堀江猫実(千葉・浦安市)~名所江戸百景
千葉県浦安市は完全に埋め立てで造られたものだと思っていたのですが、そうでもなかったようです。すでに鎌倉時代から人が住んでいたようで、江戸時代には幕府の直轄領として堀江・猫実・当代島などの村が置かれていました。猫実村の庚申塔江戸時代の1715年に、猫実村の庚申講の信者によって建てられたものです。庚申塔の正面には金剛菩薩が刻まれ、その下には「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の三猿が刻まれています。現在の浦安市内には江戸川の支流である境川が東西に流れ、江戸時代には境川の北側が猫実村、南側が堀江村として集落が発展していました。歌川広重「名所江戸百景 堀江ねこざね」ここを江戸と呼ぶかどうかはさておき、いかにも広重的な構図です。江戸時代の境川は、川幅が1.7mほどの小川だったのですが、海面埋立事業によって川幅も現在の5mまで拡張されました。現在の境川昭和の初めまでの境川は、川底が透けて見えるほどの清流で、飲料や炊事・洗濯にも使われていたそうです。また東京湾への玄関口として、川面には漁船が数多く係留され、魚介類を荷揚げする光景があちらこちらで見られていました。1971(昭和46)年に漁業権が完全に放棄されたようで、現在の境川も見るに絶えない汚染された川になっていました。