一つの手は自分と家族のために、もう一つは人様のために使おう
「抜粋のしおり その78」より「表彰ということ 小檜山 博 以前、ある雑誌に恵まれない境遇にいる人を紹介する連載記事を書いたときのことである。毎月、福祉施設に5000円のおカネを35年間も送りつづけているという女性に会いに行った。8畳一間の木造アパートに住み、新聞配達をしている70歳の女性は、ぼくの取材をかたくなに拒むのをやっとお願いした。 彼女は2歳のとき母親が病死、施設にあずけられる。ほかの子にいじめられる、かばってくれる職員のやさしさが身にしみたという。中学を出て働いた紡績工場で20歳のとき工場の男と結婚、7年間に3人の女の子が生まれるが、彼女が30歳のとき、夫は結核で死亡、彼女は夫の少額の退職金で、道ばたでリヤカーを店にししてネクタイを売る。上の子は小学生、あとの二人をリヤカーの横で遊ばせる。 ネクタイは一日に一本くらいしか売れなかった。あるとき中年の女性がきて「これタイヤキ、子どもさんに」と差し出され涙がほとばしった。冬の雪の日、二人の子どもが空腹と寒さで泣きわめいているとき初老の紳士がきてネクタイを2本買ってくれる。彼の身なりから、とても彼女が売る安物のネクタイを身につける人とは思えなかったという。彼は一言もしゃべらずつり銭もとらずに去っていった。 まもなく彼女は疲労で倒れ、市役所へ行き医療費の助成を頼んだが規則でカネは出せないといわれた。しかしその職員は自分用の牛乳を一本持たせてくれて、「力不足でごめん」とあやまったそうだ。 彼女は露店をやめて新聞配達をはじめる。高校へ入った子が夜は食堂の茶碗洗いのアルバイトをして二人の妹の世話をした。 ある日、新聞で親のいない子の施設が経営難と知り、彼女は即座に5000円を送った。名前は伏せた。家族4人の生活は苦しかったが、自分を助けてくれた人々を思うと苦しいなんて言っていられなかったという。 35年間の毎月の送金が知れ、市が表彰したいと言ってきたとき彼女はきっぱり辞退した。「私は昔、ある人からタイ焼きをいただいたとき決心したんです。一つの手は自分と家族のために、もう一つは人様のために使おうと。私のしたことなんか、たいしたことはない。表彰するなら私に牛乳をくれた人やネクタイを買ってくれた人を表彰してください」 彼女の言葉に、ぼくは絶句して天をあおいだ。(小檜山博・理念と経営「くちびるに歌を持て 心に太陽を持て」30年2月号)「オードリー・ヘップバーンは、サム・レベンソンの詩『時の試練を経た人生の知恵』が好きだったという。 魅力的な唇のためには、優しい言葉を口にしなさい。 愛らしい瞳を持ちたいなら、他人の良いところを探しなさい。 ほっそりとした体型を保ちたいなら、おなかをすかした人に食べ物を分けてあげなさい。」そのあとに続く詩が「あなたが大きくなったら見出すでしょう。あなたには2つの手があることを。一つはあなた自身を助けるため、もう一つは人々を助けるため」である。Remember, if you ever need a helping hand,you'll find one at the end of your arm.As you grow older you will discover that you have two hands;one for helping yourself, the other for helping others.この女性は自らの体験で「あなたには2つの手があることを。一つはあなた自身を助けるため、もう一つは人々を助けるため」を自得し、実践したのだ。そのことが素晴らしい!