内村鑑三は新渡戸稲造に「Let us, friend, then walk with hand in hand, helping, consoling, singing, to, praying for, each other. we two are peculiar “set”」と呼びかけた。そしてそれは成就した。
「Boys be ambitious」 Second collection米欧留学編 Study in the US and Europe内村鑑三は新渡戸稲造に「友よ、僕たちは手に手をとって、互いに助け合い、慰め合い、歌い合い、祈り合いながら、(Let us, friend, then walk with hand in hand, helping, consoling, singing, to, praying for, each other)二人が人々の中の特別な「一組」(we two are peculiar “set”)であることを信じて行こうではないか。」と呼びかけた。そして歴史はこの二人が「特別なセット」であることを証明しつつある。日本が敗戦後、民主主義国家として立ち直れたのは、内村鑑三と新渡戸稲造が日本国の「隅の頭石」となり、彼らの教え子たちが教育・外交の活動の中心となり、民主主義を国民に定着させたからにほかならない。第1集は副題に「日本の近代化・合理化の一源流札幌農学校精神」と掲げたのは、そうした概念である。『ボーイズ・ビー・アンビシャス第2集 米欧留学篇』p.99第六六信(英文封書)〔ジョンズ・ホプキンス大学 新渡戸稲造あて エルウィンより〕日5p.126一八八五年三月二十三日、エルウィンにて おい、君 前の金曜日以来病床にあり、まだしばらく元気になれそうもない。小さい部屋に閉じこもり、話相手は一人もなく読書もほとんどせず、「空費した過去」の追想と回顧に時をすごした。今朝、君の手紙が着いた。言うまでもなく非常に愉快なお客だった。病気はひどい風邪で、危うく肺炎になるところだった。 第二十五回目の誕生日が来た。四半世紀が空費されてしまった。悶々の情は、二連の詩となった。 草ははえ、また枯れゆきぬ二十五度 このみじめなる人間が 母の胎をば出で立ちて 墓への旅路につきてより けわしき谷間に湧き出でて くだる小さき谷水のごと 流れは半ばの道終えたれど ただ一本の草さえ生やさず 昨夜、さびしさのあまり、君の手紙を幾通か取り出して読み返した。一通は去年の暮れごろ送ってくれた一番長いものだった。くり返し、くり返し読むうちに、「涙のためにほとんど読めなくなってしまった」。感動を押え切れず、僕は急いで床へ入った。しかし、そこもまた 眠りの鎖がわれをしばる前に 悲しき思い出は過ぎにし日々の 光をもってわれを囲みぬ 僕の生涯の目的は何か。僕にとり、答えるにかたい問題である。宮部は彼の植物学を、広井と藤田は彼らの工学を、足立は彼の「カービーとスペンス」〔「昆虫学入門」共著者〕を持っている。等、等。しかし僕は?身体も精神も誰よりも弱く、養わねばならぬ大家族をかかえる僕の、この人生における目的は何か。自分でも言えない。たぶん僕に言えることは、精々これだけだろう。僕の目的は貧しい人々の友となることだ、僕自身が貧しいのだから、と。もし神が許してくださるのなら、当院のような公共施設をたくさん視察し、その様子を日本の兄弟たちに知らせて、人道主義についてもっとよく考えるように、彼らの注意を喚起したい。自分のパンと住まいのことについては断じて考えないことに決心した。よし餓え死んでも、そうすることで満足する。ゆえにこの問題については、目下のところ非常に気軽である。キリストのためならば、何でも進んでするつもりである。説教、貧民への奉仕、講演、しかり再び漁業であろうとも、もしそのいずれかによって、キリストのために人の魂を獲得できるなら。キリストに仕える人のつとめを。その人の多くの才能のうちのただ一つに限定してしまうところのあの考え方は非常に偏狭だと僕は思う。生涯そのものが主のものではないか。君はハヴァーガルの「主のご用にそなえて」と題する小さな本を読んだことがあるか。ああ!モンクよ、信仰問題と社会問題との双方における君の確信について聞いた時、僕の心の中に湧き上がった喜びは、君にはほとんど想像できないだろう。僕たちの親愛な同級生の中で、そも誰が、僕たちのように、受けた称号の実践から、はるかに遠く押し流されただろう。《農学士》とは狂人収容所のような所の使用人になる者なのか。信じられない。しかし、僕は現にそうだ。―古い、肉なる性情がしばしば僕の理性と良心とに反逆を企てて、この世の富を得ることで僕よりもはるかに幸運な状態にある友人のある者たちを羨ましがらせる(!!)。しかしこんな感情は(有難いことに)、目下のところ、単なる一過性の思考にすぎず、間もなく、「主のかたわらに坐って」、「なくてはならぬものを求める」という一つの強い念願の中へ融け込んでしまうのである。ゆえに、友よ、僕たちは手に手をとって、互いに助け合い、慰め合い、歌い合い、祈り合いながら、(Let us, friend, then walk with hand in hand, helping, consoling, singing, to, praying for, each other)二人が人々の中の特別な「一組」(we two are peculiar “set”)であることを信じて行こうではないか。僕たちに同情できる人は少ない。僕たちのハートの中深くはいりうる人は少ない。僕たちの両親でさえ、僕たちのハートをかき乱すところのいろいろな恐怖や希望を理解することは、到底できない。最も強じんなハートでさえも、失敗し勝ちである。まして、ハワードやエリザベス・フライのそれよりはるかに繊弱な僕たちのハートにおいてをや、である。もしもいわゆる「自然の法則」なるものが宇宙の唯一の法則ならば、僕はむしろ自殺して、墓へ降るだろう。 家族の幸福という事については、僕はただ一つ、立派な、住み心地のよい家で両親の世話をしたいと思っているだけである。今度のこと〔浅田タケとの離婚問題〕では両親に非常な迷惑をかけてしまった。できるだけのことをして、両親を喜ばせねばならぬ。 わがハートのうちに住まいて わが救い主を一部なりと奪いて 全体をけがす者はわれになし われはただキリストにいいなずけされ 天(あま)つ空より彼の来りて わがよき魂と結ばれたもうを待つのみ ―ウェスレーこれだけで十分だ。 この手紙は佐藤〔昌介〕君が僕について知りたいと言っていることに対する答になっていると思う。1 僕は当地またはイギリスに、少なくとも四年間とどまる。2 収容施設および市街伝道、夜間伝道その他のいわゆる「伝道」を研究する。3 その目的は、日本において、神の子どもたち、「特に最も貧しい」子どもたちを、キリストのはかりに山盛りにするため、何かのお役に立ちたいためである。 憂愁と苦痛のあいだにあって つねに君の ヨナタン・内村鑑三返事が早すぎる。しかし寂しいためなのだ。