音もなく かもなく常に 天地(あめつち)は 書かざる経を くりかへしつ ゝ
音もなく 香(か)もなく 常に天地(あめつち)は書かざる経を 繰り返しつつ☆二宮翁夜話巻の1の冒頭は、この歌から入る。 森信三先生の年譜にはこうある。「1928年(昭和3年)33歳 二宮尊徳の「二宮翁夜話」の開巻劈頭にある『天地不書の経文を読め』との一句により、学問的開眼を得たり。」実にこの歌は、尊徳先生の教えの真髄を示している。書物ではなく、天地の道理に学ぶ、これができるかできないか、これが人生を決める。天地の経文を一度読むことができた者は実に汲んでも尽きない泉を得たようなもので、豊かに知恵がわいてくる。幼児のバイオリン教育で有名な鈴木鎮一先生も天地不書の経文を読まれた方であろうと思う。その著「愛に生きる」(講談社現代新書)の「はじめに(驚きの日)」の冒頭にはこうある。「アッ! 日本じゅうの子どもが日本語をしゃべっている!」 わたしは飛び上がって驚きました。どの子もみんな自由自在に日本語をしゃべっている。なんの苦もなくしゃべっている。驚くべき才能ではないか。なぜだろう。どうしてそういうことになったのか。わたしは通りを駆け出して叫びたい衝動を抑えるのがやっとでした。これは鈴木鎮一先生33歳頃の開眼の一瞬です。誰に話しても当たり前ではないかとあきれられる。実にこの天地の道理に気づくことによってスズキ・メソードは生まれたのです。そしてその後の苦難もこの原点に立ち帰ることによって解決が得られたのです。二宮尊徳先生も、金次郎の少年時代に菜の種から菜種を得、捨て苗から米を収穫した体験から「小を積んで大をなす」という自然の道理に気づいたことから、我が家の再興に確信が持てたのです。そしてそれを村や国の再興に拡充していったのです。尊徳先生は、相談を受けても良(やや)久しく沈考されます。それはこの天地の書かざる経典に自分の考えを照らし合わせているにほかなりません。汲むど尽きせぬ知恵がわいてくるのです。二宮翁夜話【1】 尊徳先生はこう言われた。「誠の道は、学ばないで自ずから知り、習わないで自ずから覚え、書籍もなく記録もなく、師もなく、そして人々が自得して忘れない、これが誠の道の本体である。のどが渇いて水を飲み、腹が減って食べものをくらい、疲れて眠り、目が覚めて起きる、皆これらの類である。古歌に「水鳥の ゆくもかへるも 跡たえて されども道は 忘れざりけり」というようなものである。それ記録もなく、書籍もなく、学ぶことなく習うことなくて、明らかである道でなければ誠の道ではない。私の教えは書籍を尊ばない。故に天地をもって経文とする。私の歌に「音もなく かもなく常に 天地(あめつち)は 書かざる経を くりかへしつ ゝ」と詠んでいる。このように日々、繰返し繰返して示されている天地の経文にこそ誠の道は明らかなのである。このような尊い天地の経文をほかにして、書籍の上に道を求める、学者達の論説は取らないのである。よくよく目を開いて、天地の経文を拝見して、これを誠にする道を尋めるべきである。それ世界の横の水平は水面を至れりとする、竪の直は、錘(おもり)を至れりとする。およそこのような万古動かない物があるからこそ、地球の測量もできるのである。このほかにおいて測量の術があろうか。暦道の表を立てゝ影を測るの法や 算術の九々のような、皆自然の規則であって万古不変の物である。この物によってこそ、天文も考えることができ、 暦法をも計算すすことができる。この物を外にするならばどのような智者であっても方法がないであろう。私の道もまたそのとおりである。天もの言わず、そして、四時行はれる百物が成るところの不書の経文、不言の教戒、すなわち米を蒔けば米がはえ、麦を蒔けば麦の実るような、万古不易の道理によって、誠の道に基いてこれを誠にするの勤めをなすべきである。