二宮先生語録巻の3 【278】
二宮先生語録巻の3 【278】【二七八】我(わ)が小(お)田(だ)原(はら)藩(はん)、量(りやう)制(せい)(ますの制度)正(たゞ)しからず。民(たみ)横(わい)征(せい)(わがままな政治)を苦(くる)しむ。先(せん)子(し)(父)之(これ)を憂(うれ)ひ、居(きよ)常(じやう)慨(がい)嘆(たん)す。余(よ)先(せん)子(し)の遺(い)志(し)を念(おも)ひ、寤(ご)寐(び)(ねてもさめても)忘(わす)れず。服(はつ)部(とり)氏(し)の求(もとめ)に応(おう)じ、其(そ)の家(か)政(せい)を改(かい)革(かく)する。余(よ)が素(そ)志(し)に非(あら)ず。竊(ひそか)に以(おも)為(へ)らく服(はつ)部(とり)氏(し)は世(せ)世(ゝ)大(たい)夫(ふ)(家老)の家(いへ)なり。量(りやう)制(せい)改(かい)革(かく)或(ある)いは行(おこなは)れんと。後(のち)先(せん)君(くん)の下(か)問(もん)を蒙(こうむ)り、権(けん)量(りよう)を謹(つゝし)み法(はつ)度(と)を審(つまびらか)にするの語(ご)及(およ)び量(りやう)制(せい)の法(はふ)を記(き)し、以(もつ)て之(これ)を上(たてまつ)る。量(りやう)制(せい)高(たか)さ八寸(すん)八分(ぶ)を則(のり)と為(な)す。寸(すん)は十なり。乃(すなわ)ち米(べい)字(じ)に当(あた)る。先(せん)君(くん)嘉(か)納(なう)。始(はじめ)て先(せん)子(し)の遺(い)志(し)を全(まつと)ふするを得(う)。1 『二宮金次郎の対話と手紙』の「服部十郎兵衛宛の金次郎の手紙」五四頁参照。《訳》わが小田原藩では、一定の正しい枡がなかった。人民は役人がそれにつけこんで年貢を余分に取り立てることを悩んでいた。私の父もこれを憂慮され、いつも慨嘆されていた。私は父の遺志を思って寝てもさめても忘れることがなかった。服部氏の求めに応じて、その家政を改革したのは、私のもともとの志ではない。ひそかに思うに服部氏は代々家老の家柄である。枡の改革もあるいはできるのではないか。後に先君からの下問をこうむって、権量(ごんりょう)を謹)み法度(ほっと)を審(つまびらか)にするという論語の語と、枡改正の法を記してこれを献策した。その量制は高さ八寸八分を定めとする。寸は十であるから、八十八でちょうど米という字にあたる。先君はこの献策をよろこばれ採用された。こうして始めて私の父の遺志を全うすることができたのじゃ。