分かるものですか。お帰りなさい。聴き分けて。」クリスチャン 「いや、プライアブルさん、私と一緒にいらっしゃい。私の申し上げたようなものはお持ちになれますし、そのほかにもたくさんの立派なものをお持ちになれます。私をお信じにならないのなら、この書物のここのところを読んでください。そこに言い現してあることの真(まこと)は、どうでしょう。それを言い現わした人の血で確かめてあります。」(OBSTINATE: What, more fools still! Be ruled by me, and go back; who knows whither such a brain-sick fellow will lead you? Go back, go back, and be wise.CHRISTIAN: Nay, but do thou come with thy neighbor Pliable; there are such things to be had which I spoke of, and many more glories besides. If you believe not me, read here in this book, and for the truth of what is expressed therein, behold, all is confirmed by the blood of Him that made it.)プライアブル 「それじゃあ、オブスティニットさん」と、プライアブルが言った。「ようやく事がはっきりしてまいりました。私はこの方と一緒に行きます。そうして運命を共にいたします。しかし、お連れの方、あなたはその願わしいところへ行く道をご存知なのですか。」クリスチャン 「私は、エヴァンジェリストという名前の人に教えられています。私どもの前にある小さい門へ急ぐようにと。そこへ行けば道についての教えを授かるでしょう。プライアブル 「それならば、さあ、ぼつぼつ出かけましょうか。」オブスティニット 「私はまた、私の家へ帰ります。こんな血迷った、突拍子もない連中のお供は真っ平だ。」(PLIABLE: Well, neighbor Obstinate, said Pliable, I begin to come to a point; I intend to go along with this good man, and to cast in my lot with him: but, my good companion, do you know the way to this desired place? CHRISTIAN: I am directed by a man whose name is Evangelist, to speed me to a little gate that is before us, where we shall receive instructions about the way. PLIABLE: Come then, good neighbor, let us be going. Then they went both together. OBSTINATE: And I will go back to my place, said Obstinate: I will be no companion of such misled, fantastical fellows.)☆「天路歴程」は聖書についでよく読まれてきて、過去300年ほどの間に、百数十国語に訳されてきたという。「天路歴程は第2の聖書」とも呼ばれている。 オールコットの小説「若草物語」の序文には天路歴程が引用され、また驚くべきことに第1章の標題は「Playing Pilgrims」つまり「巡礼ごっこ」であり、作者オールコット家で行われていたらしい「天路歴程」ごっこという遊び(まねび)である。ピルグリム・ファーザーズ(1620年信仰の自由を求めてメーフラワー号で新大陸ニューイングランドに渡来,プリマス植民地を開いたピューリタン)に「天路歴程」が与えた影響というのは、現在では想像を絶するくらい大きかったようである。おそらくはアメリカ英語という分野もこの本の言葉の使い方や構想が深く影響を与えているかもしれない。マーチ夫人が持前の快活な声でこう言った。「みんな覚えていますか。あなたがた、まだ小さかったころよく『天路歴程』をして遊んだのを。重荷の代わりに私の小布袋をしょわせてもらって、帽子と杖と巻物をもって、地下室からずっと家中を遍歴して歩くほどお気に入りの遊びはなかったのよ。その地下室は『滅亡の町』で、そこからだんだんお家の屋根の上までのぼっていって、そこで天国をつくるためにいろいろな美しい物をみつけるんでしたね」(Mrs. March broke the silence that followed Jo's words, by saying in her cheery voice, Do you remember how you used to play Pilgrims Progress when you were little things? Nothing delighted you more than to have me tie my piece bags on your backs for burdens, give you hats and sticks and rolls of paper, and let you travel through the house from the cellar, which was the City of Destruction, up, up, to the housetop, where you had all the lovely things you could collect to make a Celestial City.) 