【四】先生日光祭田の荒蕪を開き百姓安撫の命を受け巡村開業す3
【四】先生日光祭田の荒蕪を開き百姓安撫の命を受け巡村開業す3 是これに於おいて前々まえまえ仕法しはふを下くだす所ところの諸侯しよこうの大夫たいふに談だんずるに、将来しやうらいの仕法しはふ取捨しゆしや如何いかんと云いふを以もつてす。日々にちにちに高談かうだん弁解べんかいして、後年こうねん良法りやうほうの永続えいぞくする所以ゆゑんを尽つくし、速すみやかに開業かいげふせんとするの意い念ねんなきに似にたり。門人もんじん其その深意しんいを知しらず大おほいに苦心くしんせり。時ときに四月ぐわつに至いたり先せん生せい疾やまひに罹かゝれり。随身ずいしんのもの大おほいに驚おどろき曰いはく、今いま良法りやうほう発達はつたつの時ときに当あたり、先せん生せいの病やまひ若もし病やまひならば、如いか何にせん大道だいだうの興廃こうはい此この時ときにありと、良医りやういを招まねき之これを診察しんさつせしむ。衆医しゆうい皆みな曰いはく、心力しんりよく共ともに労らうすること其その度どに過すぎたり。是これを以もつて其その虚きよに乗じようじ、邪じや気きの為ために病やまひを発はつせり。遠とほからずして治ぢすべし。然しかれども二たび身体しんたいを過動くわどうして発病はつびやうせば、其その憂うれひ量はかるべからずものあり。快気くわいきせば向かう後ごを慎つゝしみ、再発さいはつの端たんを拒ふせぐべしと、治療ちれう十有余日いうよにちにして病やまひ間かんを得えたりと雖いへども、未いまだ全ぜん癒ゆに至いたらず。先せん生せい起おきて諸方しよほうに往来わうらいし、安民あんみんの談論だんろん常つねの如ごとし。然しかれども疲労ひらうして食しよく進すゝまず、歩ほ行かう自みづから力ちからを得えず又また以もつて憂うれひとせず。誠まことに道みちの為ために身みを忘わするゝに似にたり。従者じゆうしや皆みな之これを憂うれひ屡々しばしば保養ほやうの道みちを述のぶると雖いへども、更さらに意いに介かいせず。五月がつに至いたり諸事しよじ悉ことごとく弁べんずることを得えて江都かうとを発はつし、野州やしゆう東郷ひがしがうの官廨くわんかいに至いたり、開業かいげふの順序じゆんじよを計はかり、六月がつ下旬げじゆん将まさに登山とざんせんとす。