拓大・デレセ 夢はエチオピア代表で東京五輪
「youは何しに日本」で拓殖大学のデレセ選手の箱根駅伝チャレンジの特集を2週間にわたってやっている。今年の箱根駅伝は、デレセ選手の活躍もあり、シード権を確保した。==「箱根」異例の留学生主将 拓大・デレセ 夢はエチオピア代表で東京五輪2019年1月4日 東京新聞夕刊東京・大手町のゴール付近、拓大の輪の中心にはデレセ(4年)がいた。2、3日に行われた第95回東京箱根間往復大学駅伝。10区の松岡涼真(2年)が一つ順位を上げて9位でゴールすると、肩を抱き寄せ、ねぎらった。「チームは過去最高の7位以上を目指してきたので残念ですが、みんなよく頑張りました」。エチオピア出身、異例の留学生主将はそう言って笑みを浮かべた。 (森合正範) 「無理です。だめです」。昨年1月、岡田正裕監督から主将を打診され、一度は断った。「だって、日本語があまり分からないですから。留学生の主将は聞いたことがない」。2015年4月に来日してから日本語を学び始め、指示を出すことも、思いを正確に伝えることも難しい。 しかし、岡田監督の意思は固かった。チーム思いのデレセに一目置いていた。「脚が痛くても我慢してチームのために走る心が素晴らしい。デレセに足りない部分を副主将が支えれば、すごくいいチームになるのではないか」。事前に相談を受けた主務の田村崚登(りょうと)(4年)はうなずいた。 副主将の戸部凌佑(りょうすけ)と馬場祐輔(ともに4年)が「言葉は俺たちが補う」とサポート役に徹した。デレセは真摯(しんし)な練習態度と走りでチームを引っ張った。岡田監督の思い描いた通り、チームは一つにまとまっていく。 デレセ自身は4年連続で2区を任され、最後の箱根を区間6位で終えた。「主将として、チームのために走りました。でも3位以内を狙っていたので、だめでした」。仲間に支えられた大学生活。思い出すのは楽しいことばかりだという。「昼休みや授業のないときに日本語を教えてもらったり、一緒にご飯を食べたり、みんなに助けられました。納豆、おすしは大好きになりましたね」 卒業後も日本に残り、実業団の「ひらまつ病院」(佐賀県小城市)に所属する。「マラソンを練習して、エチオピア代表として東京五輪に出たいです。日本の気候や暑さを分かっているので他のエチオピア選手よりも強いと思う」。4年間で培った経験は大きな武器。夢見るのは箱根駅伝以上の声援を背に、東京を走る姿。まだ日本でやり残したことがある。==拓殖大学は「二宮先生語録」もすでに蔵書としていただいている。1 《クラーク精神》&札幌農学校の三人組 (宮部金吾・内村鑑三・新渡戸稲造) と広井勇2 二宮金次郎の対話と手紙 : 中学生からお年寄りまでよくわかる3 米国留学中の内村鑑三の日記と手紙 : 内村鑑三から新島襄、広井勇あて書簡 : 宮部金吾・新渡戸稲造往復書簡抜粋4 《クラーク精神》&札幌農学校の三人組 (宮部金吾・内村鑑三・新渡戸稲造) と広井勇 5 報徳は精神変革である:報徳記を読む:第2集, 20146 内村鑑三神と共なる闘い : 不敬事件とカーライルの「クロムウェル伝」: ボーイズ・ビー・アンビシャス:第5集, 20147 札幌農学校教授・技師広井勇 (いさみ) と技師青山士 (あきら) : 紳士 (ジェントルマン) の工学の系譜: ボーイズ・ビー・アンビシャス:第4集, 20148 『報徳記』第一巻(『報徳要典』準拠全ルビ原文(朗読・輪読用)、現代語訳、資料集): 報徳記を読む:第1集, 20149 砂糖王鈴木藤三郎 : 氷砂糖製造法の発明10 二宮尊徳と日本近代産業の先駆者鈴木籐三郎11 新渡戸稲造 (にとべいなぞう) の留学談・帰雁 (きがん) の蘆 (あし): ボーイズ・ビー・アンビシャス:第3集12 二宮尊徳の報徳の教えが世界に広まり真正の文明の実を見ることを : 「報徳記」第六~八巻全ルビ補注付原文、現代語訳: 報徳記を読む:第4集,13 二宮先生語録 : 読み下し全ルビ原文・現代語訳:報徳記を読む:第5集, 201814 報徳産業革命の人 : 報徳社徒鈴木藤三郎の一生15 報徳は国を興し民を安んずる大業である : 「報徳記」巻の三、巻の四、巻の五 : 今野華都子先生仙台講演録収録:報徳記を読む:第3集,