鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)
【参拝日:2019(令和元)年5月4日(土・みどりの日)】【参拝日:2019(令和元)年5月5日(日・子供の日)】※ 大鳥居 東日本大震災により倒壊した御影石の鳥居に替わり、境内に自生する杉の巨木を用いた同寸法の鳥居が平成26年6月1日に再建されました。※ 鹿嶋ふるさとガイドさんとマンツーマンでまわりました(2時間)。勉強になりました。※ 楼門 日本三大楼門の一つに数えられる楼門は、高さ約13m、重要文化財に指定されています。寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房卿により奉納されました。『鹿嶋社楼門再興次第記』によれば、三代将軍家光公の病気平癒を頼房卿が大宮司則広に依頼し、家光公が快方に向かった為に奉納されたとあり、浅草の水戸藩下屋敷で130余人の大工が切組み、船筏で運んで組み立てました。昭和15年の大修理の際丹塗りとし、昭和40年代に檜皮葺の屋根を銅板葺にしました。 ※ 月※ 太陽※ 本殿・石の間・幣殿・拝殿 本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる社殿は、元和5年(1619)、徳川2代将軍の秀忠公が寄進したもので、重要文化財に指定されています。 本殿は参道から見て一番奥にある三間社流造の建物で、御祭神の武甕槌大神をお祀りしています。拝殿は手前に見える建物で、正式参拝や結婚式の際にお上がりいただくことができます※ 御神木 鹿島神宮の森で最も古く、最も大きい木がこのご神木です。高さ約40メートルに及ぶ杉で、樹齢は約1,300年を数えます。※ 御朱印所※ 仮殿 元和4年(1617)、社殿造営のため徳川2代将軍秀忠公が奉納しました。まずこの仮殿に神様をお遷ししてから、旧本殿を奥宮まで曳いていき、その跡地に新しい社殿を造営したのです。江戸時代は楼門を入った真正面にあり、その後2回の移動で現在の場所となりました。 ※ 奥参道 奥宮に向かって300m程伸びる奥参道は鬱蒼とした巨木に覆われ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。5月1日には流鏑馬神事が執り行われます。 ※ 鹿園 鹿島神宮の御祭神をお遷しして奈良の春日大社を創建する際、鹿が運び手を担ったことから、鹿島神宮では鹿が神鹿として大切にされています。※ 樹叢 鹿島神宮の樹叢は、茨城県指定の天然記念物です。広大な森には杉のみならずシイ・タブ・モミの巨樹が生い茂り、その種類は600種以上にも及びます。生育南限と北限の植物が混ざっているのも大きな特徴です。 ※ 二郎杉 境内で2番目に大きな杉なので、二郎杉と呼ばれています。高さ40m、樹齢は700年とみられています。※ 摂社 奥宮 現在の社殿は、慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたものです。 ※ 要石 地中深くまで埋まる要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています。水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた、という話が黄門仁徳録に記されています。 ※ 御手洗池 1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった池です。昔は参拝する前にここで禊をしました。現在では、年始に200人もの人々が大寒禊を行います。〈鹿島神宮:茨城県鹿嶋市宮中 2306-1〉