伝馬町牢屋敷跡(東京・中央区)
自転車に乗って走っているうち、小伝馬町までやってきました。小伝馬町と言えば、江戸時代に伝馬町牢屋敷のあった場所で、現在の十思公園がある一帯に牢屋敷があったとされています。広さは2,618坪もあり、旗本の「揚座敷」、武士・僧侶の「揚牢」、町民の「大牢」の他「百姓牢」や「女牢」がありました。約270年間の間に数十万人が牢送りになったと言われていますが、伝馬町牢屋敷が最も知られるのは、やはり幕末の安政の大獄でしょうか。1858年9月から1859年12月までの間の極悪非道な政治弾圧により、延べ96人が伝馬町の牢屋敷に送り込まれ、そのほとんどが処刑されました。その最後の処刑者となったのが、長州萩で松下村塾を主催していた吉田松陰です。十思公園にある「吉田松陰先生終焉之地」の碑その横には松陰先生の辞世の句が刻まれています。身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂松陰先生の亡骸は回向院に無縁仏として葬られていましたが、後に高杉晋作・伊藤博文らの松下村塾門下生によって現在の松陰神社に改葬されました。吉田松陰の処刑によって安政の大獄は終わりましたが、同時にそれは倒幕の始まりだったかも知れません。