「代表的日本人」と内村鑑三の日記と手紙 その5 〇赤山靭負(あかやまゆきえ)]は切腹する直前に主君と国に生命(いのち)をささげるべきことを西郷に語った。その少年は泣いた。そしてその印象は生涯を通じて決して去らなかった。 「人生は、私たちがいかにして天国に入るかを教えられる学校である」
「代表的日本人」と内村鑑三の日記と手紙 その5II -BIRTH, EDUCATION, AND INSPIRATION "The Great Saigo," as he is usually called, both for his greatness and to distinguish him from the younger Saigo, his brother, was born in the 10th year of Bunsei (1827) in the city of Kagoshima. A stone-monument now marks the spot where he first saw light, now far from the place where his illustrious colleague, Okubo, was born two years later, which is also so marked. His family had no hereditary fame to boast of; only "below middle" in the large han of Satzuma. He was the eldest of six children, - four brothers and two sisters. In his boyhood there was nothing remarkable about him. He was a slow, silent boy, and even passed for an idiot among his comrades. It is said that his soul was first roused to consciousness of duty by witnessing one of his distant relatives committing harakiri in his presence, who told the lad just before he plunged a dagger into his belly, of the life that should be devoted to the cause of his master and country. The boy wept, and the impression never left him through his life.2 誕生、教育、そしてインスピレーション 『大西郷』―彼は普通、彼の偉大さと弟の西郷[従道]と区別するためにも、そう呼ばれている―は文政10年(1827)に鹿児島のまちに生まれた。現在、一つの石の記念碑が、彼が始めて光を見た地点を示している。彼の有名な仲間、大久保が2年後に生まれた場所をまた示す所よりもほど遠くないところに。彼の家族は自慢するほどの世襲の名門ではなく、薩摩という大藩の『中の下』に過ぎなかった。彼は6人の子供達の長男だった―4人の男の子と2人の女の子の。彼の少年時代、彼について注目すべきことは何もなかった。彼はのろく無口だった、そして仲間の間で馬鹿として通ってさえいた。彼の魂が始めて義務の意識に目覚まされたのは、遠い親戚の一人[赤山靭負(あかやまゆきえ)]がハラキリ(切腹)するのを目の前で目撃したことによると言われている。その人は彼の腹に短剣を突き刺す直前に、その若者(西郷)に語った。主君と国にその生命(いのち)をささげるべきことを。その少年は泣いた、そしてその印象は生涯を通じて決して彼を去らなかった。『ボーイズ・ビー・アンビシャス第2集 米欧留学篇』p.87一月二十五日 日曜日 この人生は、私たちがいかにして天国に入るかを教えられる学校である。それゆえに、この人生の最大の成功は、「貴重な永遠的な教訓(レッスン)」を学ぶにあり。 新しい教訓が私をまもる天使たちによって教えられつつある。その中において最も著しいのはフランシス・ハヴァーガルである。今まではこの地上の生活が私にとって、すべてのすべてであった。「キリスト教」の支配の下にあってすらそうであった。新しい信仰は、幸福な家庭、自由な政府、等々のごとき、功利的目的のために信ぜられ、それ自身の中に在る霊的価値のためではなかった。『我が国を欧米のごとく強く為さんことを』が、私の人生の最高目的であり、この計画を実行する大原動力と考えたがゆえに、私は「キリスト教」を歓迎したのである。そしてああ、いかに多くの人々が今なおその社会的・政治的理由のためにそれを信ずることよ!しかし今や国を愛する愛は、天国を愛する愛のために犠牲にされるべきであった。国を愛する愛が最真最高の意味で私のものとなるために。二月二日 私は神の子なりとの考え。大きな勇気を得た。二月十一日 フィッリップス・ブルックスの「イエスの感化」を読み、大きな勇気を得た。私は神の子である。神の兄弟、あるいは同輩ではない、との大発見をした。なぜに私は『同じ立場』で「彼」に受けいれられるために、「彼」に力と純潔をもって競争しようと努めるのか。思い上がったこの世の小さい神よ。汝自身を知れ、そうすれば万事は汝に良くいくであろう。またフィリップス・ブルックス!悶える霊魂であって、彼が力と助けを与えることのできないものがあろうか。彼の法衣の下に何という深さのあることよ。彼の「祈祷書」の背後に何たる広さのあることよ。彼の著書を熟読して、私は思った。彼は私のすべての病患を親しく知り、それに投ずべき特効薬をもっている、と。旅人は彼の仙薬を一飲みして息をつき、一、二週間は口に歌を歌いつつ行進する。イバラあり、山あり、谷ある大地は、彼の前に平らかにされ、滑(なめ)らかにされた。