宮城県立図書館が「鈴木藤三郎の米欧旅行日記」を蔵書とし12件所蔵館となった、感謝!
図書1。 遠州報徳の師父と鈴木藤三郎。出版。二宮尊徳の会, 2016.12。分類。157.2。請求記号。 157.2/シシ 16Z。Book_s図書2。 砂糖王鈴木藤三郎 : 氷砂糖製造法の発明。出版。二宮尊徳の会, 2013.6。分類。289.1。請求記号。 289.1/スト 136。Book_s図書3。 鈴木藤三郎 : 日本近代製糖業の父 台湾製糖株式会社初代社長。出版。二宮尊徳の会(報徳記を読む会), 2010印刷。分類。289.1。請求記号。 289.1/スト 100/3タ。Book_s図書4。 鈴木藤三郎の『米欧旅行日記』 : 補注。出版。二宮尊徳の会, 2015.12。分類。588.1。請求記号。 588.1/15Z。Book_s図書5。 報徳記を読む, 第1集。出版。二宮尊徳の会, 2014.3。分類。157.2。請求記号。 157.2/トコ 143/1。Book_s図書6。 報徳記を読む, 第4集 : 二宮尊徳の報徳の教えが世界に広まり真正の文明の実を見ることを。出版。二宮尊徳の会, 2016.9。分類。157.2。請求記号。 157.2/トコ 143/4。Book_s図書7。 報徳記を読む, 第3集 : 報徳は国を興し民を安んずる大業である。出版。二宮尊徳の会, 2016.3。分類。157.2。請求記号。 157.2/トコ 143/3。Book_s図書8。 報徳記を読む, 第2集 : 報徳は精神変革である 。出版。二宮尊徳の会, 2014.11。分類。157.2。請求記号。 157.2/トコ 143/2。Book_s図書9。 報徳産業革命の人 : 報徳社徒鈴木藤三郎の一生。出版。二宮尊徳の会, 2011印刷。分類。289.1。請求記号。 289.1/スト 100/1タ。Book_s図書10。 ボーイズ・ビー・アンビシャス, [第1集] : 《クラーク精神》&札幌農学校の三人組(宮部金吾・内村鑑三・新渡戸稲造)と広井勇。出版。二宮尊徳の会, 2013.3。分類。281.04。請求記号。 281.04/133/1。Book_s図書11。 ボーイズ・ビー・アンビシャス, 第4集 : 札幌農学校教授・技師広井勇と技師青山士。出版。二宮尊徳の会, 2014.7。分類。281.04。請求記号。 281.04/133/4。Book_s図書12。 ボーイズ・ビー・アンビシャス, 米欧留学篇。二宮尊徳の会, 2013.10。分類。281.04。請求記号。 281.04/133/2。 第三章 鈴すず木藤きとう三郎さぶろうの「米欧べいおう旅行りょこう」 1.渋沢(しぶさわ)栄一(えいいち)との対話(たいわ) 渋沢(しぶさわ)栄一(えいいち)は、その当時(とうじ)既(すで)に実(じつ)業界(ぎょうかい)の第(だい)一(いち)人(にん)者(しゃ)で、四十歳前(さいまえ)の藤三郎(とうさぶろう)は大(おお)きな希望(きぼう)を持(も)って出(で)かけました。その席(せき)には、浅野(あさの)総一郎(そういちろう)と横浜(よこはま)の砂糖商(さとうしょう)の増田増蔵(ますだますぞう)らがいました。藤三郎(とうさぶろう)が席(せき)に着(つ)いて、ひと通(とお)りのあいさつが終(おわ)ると、渋沢(しぶさわ)はききました。 渋沢 あなたのご生国(しょうこく)は、どちらですか? 藤三郎 はい、遠州森町(えんしゅうもりまち)でございます 渋沢 最初(さいしょ)から砂糖(さとう)製造(せいぞう)をなさっていましたか? 藤三郎 いえ、家業(かぎょう)は、菓子商(かししょう)でございました 渋沢 それで学校(がっこう)は、どちらをご卒業(そつぎょう)でしたか? 藤三郎 学校(がっこう)教育(きょういく)らしいものは、私(わたし)は全(まった)く受(う)けておりません。八つから十二歳(さい)まで寺(てら)小屋(こや)へ行(い)ったのと、二十二、三歳(さい)のころに、一年(ねん)足(た)らず夜学(やがく)に通(かよ)っただけです それを聞(き)くと渋沢(しぶさわ)は失望(しつぼう)の色(いろ)を顔(かお)に浮(う)かべました。 渋沢 ホホウ、そうでしたか・・・・・・。先年(せんねん)、私(わたし)の甥(おい)に、ガラス瓶(びん)の製造(せいぞう)を熱心(ねっしん)に研究(けんきゅう)した者(もの)がありまして、なかなかうまくできるようになったので、相当(そうとう)な事業(じぎょう)になろうと思(おも)って資本(しほん)を出(だ)してやりましたが、じきに失敗(しっぱい)してしまいました。どうもチャンとした学問(がくもん)の力(ちから)がないと、小規模(しょうきぼ)にやっているうちはよいが、少(すこ)し大(おお)きくやり出(だ)すと駄目(だめ)なようです。ことに、精製(せいせい)糖(とう)事業(じぎょう)などというものは、私(わたし)も、わが国(くに)にどうしても必要(ひつよう)な事業(じぎょう)と考(かんが)えて、先年(せんねん)も、その道(みち)の学者(がくしゃ)にもいろいろと聞(き)いて見(み)ましたが、一人(ひとり)もハッキリとした説明(せつめい)を与(あた)えてくれる人もなければ、製造(せいぞう)のほうの責任(せんもん)は、私(わたし)が引(ひ)き受(う)けようという者(もの)もありませんでした。それで、私(わたし)も、この事業(じぎょう)は、ひと通(とお)りやふた通(とお)りの学問(がくもん)でやれるものでないと、痛感(つうかん)させられたのですが、あなたが、そのほうの学問(がくもん)もなさらずに大規模(だいきぼ)な経営(けいえい)をなされようというのは、少(すこ)し危険(きけん)だと思(おも)いますな 藤三郎 精製(せいせい)糖(とう)事業(じぎょう)は、素人(しろうと)がやろうとしても、なかなか面倒(めんどう)なものには違(ちが)いございません。しかし、私(わたし)は長年(ながねん)これを専心(せんしん)研究(けんきゅう)しました。そして、小規模(しょうきぼ)ではありますが、十年(ねん)このかた家業(かぎょう)といたしておりまして、その製品(せいひん)は、ここにおいでの増田(ますだ)さんなどが、よくご承知(しょうち)くださっているとおりです。土(つち)を砂糖(さとう)にしようというのなら難(むずか)しいでしょうが、砂糖(さとう)を砂糖(さとう)にするくらいのことは、大(たい)して難(むずか)しいことではありません、ハハ・・・ 藤三郎(とうさぶろう)は渋沢(しぶさわ)に失望(しつぼう)し、製糖業(せいとうぎょう)の第一人者(だいいちにんしゃ)となるべく、米欧(べいおう)旅行(りょこう)したようにと思(おも)わ れます。