希望の歴史 人生の指針10か条
希望の歴史 人生の指針10か条0 Rules To Live By From Rutger Bregman – HumankindNo. 1: When in doubt, assume the best.(疑いを抱いた時には、最善を想定しよう)No. 2: Think in win-win scenarios.(ウィン・ウィンのシナリオで考えよう)*No. 3: Ask more questions.(もっとたくさん質問しよう)No. 4: Temper your empathy, train your compassion.(共感を抑え、思いやりの心を育てよう)No. 5: Try to understand the other, even if you don’t get where they are coming from.(他人を理解するよう努めよう。たとえその人に同意できなくとも)No. 6: Love your own as others love their own.(他の人々があなたをあいするように、あなたも自分を愛そう)No. 7: Avoid the news.(ニュースを避けよう)No. 8: Don’t punch Nazis.(ナチスをたたかない)No. 9: Come out of the closet: don’t be ashamed to do good.(クローゼットから出よう。善行を恥じてはならない。)No. 10: Be realistic.(現実主義になろう)*鈴木藤三郎は、明治34年12月橋仔頭滞在中に「両得農業法」という案を立てた。この草案は、後年まで台湾製糖会社に大切に保管されていた。もし風害やその他の天災があると、従来の小作人は、たちまちひどい貧乏に陥ってしまっていた。藤三郎が案出した「両得農業法」という改良法は、会社が所有した土地1,200甲を基準としたもので、次の7項目から成っていた。一、甘蔗は3年輪作であるから、会社所有地の3分の1を、毎年蔗園(サトウキビ畑)とする。二、蔗園は会社の直轄農業として、従来小作人に耕作料(一甲につき70銭)を定めてこれを請負わせる。但し肥料と種子は会社負担。三、種子は紅、ロー等最良品を支給する。四、蔗園以外の3分の2の耕地は、従来の小作料で農民に自作させる。五、耕作料は月割りで会社が支払う。六、一定の請負金額(一甲70銭)の外に、耕作人奨励法を設ける。七、会社の農業係員に指導監督をさせる。更に奨励法として左の金額が与えられる。収穫1株平均6斤以上8斤迄金10円同8斤以上10斤迄 金20円同10斤以上12斤迄 金30円同12斤以上14斤迄 金40円同14斤以上 金50円この規定の下で、ロー蔗や紅蔗を十分の肥料を施して耕作すれば、平均作でも1株10斤以上の収穫を得ることはむずかしくない。かりに10斤以上ものものが出来たとすれば、農民は1甲で耕作料70円と奨励金30円の計100円を得ることになる。またたとえどんな天災や不作があっても、1甲70円の収入は必ずあるから、従来の小作料の実収金61円に比べれば遙かに有利である。この方法を実施することによって、会社所有の耕地1,200甲について、農民と会社の双方が、旧来よりどれだけ多い利益を得るかを詳しく計算してみると、金15,600円(耕作者の従来所得外の利益)金22,400円(会社の直轄農業法による利益)計38,000円となるのだった。藤三郎はこの草案の終りに、「若し夫れ此方法を以て、会社は他日買収の土地に遍く施す時は其利益は益々大ならん。二宮先師訓に曰く、天地相和して万物生ず、男女相和して子孫生ず、貧富相和して財宝生ずと、宜(むべ)なる哉言(かな)。原来会社は此主旨に法(のっと)り、人民と共に天地間に充満せる、未だ所有者なき財宝の開発を勉め、会社の為め、鋭意専心施行あらんことを希望す」といっている。労使双方を利するこの「両得農業法」は、藤三郎が20余年前郷里で菓子製造に応用し、その後は工業に応用して、ことごとく効果をおさめた二宮尊徳の「報徳訓」による仕法を、今度はこの機会に植民地農業に応用して、会社ばかりでなく、新領土の民である台湾農民のためをも図ろうとしたものである。「人民と共に天地間に充満せる、未だ所有者なき財宝の開発を勉め」とは、雄大な思想で、いかに鈴木藤三郎が尋常一様の実業家でなかったかを証明して余りある。(「鈴木藤三郎伝」鈴木梢風)💛会社というものは、創業者の理念というものが受け継がれるものであろうか。 鈴木藤三郎が初代社長を勤めた台湾製糖会社は、台湾産業における中枢的存在であった。そして鈴木藤三郎の「両得農業法」に見られる報徳精神、この場合は「売る者も買う者も喜ぶ」というニ宮尊徳の考えによって考案された。尊徳によるとそれは天地の理法そのものであった。その報徳の精神は台湾製糖株式会社のサトウキビ畑運営において会社にも小作となる台湾の農業者にも双方に利益をもたらし、後発の製糖会社もそれにならい台湾全土に普及していったのでないか。最近、環境にやさしい地下ダムを造った鳥居信平氏が台湾において顕彰されて喜ばしい。鳥居も台湾製糖株式会社の社員であったが、鈴木藤三郎からはだいぶ後代の人であり、鈴木藤三郎との関わりは確認できない。しかし、鳥居氏も藤三郎の故郷、遠州森町の近く袋井市の出身であり、遠州地方一体に広まった報徳社運動の影響を受けているのではないかという指摘もされている。地下ダムも現代に通ずる自然にも優しい環境にも優しい方式を考案したのであった。 さらに荏原製作所を創立した畠山一清氏は、鈴木鉄工所の工場長をつとめ、自分の精神的基盤は鈴木藤三郎社長から教わった報徳精神であるといっている。 セオリー2009.vol6「代表的日本人」特集に「日本僑報社」段編集長がその荏原製作所に触れている。 世界銀行の日本語作文コンクールで「中国の改革開放への日本人と日本企業の社会貢献」というテーマで募集したのだが、「荏原製作所の関連会社の現地法人、青島荏原環境設備公司はボイラーなどの製造販売を行っているが、その一方で環境に配慮したごみ処理プラントの建設なども行い、こうした取組が評価されている。」ニ宮尊徳の説いた報徳の精神や鈴木藤三郎の両得農業法は現代では多く忘れられているが、そうした精神・エートスは現代でも目には見えないが脈々と流れているようである。