「代表的日本人」と内村鑑三の日記と手紙 その12
「代表的日本人」と内村鑑三の日記と手紙 その12III -HIS PART IN THE REVOLUTION To write out in full Saigo's part in the Revolution would be to write the whole history of the same. In one sense we may say, I think, that the Japanese Revolution of 1868 was Saigo's revolution. Of course no one man can rebuild a nation. We will not call New Japan Saigo's Japan. That certainly is doing great injustice to many other great men who took part in this work. Indeed, in many respects, Saigo had his superiors among his colleagues. As for matters of economic rearrangement, Saigo was perhaps the least competent. He was not for the details of internal administration as Kido and Okubo were, and Sanjo and Iwakura were far his superiors in the work of the pacific settlement of the revolutionized country. The New Empire as we have it now, would not have been, were it not for all these men.3 革命(維新)における彼の役割 革命における西郷の役割をすべて書くことは、維新の全歴史を書くことになるだろう。ある意味において、1868年の日本の革命は西郷の革命とあったと言うことができよう。もちろん誰も一人で一国を再建できない。私たちは新しい日本を西郷の日本と呼ぶことはできない。それは確かにこの事業に参加した偉大な他の多くの人々に大変不公平である。実際、多くの点で、西郷には彼の同僚に彼より優れた人々がいた。経済の再編成の諸問題については、西郷はおそらく最も適任ではなかったであろう。内政の細目については木戸や大久保ほど適任ではなかった。そして三条や岩倉は革命された国の安定した運営について彼よりも遥かに優れていた。私たちがいま有する新しい帝国は、これらの人々がいなかったならば、存在しなかったであろう。『ボーイズ・ビー・アンビシャス第2集 米欧留学篇』p.98一八八五年三月八日 きよめられること(sanctification)の重要なことを、一層感じつつある。『理想の純潔』が眼前にある。しかし、私はその状態に入ることができない。ああ、我、悩める者かな。○三月八日父あての手紙に、二月二十七日フィラデルフィアの婦人会に出席し、旧開成学校教師サイル博士に会い教訓を受けた。その夜はモリス氏宅に一泊し日本語を話し愉快だった。「日支ノ事件は如何ニ」と日清戦争への関心を示す。これが新渡戸への英詩となる。三月二十二日 「知恵の無限なる土台石」の全体に依存し、またそれを占有するには、人間は余りに有限である。ただ彼のできる事は、この『土台石』の小さな一角に身を宿すことにある。この一角にさえ達すれば、直ちに彼は安穏平静であることができる。―巌(いわお)の強きこと、このようである。これがすなわち、種々なる教派が存在し、かつそれがいずれも成功していることの説明である。 より人情的で合理的な『教派』の説明である。私は信ずる。フィリッピス・ブルックスが私を助けてここに至らしめたことを。*フィリップス・ブルックス (Phillips Brooks, 1835年12月13日 - 1893年1月23日) は、アメリカ合衆国の宗教家。米国聖公会の聖職者。作家でもある。 ボストントリニティ教会の牧師。『ベツレヘムの小さな町で 』(O Little Town of Bethlehem)を作詞した人物として知られる。The story about "O Little Town of Bethlehem"『流竄録(るざんろく)』p.155以上は病院組織なり。されども白痴そのものが余の読者最多数の解せざるところならんと信ず。白痴とは吾人の通常「ばか」と称するもの、欧州における古来の定則によれば、単数二十以上を数え得ざる者をもって白痴となすと言えり。されどもこれ必ずしもしかるにあらず。もちろん数理的観念の欠乏は白痴の最大特徴なるに相違なし。最下等の者の中に、四より以上を数え得ざる者多し。その最上等と称する者に簡易なる分数を解し得る者あり。