集合的無意識があるからこそ、自分自身とも他者と対話し、理解し合えるの
集合的無意識とは、C.G.ユングが定義した概念です。普遍的無意識ともいいます。 集合的無意識は個人的無意識より深い層で、人間に生得的に備わっている心の奥底にある無意識をいいます。 S.フロイトは、心は意識と無意識からなると考えました。ユングは更に、無意識を個人的無意識と集合的無意識の階層構造に区別しました。 集合的無意識の存在は、無意識を個人的無意識に限定したフロイトとのユングの大きな違いであり、ユング心理学の大きな特徴の1つといえます。集合的無意識は、個人的に獲得された無意識とは違い、生まれながら人間に備わっているもので、人類一般に普遍的なものとなります。人類一般に共通のものにいたるまでには、ある家族に特徴的な家族的無意識や、ある文化圏に共通に存在する文化的無意識などを考えることもできます。 集合的無意識は、人類に共通した形式と内容を有するため、そこでのイメージは経験的な日常生活での具体的事物とは独立に自律的に働きます。例えば、自然に安らぎを感じたり、昇ってくる朝日に神々しさを感じるのは誰かに教えられて抱く感情ではありません。これらは人類に共通することといえるのです。集合的無意識があるからこそ、自分自身とも他者と対話し、理解し合えるのだともいえます。ユングは、私たち一人ひとりの人生は、普遍的なものの根や地下茎から生えたひと夏限りの植物に過ぎないとさえ言いました。言葉を変えれば、「自分は自分である」という自己意識や、思うこと、感じることなどは、すべての人類の長い歴史や文化から無縁ではありません。 また、精神病の患者が、自らを取り巻く外的な状況に対して重篤な症状を出している場合は、集合的無意識が働いていたりします。〇国民的な集合的無意識というのもあるのかもしれない。中国、台湾やシンガポールで比較的早期に新型コロナ肺炎への対応ができたのは、サーズの経験と対策があったからという。国別 感染者数 死者数 中国 5,327人 349人香港 1,755人 299人台湾 346人 37人シンガポール 238人 33人日本 0人 0人しかし日本では過去に多くの疫病で多大の死者が出ており、その記憶は映画などでもたびたび登場している。日本での流行は明治32年に台湾から来航した船舶からペスト菌を持ったネズミとペストに感染した船員が神戸港に上陸したので始まり、このネズミによって、周辺の地域にまでペストが拡大し、1899年、1900年、1905~1910年代に大きな流行があり、その後、大正15年まで散発的に流行を繰り返し、昭和4年の最後の患者が発見されるまでの間、厚生省伝染病統計によるとペスト患者数は2,912名、死者数は1,464名でした。天然痘の流行1885~87 天然痘、明治になって第1回大流行、死者3万2千人。1892~94 天然痘、明治になって第2回大流行、死者2万4千人。1896~97 天然痘、明治になって第3回大流行、死者1万6千人。スペインかぜによる死亡者は,1918年,男子34,488名,女子35,336名,1919年,男子21,415名,女子20,571名,1920年,男子53,555名,女子54,873名でした。宮沢賢治の「永訣の朝」にうたわれる妹とし子もスペイン風邪で亡くなった。「結核」は過去の病気ではない。日本では毎年約18,000人が新たに結核を発症し、毎年約1,900人が結核で亡くなっている。現在、新型コロナの死者数が10万人当たり日本は7.12人である。サーズで死者数が多かった中国は3.2人、台湾0.29人、シンガポール4.42人である。昭和15年の日本の結核での死者数は総数153,154人で10万人当たり212人であった。現在のアメリカの新型コロナが605人、イタリア414人であるから、その2倍、3倍の死者数が出ていることになる。東アジアで新型コロナの死者数が少ない理由は、直近のサーズなどの疫病が蔓延した国々がその対応をとった記憶が近いことと、日本においてはスペイン風邪や結核に対する恐れと対策が国民的集団記憶として残っていて、マスクや手洗い、握手ではなくお辞儀文化などソーシャルディスタンスをとる文化が根付いていたからではないだろうか。