新方村道路元標(埼玉県越谷市北川崎)
【訪問日 2018(平成30)年5月4日(金・祝)】 越谷探訪シリーズ松伏町に久寿餅を買いに行った後に、パチリ。※ 参照(wikipedia)道路元標(どうろげんぴょう)とは道路の起終点を示す標識である。1919年(大正8年)の旧道路法では各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた[5]。さらに、1922年(大正11年)に、道路元標の形状、規格、材料など細目が規定された内務省令が発布され、当時1万2000以上あった各市町村の自治体中心部に設置が始められた[6]。設置場所は府県知事が指定することとされており、ほとんどは市町村役場の前か市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されていた。東京市に限っては旧道路法施行令によって日本橋の中央に設置することと定められていた。道路の起終点を市町村名で指定した場合は、道路元標のある場所を起終点としていた。大正時代に設置された道路元標の大きさは、縦横25センチメートル、高さ約63センチメートルの直方体で、一般に頂部が弧を描くように丸く削られた形状をしており、材質は花崗岩で製作されているものが多い。各地方によって頂部の削り取られた形状部分は様々なものが見られ、材質についてもコンクリートで製作されたものもある[6]。道路元標の正面には、「○○村道路元標」「○○町道路元標」のように各市町村名の道路元標であることを示した刻字があり、背面に設置年が彫られている場合もある[6]。※ 新方村道路元標〈新方村道路元標:埼玉県越谷市北川崎〉