「報徳記を読む第五集」の序文に代えて
「報徳記を読む第三集」の編集を一年近く続けているが、「二宮先生語録」の全ルビ版をやっと作成し、現在会員の〇〇さんに校正をお願いしている。 第二集には富田高慶の「報徳論」と「青木村治績」を資料として収録したこともあり、当初、「第三集」には、「語録」を収録することとして編集を進めてきた。 ところが、語録の分量が多く、字の大きさを12ポイントから10.5ポイントに落としたにもかかわらず、500ページ前後になる。 最近休みの日は朝夕2時間ほどウォーキングしているが、「歩きながら考える」に『二宮先生語録』は独立した一冊にするほうが使い勝手がよく、また第三集に収録の「報徳記巻の3~巻の5」にあわせて資料編として烏山仕法の扶順録抜粋及び細川仕法の「為政鑑」抜粋を収録できれば、史料的意義は大きいように考えた。新たに史料を収録することになると「第3集」刊行はさらに遅れることとなり、その意味でも第5集(第4集は『報徳記』第6巻~第8巻収録予定)を先行して刊行するほうがよいように思われた。 現在の校正が終わり次第、第5集「二宮先生語録」から刊行し、全国の大学図書館、公共図書館に寄贈することとしよう。「報徳記を読む第五集」の序文に代えて『二宮先生語録』は、当初『報徳記を読む第三集』(『報徳記』巻の三~巻の五)に収録する構想で進めてきたが、五百頁を超える大著となること、「語録」については、独立した本のほうが使い勝手がよいと考えて別冊とすることとし、『報徳記を読む第四集』(『報徳記』巻の六~巻の八)に引き続く『報徳記を読む第五集』とすることとした。「語録」は、二宮尊徳の四大弟子の一人、斎藤高行の著書であり、著名な書籍であるが、漢文で書かれているため、原文が読まれることは少ない。「語録」の現代語訳は、佐々木典比古氏によるものが「報徳博物館」から発行されているが、読書会で原文を輪読するため、書き下し、全ルビのものを探していたが、昭和十七年発行の『二宮語録』(平林久男氏編集)を発見した。平林氏の『二宮語録』は現在入手が困難である。そこで漢字等を新漢字にし、読書会等で輪読するに際し読みやすくする目的で本書を刊行する。本文は『二宮尊徳全集第三十六巻』に準拠し、全ルビは平林氏の『二宮語録』ルビに準拠した。『二宮先生語録』を今回新たに書き下し全ルビで発刊する史料的意義は大きいと考える。平林氏の全ルビ版『二宮語録』に感謝する。本書に本会の輪読の記録を収録したが、これは全国の読書会で『報徳記』、『報徳論』、『二宮先生語録』を輪読してほしいと願い、参考までに本会の輪読の様子を記録として残すものである。富田高慶や斎藤高行が二宮先生の言葉と行いを後世に伝えたいと願って記したこれら「日本の宝」を読み、それぞれの生活において実践として役立てていただければ、編者の喜びとするところである。鈴木藤三郎氏は日光の報徳二宮神社に奉納した『二宮尊徳全書』の願文の最後に記した。「報徳の教えが世に広まることによって真正の文明の実を見んことを」と。編者も共に願い、本書を刊行する。二〇一六年一月吉日 二宮尊徳の会凡例一、「報徳記を読む」シリーズは、読書会等で声に出して読まれることを目的として作成する。そのために本集所収の『報徳記』、『二宮先生語録』は全ルビとした。二、『二宮先生語録』の底本は、『二宮尊徳全集第三十六巻』(二宮尊徳偉業宣揚会昭和六年発行)である。三、『二宮先生語録』は、漢文で書かれている。漢字は原則として新漢字に改めた。仮名づかいについては、歴史的仮名づかいのままとし、読み下しの送りがなについては原則として『全集』に準拠した。また、ふりがなについては『二宮語録』(平林久男昭和一七年発行)に準拠した。平林『二宮語録』は、原文の漢文を読み下し、ルビをふり、また文末に語釈を施した貴重な文献である。ふりがなにおいて促音を使用するなど現代風の読みになっているところが多い。本会で刊行中の『報徳記』の原典とする『報徳要典』所収の『報徳記』のふりがなと異なるものも多いが、『二宮先生語録』のふりがなは、原則として平林ルビによった。四、語釈を文中に( )で施し、文末に補注を記した。五、平林氏のルビの明らかな誤記、誤植と思われる箇所などについては、編者において適宜訂正した。