新発田城(越後国)~その2
新発田城の本丸は周囲を内堀で囲まれ、その周囲をさらに二の丸が囲む輪郭式の縄張りだったようです。現地の縄張り図二の丸と本丸の間には筋違いの橋が架けられ、それぞれに門が置かれていたようです。二の丸側の「土橋門」跡本丸の虎口には櫓門形式の表門が現存しています。本丸表門(現存、国指定重要文化財)表門の渡櫓は開放されていて、中に入って見ることもできました。渡櫓入口なまこ壁の渡櫓です。渡櫓内部現存する渡櫓の中に入れるのは、新発田城の他には高知城しか経験がありません。新発田城には本丸表門以外にも十一棟の櫓と五つの門が現存していましたが、明治5年になってほとんどが破却されました。今も現存する建造物としては、旧二の丸隅櫓が本丸に移築されています。城内から見た旧二の丸隅櫓(現存、国指定重要文化財)こちらもなまこ壁の外壁になっています。旧二の丸隅櫓新発田城に限らず、やはり隅櫓などの建造物は、城外から見るのが一番だと思います。本丸では旧二の丸隅櫓の他にも、辰巳櫓や三階櫓が復元されていました。辰巳櫓(城内から見たところ)辰巳櫓(城外から見たところ)写真が残っていたためか、詳細に復元されていました。新発田城に天守は上げられず、三階櫓が事実上の天守だったようです。三階櫓(復元)新発田城の築城は比較的新しく、慶長3年(1598年)に加賀から移封された溝口秀勝によって築城されました。溝口秀勝は上杉景勝との戦いで落城した新発田重家の城跡を取り入れて築城し、以後明治に至るまで新発田藩主溝口氏の居城となっています。日本城郭協会「日本100名城」