滋賀大学附属図書館が「報徳産業革命の人 鈴木藤三郎の一生」を蔵書としていただいた、感謝! 家訓「3代先を見て商売せよ」
大学図書館 13冊 宇都宮大学(A,B,C,D,E,F,G,H,I,J,K,L,M) 12冊 東京大学(A,B,C,D,E,F,G,H,I,J,K,M) 、11冊 九州大学(B,C,D,E,F,G,H,I,J,K,L) 、岩手大学(B.C,D,E,F,G,H,I,J,K,L)、高知大学(B.C,D,E,F,G,H,I,J,K,L) 、長崎大学(B,C,D,E,F,G,H,I,J,K,L)、鹿児島大学(B,C,D,E,F,G,H,I,J,K,L) 、東京農業大学学術情報センター〔オホーツク〕(B,C,D,E,F,G,H,I,J,K,L)、東洋大学(B,C,D,E,F,G,H,I,J,K,L)、大阪教育大学(B,C,D,E,F,G,H,I,J,K,L) 、敬和学園大学(B,C,D,F,G,H,I,J,K,L,M)10冊 東北大学(B,C,D,F,G,H,I,J,K,L) 、京都大学(A,B,D,F,G,H,I,J,K,L)、福井大学(B,C,D,E,G,H,I,J,K,L) 、徳山大学(B,C,D,E,G,H,I,J,K,L)、北海道教育大学(B,C,D,F,G,H,I,J,K,L) 、宮城教育大学(B,C,D,E,F,G,H,I,J,K)、鹿児島純心女子短期大学(B,C,D,E,F,G,H,I,J,K,L) 、関西国際大学(B,C,D,F,G,H,I,J,K,L) 、金沢学院大学(B,C,D,E,F,G,H,I,J,L) 、玉川大学(B,C,D,F,G,H,I,J,K,L)、鹿児島県立短期大学(C,D,E,F,G,H,I,J,K,L) 、北星学園大学(B,C,D,F,G,H,I,J,K,L)、法政大学(B,C,D,E,F,G,H,I,J,K)、静岡産業大学(B,C,E,F,G,H,I,J,K,L) 、独協大学(B,C,D,E,F,G,I,J,K,L)、駒澤大学(B,C,D,F,G,H,I,J,K,L)9冊 北海道大学(B,C,D,F,D,G,H,I,J,K)、弘前大学(B,C,D,F,G,H,I,J,K)、福島大学(B,C,D,G,H,I,J,K,L) 、青山学院大学(B,C,D,F,G,H,I,J,K) 、高崎経済大学(B,C,D,G,H,I,J,K,L) 、水産大学校(B,C,D,G,H,I,J,K,L)、聖隷クリストファー大学(B.D,F,G,H,I,J,K,L) 、東京農業大学(B,D,E,F,G,H,I,J,L)、高知工科大学(C,D,E,F,G,I,J,K,L)、立命館アジア太平洋大学(APU)(B,C,D,F,G,H,I,J,K,L) 8冊所蔵 金沢大学(B,C,D,E,F,G,I,J)、神戸大学(A,B,D,E,F,G,J,L)、高崎経済大学(B,C,G,H,I,J,K,L)、桐蔭横浜大学図書館(B,F,G,H,J,K,L,M)、日本大学生物自然科学部(C,D,E,F,G,H,L,M)7冊所蔵 新潟大学(B,D,F,G,H,I,J) 、京都教育大学(D,F,G,I,J,K,L)、早稲田大学(A,B.D,G,H,I,J) 、関東学院大学(B,C,G,H,I,J,K) 、東北福祉大学(C,H,I,G,J,K,L)、沖縄国際大学(C,D,G,I,J,K,L)、酪農学園大学(B,C,H,I,J,K,L)、活水女子大学(C,G,H,I,J,K,L) 6冊所蔵 大分大学(C,G,H,I,J,K)、西南学院大学(G,H,I,J,L,M)、小樽商科大学(D,E,F,J,M)5冊所蔵 九大理系(G,H,I,J,K)、群馬大学(D,E,F,G,L)、日本女子大学(C,F,H,I,K)、札幌大谷大学(G,H, I,J, L)、静岡理工科大学(B,G,I,J,L) 4冊所蔵 上武大学(C,D,E,F)、同志社大学(B,F,K,J)、同志社女子大学(D,F,G,J)、兵庫大学(G,H,I,J)、武庫川女子大学(G,I,J,L)、愛媛大学(B,E,D,J)、國學院大學(F,G,I,J)、首都大学東京(G,I,J,L)、 3冊所蔵 埼玉大学(B,D,F)、高野山大学(B,C,D)、京都工芸繊維大学(I,J,K)、神戸学院大学(B,D,E)、鳥取短期大学(G,J,K)、南山大学(G,H,J) 2冊所蔵 静岡大学(A,B)、大阪市立大学(B,F)、北陸学院大学(F,G)、東北学院大学(J,L)、宮崎大学(G,J)、東海大学(B,F) 1冊所蔵 北海道科学大学(I)、群馬県立女子大学(I)、東京都市大学(D)、慶応義塾大学(A)、甲子園大学(G)、佐賀大学(B)、上越教育大学(B)、鹿屋体育大学(D)、日本大学国際関係学部(F)、室蘭工業大学(I)、東京女子大学(G)、ICU(J)、神戸国際大学(G)、北海学園大学(J)、フェリス女学院大学(D)、昭和女子大学(J)、浜松学院大学(F)、滋賀大学(B)A 