「二峰圳工事の概要(万隆農場)」
「二峰圳工事の概要(万隆農場)」より 「地理教材研究第六輯」(地理教材研究会 編 (目黒書店, 1926))に「二峰圳工事概要(万隆農場)」鈴木正錬著が掲載されている。鈴木正錬氏は鳥居信平の義父(信平の妻まさの父)にあたる。まさは正錬長女である。 鈴木正錬氏は大正2年の『職員録』に「県立掛川中学校教諭鈴木正錬」とある。義理の息子信平については、文中に出てこないが、その記述に臨場感が溢れていることから、信平から直接聞いたか又は手紙の記述を参考にして本概要をまとめたように思われる。「二峰圳工事概要」は、二峰圳工事の概要が丁寧に叙述されると共に、現地住民の雇用について貴重な証言が記載されていて興味深く、信平本人に由来するものであれば非常に重要である。「この工事に初めて現地住民を雇用しその労力によったが、現地住民は極めて質朴頑強で、水底を潜って土砂をすくい上げ、河岸の崖を駆け登る動きは、台湾人労働者のとうてい及ぶことができない。コンクリ工事のハンドミキサー作業にも慣れ、よく指揮者の命令に服従し時間と規律とを確実に守らせるなど、労働者として価値があることを一般に知らしめた。その雇傭延人員は6万2百人に達し、頭目は技師技手を敬愛し親密の交際を結んだ。これは台湾における新しい試みの一つとして成功したものということができよう。」「工事の概況はまず水源で川幅百八十間を川床以下平均十八尺に堀下げて掘割を作り、ここに地下水取入暗渠を伏せ込んだ。この掘割作業の際、現地住民は男女の別なく、涌水中に入って土砂・玉石を掘り出し、バスケットに入れて頭上に載せながら駆け回る勇敢で敏捷な動きは非常に興味深かった。掘割工事は、その底部に基礎コンクリートの工事を施し、その一端に高さ八尺の粗石コンクリート堰堤を築いた。これもまた現地住民が涌水中において工事を行った。」また地下ダムの構造について次のように説明する。「地下水取入暗渠の構造は、コンクリート及び粗石コンクリートにて作った三角形の桶管で、その大きさは三角形の底辺六尺、高さ六尺で、斜辺に若干本の桁を並べ、桁の大きさは長さ九尺・幅六寸・厚さ八寸で、鉄筋コンクリートで作ったものである。また桁と桁との間隔は二寸ずつあけて吸水の用に供し、その間隔より土砂がにじみ入るのを防ぐため、桁全体の上には粗朶束を積み重ね、その上に土砂を盛り、暗渠を埋め込んだ。また暗渠の垂直壁には円管を伏せ込み、頂部よりも暗渠内に水を吸い込ませる装置を設けた。」取入水量は、乾燥期(冬季11月~翌年3月)は地下水毎秒29立方尺を取入れサトウキビの灌漑を行い、湿潤期(夏季6月~9月)は地表水(渓流)を毎秒105立方尺を取入れ水田灌漑の用に供する。なお雨期出水に際しては濁水を取入れ、沈泥作用によって土地の改良をも行った。導水路は、不慮の洪水に備えるため余水吐を設けた。雨期の多量の出水に備えるため処々に水門を設け、余水を水路外に放流させる装置をも施したと、現地調査に基づく工夫がされている。