報徳記巻の3【六】烏山仕法中廃、菅谷放逐せらる その21
何(なん)の暇(いとま)ありて己(おのれ)の補(ほ)助(じよ)を流(る)浪(らう)の兄(あに)に求(もと)めんや。仮(たと)令(ひ)愚(ぐ)蒙(もう)にして求(もと)むるとも此(こ)の正(せい)理(り)を以(もつ)て厚(あつ)く教(をし)へ、共(とも)に艱(かん)苦(く)を踏(ふ)ましむるこそ兄(あに)たるものゝ道(みち)にあらずや。然(しか)るに国(こく)家(か)を憂(うれ)ひ、過(あやま)ちを悔(くゆ)ることは一言(ごん)もなくして盲(まう)弟(てい)而(の)巳(み)を助(たす)けんとし、其(そ)の費(ひ)用(よう)を我(われ)に求(もと)むるは本(ほん)末(まつ)軽(けい)重(ちやう)を失(うしな)ひ、姑(こ)息(そく)に流(なが)れ、人(じん)臣(しん)の大(たい)義(ぎ)を忘(わす)れたるにあらずして何(なん)ぞや。一人りの心こゝろは誠まことに僅きん々きんたるが如ごとしといへども、其その至し誠せいに至いたりては鬼き神しん之これが為ために感かんじ、天てん地ちの大だいなるも之これが為ために感かん動どうす。何なんの暇いとまありて己おのれの補ほ助じよを流る浪らうの兄あにに求もとめんや。