東海道~由比宿(静岡・静岡市)その1
駿河湾の海岸線から急斜面が切立つ由比宿付近は、旧東海道でも交通の難所とされてきました。現在は旧東海道・国道1号線・東名高速道路・東海道本線が狭い海岸線に身を寄せ合うように通っています。東名高速道路は最も海岸線を通っており、高波で通行止めとなることもあったりするほどで、太平洋に面した由比PAは東名高速のビューポイントともなっています。そんな狭い海岸線にあるためか、由比宿では道路が拡幅されずに、旧街道の道幅がほぼそのまま残っていました。江戸方の出入り口には、クランク状に曲がった枡形も残っています。宿場町への直進進入を防ぐため、各宿場町には枡形が設けられましたが、現在では交通の障害となるために直線に改変されるケースがほとんどです。枡形の木戸口には、旧家も残っていました。現在も屋号「こめや」を名乗る志田家住宅。由比宿には本陣が一軒しかありませんでしたが、狭い海岸通りにありながらも、その広さは1,300坪もあったそうです。現在本陣跡は公園として整備されていました。由比宿には「東海道広重美術館」があります。広重美術館はぜひ見てみたいところですが、先を急ぐ事情もあって、やむなくパスすることにしました。本陣跡由比宿の本陣は、桶狭間の戦いで討死した今川家の家臣由比光教を祖とする由比氏が代々経営してきました。平成10年に当主由比宏忠氏の理解を得て、本陣の屋敷跡が公園として整備されています。本陣公園には常夜燈や陣馬の水呑み場も復元されていました。常夜燈(現存するものかも知れません)陣馬の水呑み場大名行列の馬を洗ったり水を呑ませたりする場所で、当時は深さが60cmもあったそうです。由比本陣の向かい側には、「正雪紺屋」の旧家が残っていました。1651年の幕府転覆計画「由井正雪の乱(慶安の変)」の由井正雪は、この紺屋で生まれたと言われており、そこから「正雪紺屋」と名付けられています。また本陣近くには、コミカルな脇本陣「羽根ノ屋」がありました。やはり東海道と言えばこのお二人、弥次さんと喜多さんです。由比宿には至る所に旧家が残っており、これまで訪れた東海道の宿場町では、最も往時の姿をとどめていると思います。小池邸(国登録有形文化財)明治になって建てられたものですが、代々小池屋文左衛門を名乗る名主の居宅です。もっとゆっくりと由比宿を見て行きたかったのですが、どうしても日没までにサッタ峠にたどり着きたくて、やむなく旧街道を先へと急いで行きました。関連の記事東海道~蒲原宿→こちら