若草物語(Little Women) 序さらばゆけ、ちいさき書(ふみ)よ、ゆきて示せ汝(なれ)をうけ入れ迎うなるなべての人へ汝が胸のおくどに秘めしことどもをかつ祈れ、汝が示せしことどものかれらのためによきことと浄められかれらみな汝と我とにいやまさりてよき巡礼となれかしと「慈悲(あわれみ)」につきてかれらに告げよ「慈悲」こそはいと若く巡礼に出でしものなればげに、若きおとめどち、来たらん世こそ貴きものと「慈悲」によりて学べかし、しかして賢くあれよ足かろきおとめらも聖者があとをふみゆかば神の御前に至るを得ん ―ジョン・バニヤンによる― さて、私は夢の中で、オブスティニットが帰っていった時、クリスチャンとプライアブルは大野を越えて話しながら行くのを見た。それから、こういうふうに話を始めた。(Now I saw in my dream, that when Obstinate was gone back, Christian and Pliable went talking over the plain; and thus they began their discourse.)クリスチャン 「さあ、プライアブルさん、どうですか、ご気分は。あなたが私と一緒に行くことを承知してくださったのは嬉しいですよ。オブスティニットさんでも、まだ目に見えないものの力と恐ろしさを私が感じたように感じられさえすれば、こう軽々しく私どもに背を向けられなかったでしょう。」プライアブル 「さあ、クリスチャンさん、ここには私ども2人のほかに誰もいないのですから、その物というのはどういうものか、どういうふうにしてさずかることができるのか、どちらに向かって私どもは歩いているのか、ということを、今、もう少し詳しく教えてください。」(CHRISTIAN: Come, neighbor Pliable, how do you do? I am glad you are persuaded to go along with me. Had even Obstinate himself but felt what I have felt of the powers and terrors of what is yet unseen, he would not thus lightly have given us the back.PLIABLE: Come, neighbor Christian, since there are none but us two here, tell me now farther, what the things are, and how to be enjoyed, whither we are going.)クリスチャン 「私は舌で言うよりも、心で考えるほうがいいのですが、しかし、まあ、あなたが知りたいと望まれるのですから、私の本の中にあることを読んでさしあげましょう。」プライアブル 「あなたはその本の言葉が確かに真(まこと)だと思っていられるのですか。」クリスチャン 「はい、本当にそう思っています。なぜなら、それは虚言(うそ)をつくことのできないお方がお作りになったのですから。」プライアブル 「結構ですな。そりゃ一体どういうことです。」(CHRISTIAN: I can better conceive of them with my mind, than speak of them with my tongue: but yet, since you are desirous to know, I will read of them in my book. PLIABLE: And do you think that the words of your book are certainly true? CHRISTIAN: Yes, verily; for it was made by Him that cannot lie. PLIABLE: Well said; what things are they?)☆貧しい鋳掛屋(鍋釜の修繕)だったバニヤンは、伝道者(エヴァンジェリスト)のギフォドとの出会いにより「まだ目に見えないものの力と恐ろしさを感じ」る(I have felt of the powers and terrors of what is yet unseen,)信仰の生活に入る。 ギフォドは、王党軍のmajor(少佐)で、放縦な青年だったが、1648年メイドストーンの戦いに、クロムウェル率いる議会軍のために敗北する。ギフォドは捕えられて死刑の宣告を受けるが、脱獄しベッドフォドに身を潜めた。同地で医者を開業したが、ある日異常な天啓を感じて回心し、友人12人とCongregionを広めた。彼の純粋で強烈な福音的キリスト教の信仰は、たちまちベッドフォドに及んだ。1653年には聖ヨハネ教会(St. John’s Church)を持ち、ギフォドは正式に説教師となった。 バニヤンがギフォドと接するようになったのは、この1、2年前であろうとされている。バニヤンは、この信仰の先輩を得て、それまで自分一人の力で解決しようとしていたことを改め、伝道者ギフォドに闘いのように罪の悩みからの助けを求める。絶えず祈り絶えず聖書を読んだ。この頃聖書に次いで彼の魂の糧となったmy bookはルターのガラテア書註釈であった。幾度かの絶望を経て、不断の祈りによってバニヤンは神の恩寵を確信した。「もはや暴風雨は去り、雷鳴はすぎ、おりおり名残の雨滴が降りかかる」(Now remained only the hinder part of the tempest,for the thunder was gone beyond me,only some drops did still remain.)「今こそ私の足から鎖はぬけ落ち、私は責め苦しみから解き放たれ、試みはあとなくなりました。」(Now did my chains fall off my legs indeed,I was loosed from my afflictions also fled away.)という歓喜につつまれ、1653年ギフォドからウーズ川(Bedford River)の水で洗礼を授けられ、聖ヨハネ教会の19番目のメンバーとなる。