大山祇神社(愛媛・今治市)
しまなみ海道に来て、素通りできないのが大三島でした。大三島はしまなみ海道が通る芸予諸島のほぼ中央部にあり、「国宝の島」と呼ばれたりもします。大三島が「国宝の島」と呼ばれる由縁は大山祇(おおやまづみ)神社にあり、国宝・重要文化財に指定された武具の約8割が大山祇神社に奉納されたものです。大山祇神社の鳥居出雲大社の時もそうでしたが、いざ鳥居の前では実感がないものです。総門2010年4月に688年ぶりに再建されたものです。神門1661年に松山藩主松平定長によって寄進されたものです。拝殿(国指定重要文化財)応永年間(1394年~1428年)に再建されたものとされ、昭和30年に当時の様式に復元されたものです。大山祇神社の祭神は大山積(おおやまづみ)大神で、大山積大神の子孫であり、神武天皇東征の時に先駆者として伊予の島を治めていた乎千命(おちのみこと)によって鎮座されたそうです。社殿もさることながら、大山祇神社の境内は日本最古の原始林社叢の楠に覆われており、大山祇神社の楠群として天然記念物にも指定されています。乎千命お手植えと伝えられる楠(樹齢約2,600年です)能因法師雨乞の楠樹齢3,000年で日本最古の楠だそうです。後冷泉天皇の時代、伊予の国守である藤原範国は、能因法師を雨乞の使者として遣わせました。能因法師は「天の川 苗代水に せきくだせ 天降ります 神ならば神」と祈願したところ、伊予の国には三日三晩雨が降ったそうです。大山祇神社は朝廷や武将から厚い信仰を受け、源平を始めとする多くの武将が武具を奉納してきました。宝物館にある国宝の武具国宝以外にも弁慶が奉納した薙刀など、ここだけでも一見の価値はあるかと思います。