三ケタ以上の除算はよほど困難なるがごとし。 仏国有名の白痴病専門家なる故エドワード・セグウィン氏は、白痴病の原因をもって神経機能発育の阻害にありとせり。しかしてその阻害たるや、あるいは内部よりするあり、あるいは外部よりするあり、あるいは聴、視、触等の特別感能にとどまることあり。あるいは神経組織全体に及び全身の不能を生ずることあり。ゆえに白痴病なるものはその区域を定むること、はなはだ難(かた)し。ユークリッドの第一書を自明理として解せしアイザック・ニュートンより見れば、吾人普通人間も白痴患者の内に算入せられしやも計るべからず。普通知能を有せざる人・・・生来の愚人・・・人間の廃物・・・これ白痴なり。 今、入院者の二、三の状(さま)をしるさんに、 一は、クラーレンス某なり。オシなり。年十六にしてその知覚は五歳の小児に及ばず。彼の感覚ははなはだ鈍なり。唯一感能の鋭敏、傍人を驚かすあり。すなわち彼の食欲なり。腹満ちて、彼の顔貌つねに喜楽あり。飯鐘響き渡りて人の食堂に向かうを見るや、痴鈍なる彼に敏捷(びんしょう)制すべからざるあり。彼は真正の製糞機械たるにすぎず。彼を制するの道、単に彼の食を減ずるにあるのみ。 二は、オスカー某なり。オシなり。年十八、九にて身の丈(た)け十年未満の小児と見ゆ。彼の食欲はクラーレンスの及ぶところにあらず。彼の食机に対するや、まず両手をもって、自己の部分を食い尽くし、少しもこれを咀嚼(そしゃく)せずして呑下す。胃の腑(ふ)満つれば、これを嘔吐(おうど)し、嘔吐して後直ちに隣人の食に及ぶ。その猛烈なる眼光は、余輩看護人をして戦慄(せんりつ)せしむるに足る。されども彼は全く愚ならず、彼に一つの道楽あり、すなわち女の衣服より留め針を盗み来たりて手の甲を刺し、もって出血するを見て楽しむにあり。ゆえに彼の看護人は常に目を注いで彼の留め針を得ざらんことを努む。されども毎夜靴を脱して床につかしめんとするに際し、彼の靴下を検するに四、五本の留め針のあらざるはなし。余は数回、彼が留め針を得るの術を傍観せり。彼は看護人の目を盗み、白痴の女子にして最も軟弱なるを目がけ、しずかに背後に至り、急に彼女のえりもとをつかみ、直ちにその胸間の留め針を奪うなり。その手ぎわの迅速なる、被害者の声を挙げて助けをこう時は獲物はすでに小強盗の掌中にあり。彼は院中の魔鬼なりき。彼が食物渋滞のため、ついに死に至りしや、余輩は、摂理が早く彼の苦痛を去りまた彼の同胞をわずらわさざるに至りしを感謝したりき。 三はハリー某なり。可愛の一少年、彼を知らざる者は彼をもって白痴と認むる者なし。彼の数学は分数の難題を解するを得べし。彼また音曲の技に富み、よく群童を導くの才あり。されども彼は白痴なりし。彼は普通道徳を解するの力を有せざりき。すなわち盗む事をもって悪事と信ずるを得ざりき。盗む事は罰を彼の身に来たすを知るがゆえに、看護人の目前においては盗まざりき。されども人目の達せざる所において、一物の盗むべきあれば、彼は盗むまでは止まざりき。彼の病は盗むにあり。彼はその悪事なるを解するあたわず。彼はかえって盗むをもって悪事とみなす普通人間を疑うて止まざりき。 四はアンニー某なり。一三、四の可憐弱思の一小女、その無害なる、一も院内に止め置くの必要なきがごとし。ただ見る、時々人に面して彼女の心情を語るに際し、この世の悪に沈淪(ちんりん)し人類が上帝に捨てられしをもってし、ただ未来の救済あるのみを歎ずるを開くに及んでは、彼女自身が人類堕落の実証なるをもって、聞くものをしてそぞろに衣をうるおさしむ。 五はルーシー某なり。一六、七歳、肥満の女子、その面相は般若(はんにゃ)の化身(けしん)と称するをもって最も適当ならん。彼女の両眼は釣りあがりて西洋の画工の手に成りし日本人の眼のごとし。彼女の口は裂けて耳より耳に至り、その希薄淡色の毛髪は中央より別れて左右に垂る。ことに彼女の全体より一種異様の臭気の発するあり(余は日本のみその腐敗する臭気なりと覚えたり。白痴患者にこの臭気を発する者はなはだ多し)、彼女の気質また忍ぶべからざるものあり。彼女の心緒(しんちょ)一たび乱るれば、三人の看護人は彼女を制するあたわず。その罵詈(ばり)の声は全院に響きわたり、その醜状は見る者をして嘔吐の感を起こさしむ。世に醜婦てふ者あれば彼女はこれなり。されどもルーシー全く不生産的にあらず、彼女の気分定かなる時は、彼女は洗濯室における有用なる助手なり。彼女また愛嬌(あいきょう)なきにあらず。余はたまたまニュー・イングランド州より帰る、ルーシーは余を記憶せり。彼女は余を洗濯室の階下に擁(よう)していう、「内村君よ、余は君を思う久し。余は君に向かって数回の書状を発せしと思う。君、何ゆえに余に返事を賜わざりしや」と。余は言う、「ルーシーよ、余の不注意をゆるせよ。余は以来は、なんじの厚意を報ゆることを怠らざるべし」と。ルーシー得々然たり。抱腹絶倒のうち、また無量の涙なきあたわず。 これ入院患者三、四の例に過ぎず。かくのごとき者七百、一大家族となりて、一院四棟のうちに集まる。その日常の景況思うべし。無限の悲嘆、無限の滑稽、院内また一種異様の快楽なきにあらず。