バニヤン25歳のときであった。1655年ギフォドは死に、偉大な先達を失う。ギフォドの後任の説教師はジョン・バートンだったが、彼は虚弱で、バニヤンは彼の代わりに講壇に立つようになる。バニヤンの説教師としての天分、豊富な想像と的確な表現力、深い聖書の知識、霊的経験は聴く者に非常な感銘を与えた。バニヤン自身は、「私は舌で言うよりも、心で考えるほうがいい」(I can better conceive of them with my mind, than speak of them with my tongue)村々を回り、神の福音を説くようになった。すなわち、Pilgrim’s Progress はバニヤン自身の霊的体験の記録を巡礼の物語に託したもので、しかもそれが類い稀な説教師としての資質とあいまって、キリスト教、なかんずくプロテスタント世界では聖書につぐ本としての位置を確立した。それは、宮澤賢治が自らの法華経信者としての信仰や感情そのものを童話にたくして赤裸々に書き込み、日本語世界を豊穣ならしめたのにも似ている。クリスチャン 「住むに果てしなき王国があり、私どもがその王国にとこしえに住むことができるように、限りなき生命(いのち)が与えられます。プライアブル 「結構ですな。そして、そのほかには?」クリスチャン 「私どもに与えられるための栄光(さかえ)の冠があり、天の蒼穹(あおぞら)の太陽のように私どもを輝かせる衣があります。」プライアブル 「そいつは愉快ですな。そして、そのほかには?」クリスチャン 「そこには最早泣く事も悲しみもなくなります。その場所の所有者である方が私どもの目から涙をぬぐってくださいますでしょうから。」(CHRISTIAN: There is an endless kingdom to be inhabited, and everlasting life to be given us, that we may inhabit that kingdom for ever. PLIABLE: Well said; and what else? CHRISTIAN: There are crowns of glory to be given us; and garments that will make us shine like the sun in the firmament of heaven. PLIABLE: This is very pleasant; and what else? CHRISTIAN: There shall be no more crying, nor sorrow; for he that is owner of the place will wipe all tears from our eyes.)プライアブル 「そこではどういうお友達がありましょうか」クリスチャン 「そこでは目も眩(くら)むばかりのもの、セラフィムやチェラビム(天使)と交わることになりましょう。そこではまた私どもより先にその場所へ行った幾千、幾万の人々に会うでしょう。その一人として害心を抱いている者のない愛に満ちた聖浄な人々です。誰も皆、神の見そなわしたもう所に歩いています。そうして神のいますところに永久にうけ入れられて立っています。一言で言えば、そこに私どもは黄金の冠をつけた長老たちを見るでしょう。そこに黄金の竪琴をもった聖なるおとめを見るでしょう。そこに私どもは、その場所の主たる君に対して抱いている愛の故に、世の中によって寸断せられ、炎の中に焼かれ、獣に食われ、海に溺らされた人々が、ことごとく健康で、不滅のいのちを衣のようにまとっているのを見るでしょう。」(PLIABLE: And what company shall we have there? CHRISTIAN: There we shall be with seraphims and cherubims; creatures that will dazzle your eyes to look on them. There also you shall meet with thousands and ten thousands that have gone before us to that place;none of them are hurtful, but loving and holy; every one walking in the sight of God, and standing in his presence with acceptance for ever.In a word, there we shall see the elders with their golden crowns;there we shall see the holy virgins with their golden harps;there we shall see men, that by the world were cut in pieces, burnt in flames, eaten of beasts, drowned in the seas, for the love they bare to the Lord of the place;all well, and clothed with immortality as with a garment. )プライアブル 「それを承っただけでも心を奪われます。でも、そういうものが授けていただけるのでしょうか。どうすれば私どもはそれを分けていただく者になれましょうか」クリスチャン 「その国の統治者でいられる主の君は、この本の中にそのことを書き記されました。私どもが真心からそれをもとうと望むならば惜しげもなく与えてくださるのです。」プライアブル 「いや、なるほど、お連れの方、私はそういうことを承って嬉しく存じます。さあ、少し歩調を速めましょう。」クリスチャン 「私は背中にしょっているこの荷物のために、思うように歩けないのです。」