日本近代製糖業の父台湾製糖株式会社初代社長鈴木藤三郎 B 報徳産業革命の人 報徳社徒鈴木藤三郎 C 二宮尊徳と日本近代産業の先駆者鈴木藤三郎 D ボーイズ・ビー・アンビシャス―クラーク精神&札幌農学校の三人組と広井勇 E 砂糖王鈴木藤三郎―氷砂糖製造法の発明― F ボーイズ・ビー・アンビシャス―米欧留学篇 G ボーイズ・ビー・アンビシャス―新渡戸稲造の留学談・帰雁の蘆 H 報徳記を読む第1集I ボーイズ・ビー・アンビシャス―札幌農学校教授・技師広井勇と技師青山士-「紳士」の工学の系譜J ボーイズ・ビー・アンビシャス 内村鑑三神と共なる闘い―不敬事件とカーライルのクロムウェル伝 K 報徳記を読む第2集 L 二宮金次郎の対話と手紙 第一小田原編(少年、青年編)M 補注鈴木藤三郎の米欧旅行日記「報徳記を読む第3集」と「補注鈴木藤三郎の米欧旅行日記」も寄贈しよう。隠れたる「宝庫」をゆく/13 岡村本家 「3代先見て」家訓で再飛躍 /滋賀毎日新聞2016年4月4日 地方版 1992年秋、実家に戻った6代目蔵元の岡村博之さん(46)はまず、利の薄い「桶(おけ)売り」という大手の下請けをやめ、老朽化した三つの蔵を取り壊した。加えて、前年度までに造った酒がたくさんあったため、その冬の仕込みを諦めると「6代目が長年続いた蔵を潰した」とうわさが立った。そこに今、年間4万人の見学者が押し寄せ、主力の「金亀(きんかめ)」は欧州や豪州へも渡る。 先祖は彦根藩士。江戸時代末期の安政元(1854)年、藩主・井伊直弼の命を受け、鈴鹿山系の名水や近江米など好条件がそろった豊郷で創業した。彦根城の別名「金亀(こんき)」の使用を許されたが、恐れ多いため「きんかめ」と読む。曽祖父が当主だった昭和初期には県外にも蔵を持ち、「大星(おおぼし)」との2銘柄で計1万石(1石=100升)を誇った。 しかし、曽祖父、祖父の代ともきょうだいが多く、資産分けなどで「本家」は次第にやせていった。日本酒不況が追い打ちをかけ、設備は老朽化、造り手も高齢化した。三男の岡村さんが東京の大学から大手酒造会社への就職が決まった頃、父の太さん(81)が兄弟3人を呼び「やめたいが、誰かやりたければ続ける」と切り出した。だが、誰も手を挙げなかった。 「立て直すとか考えなくていいけど、このままじゃ悔しくないかい」。1年後、母愛子さん(77)からの電話で岡村さんは翻意。どうせなら先を見据え、うまくて上質な酒を効率的に造ろうと思った。その結果が桶売り廃止や蔵の取り壊し。値引きばかり求められる営業も2年目にやめた。 翌年度は、蔵人を減らし、能登杜氏(とうじ)の畳伸一さん(83)と蔵人頭、自分の3人で造りを再開した。量はわずか300石。資金繰りは苦しかった。帳簿を見た太さんから「もうだめやな」と言われ、内心「やり過ぎたか」と思ったが、改革は止めなかった。いくつかの酒屋が「付き合ってやるから、いい酒を造れ」と言ってくれたことも後押しになった。 うまみ重視の基本は変えず、精米歩合を高めるなど工夫を重ねた。一方、小さな箱での丁寧な麹(こうじ)づくり、米1000キロまでの小仕込み、袋に入れたもろみを積み重ねて優しく搾る全量木槽(きぶね)袋搾り−−といった伝統的な手法は維持した。2年目には次の杜氏候補を募集。畳さんの下で7年修業を積んだ園田睦雄さん(44)が29歳で県内初の社員杜氏になった頃には、原料を全て近江米(吟吹雪、玉栄など)にした。 金亀は「黒50」「緑60」「茶70」など瓶の色と精米歩合(%)を示し、それぞれ火入れ(殺菌済み)と生原酒を出している。園田さんの希望でもっと磨き込んだ「藍40」も造っているが、個性的で濃厚な味わいを好む岡村さんの発案で逆に「白80」も発売。5年前に「青90」、一昨年には自ら「どぎつい」という「赤100」に突き進んだ。 「実は一番に売り切れるのは80と90。酒の好みが変わりつつある」。これを教えてくれるのは95年から受け入れている見学者。「生」が主流と気付いたのも試飲の傾向からだ。岡村さんは「酒屋さんでは分からなかった消費者の『顔』が見える。酒質から蔵の使い方まで、お客さんからは良いことも悪いことも言ってもらえる。感謝しています」と言う。今シーズンの造りは約700石。驚くべきことに、約半分は見学者らが直接買っていくのだという。 家訓に「3代先を見て商売せよ」という言葉がある。曽祖父も「このままは続かない。『その時』には身の回りを整理せよ」と書き残したという。「6棟残る古い蔵は7割方直した。私の代で全て片付くかな」と笑う岡村さん。危機を脱し、再び飛躍できた秘密はこの家訓に隠されているのかもしれない。【山本直】