二二八和平公園(中華民国・台北市)
1947年2月28日に勃発した「二二八事件」は、日本統治時代から台湾に住んでいた本省人と、日本の敗戦後に中国本土から来た国民党などの外省人との間で勃発した内乱です。その二二八事件の犠牲者を追悼するため、1996年に当時の台北市長であった陳水扁(後に総統)が記念碑を建て、公園として整備したのが「二二八和平公園」です。二二八記念碑二二八事件の発端は、ヤミタバコの取締による一般女性市民への政府の暴行事件でしたが、ここから本省人と外省人の抗争が台湾中へと広がっていきました。特に本省人の知識人に対する政府の弾圧は厳しく、約28,000人もの台湾人が殺害・処刑されたと言われています。二二八和平紀念公園もその舞台の1つで、本省人はここのラジオ局を占拠し、日本語で台湾中に蜂起を呼び掛けた場所でもありました。現在もそのラジオ局の建物は「二二八紀念堂」として残っています。記念館は改装中だったのであきらめて帰ろうとすると、年配のガイドさんに「時間があったら話を聞いてもらえないですか」と流暢な日本語で呼び止められました。時間はあったので話を聞くことにしたのですが、「どんな話をされるのだろう」と内心ドキドキしていました。向かい合わせに座ったテーブルの上に、その人がまず差し出したのは教育勅語でした。そしてそこから本省人の話へとなったのですが、要約すると以下の通りです。・清朝の統治は200年以上も続いたが、台湾に対して何も恩恵を施してくれなかった。・しかしながら日本は違って、鉄道・道路・工場などの文明をもたらし、何よりも道徳・教育などの文化をもたらしてくれた。 日本統治時代は犯罪もなくなり、台湾人にとっては最も幸せな50年だったと (歴代の台湾総督府長官の名前を思い出したのですが、さもありなんという感じです)・日本が敗戦して引き揚げた後、台湾にやって来たのが蒋介石率いる国民党だった。 文明など知らず、学問も道徳もない人間たちがやってきて、日本の高い文明・文化を持つ台湾人の支配を始めたと。・しかも国民党政府では、日本政府ではありえなかった賄賂や汚職が蔓延しており、この政府への不満が二二八事件へと発展していったそうです。台湾では「リップンチェンシン(日本精神)」という言葉があり、本来の日本人が持つ清潔さ・公正さ・勤勉さ・責任感・規律遵守を総称してこう呼ぶそうです。この方は陳さんという人でしたが、今の日本人がこれを忘れていないだろうか、との疑問を投げかけられました。いわく、昔の日本人は愛国心に裏付けされた高い道徳観があったと。確かに戦後日本の教育社会では、どこかの組合によって、本来の日本人が持っていた道徳観まで否定されたのかも知れません。陳さんは日本の政治情勢もよくご存じで、「小沢さんは嘘をついたからいけなかった」と。嘘つきを嫌うのが日本人だから、小沢さんにノーを突きつけたことで、まだまだ日本人にも昔のような正義があると感心したそうです。戦後日本が引き揚げてしまった後、陳さんも公務員になろうと思ったそうですが、日本の教育で嘘つきは悪だと教えられたので、とてもじゃないが当時の公務員になる気にはなれなかったそうです。陳さんとの話はまだまだ続き、「これからの日本はこうなってしまう」、そして「こうあるべき」で意見が一致したのですが、長くなるのでここではやめておきます。最後に陳さんは名刺を渡してくれ、そこには「日本名」が書かれていました。今年で80歳、「昭和5年に生まれてから昭和20年まで私は日本人だったが、たった15年間でも日本人であったことを誇りに思っている」とのことです。胸が痛くなる一言でしたが、台北で本当の日本人に出会ったような気がしました。