(PLIABLE: The hearing of this is enough to ravish one’s heart. But are these things to be enjoyed? How shall we get to be sharers thereof? CHRISTIAN: The Lord, the governor of the country, hath recorded that in this book; the substance of which is, if we be truly willing to have it, he will bestow it upon us freely. PLIABLE: Well, my good companion, glad am I to hear of these things: come on, let us mend our pace. CHRISTIAN: I cannot go as fast as I would, by reason of this burden that is on my back.)☆教会記録によると、1657年9月27日の項には、バニヤンは福音を伝えることに忙しいので、彼の補充として新しい執事が任命されたと記してある。 優れた説教師としてバニヤンの名前は急速に知られるようになった。人々は「あらゆる方面から何百人と群をなして神の言葉を聴きに集った」(They came in to hear the word by hundreds, and that from all parts ) バニヤンは常に自分を神の道具(God’s instrument)と考えた。「神が私を通して人々の心に語りたまうということは、最初は到底信じられませんでした。自分は依然ふさわしからぬ者と考えていましたから。」(I at first could not believe that God shoud speak by me to the heart of any man, still counting myself unworthy.) バニヤンは森の中で、農家で、共有芝地でどこででも説教した。彼が好んだのは説教者がほとんど訪れない辺境の地で、素朴な人々の良心に呼びかけることだった。 彼の説教は知識ではなく、彼の体験だった。彼自身地獄を見た人であり、常に「神の使いを感じて」(as if an angel of God had stood at my back)語った。 さて、私は、夢の中で、この話を終ったちょうどその時、2人が大野の真中にある、大そうぬかるみの深い泥沼のそばに近づいているのを見た。気をとられていたので、2人ともたちまちその沼の中に落ちた。この泥沼の名は「落胆」であった。それで、ここに暫くの間、彼らはのたうち回り、ひどく泥まみれになった。クリスチャンは背中に背負っている荷物のためにぬかるみの中に沈み始めた。(Now I saw in my dream, that just as they had ended this talk, they drew nigh to a very miry slough that was in the midst of the plain: and they being heedless, did both fall suddenly into the bog. The name of the slough was Despond. Here, therefore, they wallowed for a time, being grievously bedaubed with the dirt; and Christian, because of the burden that was on his back, began to sink in the mire.)プライアブル するとプライアブルが言った。「ああ、クリスチャンさん、一体あなたはどこにおられるのですか。」クリスチャン 「いや全く」とクリスチャンは言った。「私にも分かりません。」プライアブル これを聞いてプライアブルは怒り出した。それからとげとげしい声でその連れに言った。「これまでずっとあなたが私にお話しになった幸福というのはこれですか。私どもの最初の出発にこんな不幸せにあうようなら、これから旅路の果にいたるまでの間に、どんなことを待ち設けることができましょう。いのちをとりとめて、もう一度外に出ることができたなら、あなたは私におかまいなく、一人でその結構な国をおもちになるがよろしい。」こう言って、一あがき二あがき、あがき回った上、その家のほうに最も近い岸の上へ沼から這い上がった。そこで、彼はさっさと行ってしまった。そうしてクリスチャンはそれ以上彼を見なかった。(PLIABLE: Then said Pliable, Ah, neighbor Christian, where are you now? CHRISTIAN: Truly, said Christian, I do not know. PLIABLE: At this Pliable began to be offended, and angrily said to his fellow, Is this the happiness you have told me all this while of? If we have such ill speed at our first setting out, what may we expect between this and our journey’s end? May I get out again with my life, you shall possess the brave country alone for me. And with that he gave a desperate struggle or two, and got out of the mire on that side of the slough which was next to his own house: so away he went, and Christian saw him no more.)☆巡礼の行程の最初の試練は「落胆」という名の泥沼(The name of the slough was Despond)である。プライアブルは最初の試練で巡礼の今後の成行きに落胆して家へ戻って行く。こういう言葉の使い方はこの本から始まったものだろうか。・1946年1月1日の詔書(人間宣言)に「我国民ハ動(やや)モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ」とあるのは、英文で起草した原文で「the Slough of Despond」と書いてあったものを、幣原喜重郎首相が日本語訳したもので、『天路歴程』の表現を踏まえて日本語化した表現であったという。惟(おも)フニ長キニ亘(わた)レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動(やや)モスレバ焦躁(しょうそう)ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪(ちんりん)セントスルノ傾キアリ。We feel deeply concerned to note that consequent upon the protracted war ending in our defeat, our people are liable to grow restless and to fall into the Slough of Despond. こういうわけで、クリスチャンは一人取り残されて「落胆の泥沼」に転げまわっていた。それでもなお、彼はその家から更に遠く、くぐり戸の方に最も近い泥沼の岸へ向かってあがき行こうと努めた。で、そこへ行くに行ったが、背中にしょっている荷物のために這い出すことができなかった。しかしながら、夢の中で眺めていると、ヘルプという名前の一人の男が彼のところへやってきて、「そこで何をしているのですか」と尋ねた。(Wherefore Christian was left to tumble in the Slough of Despond alone; but still he endeavored to struggle to that side of the slough that was farthest from his own house, and next to the wicket-gate; the which he did, but could not get out because of the burden that was upon his back: but I beheld in my dream, that a man came to him, whose name was Help, and asked him what he did there.)クリスチャン 「私はね」、とクリスチャンが言った。エヴァンジェリストという方にこの道を行けと言われたのですよ。その方は、来るべき怒りを逃れるために、むこうの門へ行くようにと教えられました。でそちらへ向かって歩いているうちに、ここへ落ち込んだのです。ヘルプ 「でも、どうして踏み石を探されなかったのです?」クリスチャン 「恐れがえらい勢いで迫ってまいりましたので、近道をして逃げ出し、そこで落っこちました。」ヘルプ 「では」とヘルプは言った。「手をおかしなさい。」そこで彼は手を出した。ヘルプは彼を引き出した。そうしてしっかりした地面に彼を置いた。それから「その道を進んで行け」と告げた。(CHRISTIAN: Sir, said Christian, I was bid to go this way by a man called Evangelist, who directed me also to yonder gate, that I might escape the wrath to come. And as I was going thither, I fell in here. HELP: But why did not you look for the steps? CHRISTIAN: Fear followed me so hard that I fled the next way, and fell in. HELP: Then, said he, Give me thine hand: so he gave him his hand, and he drew him out, and he set him upon sound ground, and bid him go on his way.)☆「若草物語」第1章 「Playing Pilgrims」(巡礼ごっこ)より「みんな今夜は『絶望の沼』にいたんだわ。 そこへお母さまがいらしゃってお話しの中の『救い』みたいに私たちを助け出してくださったのよ。 私たちも『クリスチャン』のもっているような道案内の巻物が必要なのよ。それは何にしよう?」とジョーは相談した。彼女は務めを果すという面倒くさい仕事にもいくらか物語りめいた楽しみを添えてくれる空想で悦に入っているのである。(We were in the Slough of Despond tonight, and Mother came and pulled us out as Help did in the book. We ought to have our roll of directions, like Christian. What shall we do about that? asked Jo, delighted with the fancy which lent a little romance to the very dull task of doing her duty.) 「Little Women」(若草物語)は、天路歴程を読んでいることを当然の前提かのように著されている。それは当時のアメリカのプロテスタントの家庭を読者層として想定して書かれたのかもしれない。 (略)