三笠記念艦(神奈川・横須賀市)その2
日露戦争といえば「日本海海戦」が代表的ですが、日露戦争全体から見ればあくまでも局地戦に過ぎません。しかしながらこの日本海海戦は、未曾有の危機を救った大勝利だと思います。20世紀に入ると、ロシア帝国は「極東政策」を押しすすめ、満州・朝鮮半島へと進出、そしてその手は日本へと伸びつつありました。実際にロシアの艦隊が幾度も日本の沿岸に出没し、商船の撃沈や拿捕、航路の封鎖などを行っています。当時の日本では、大多数の人が「ロシアがいつ日本本土を襲ってもおかしくない」と考えていたほどです。そのような状況下、ロシアの「バルチック艦隊」が第2・第3太平洋艦隊としてバルト海を出港、ウラジオストクに向けての大航海に出て行きました。大型戦艦はスエズ運河を通行できないため、喜望峰経由での大航海であり、33,000kmに及ぶ大航海です。バルチック艦隊がウラジオストクに派遣されたのは、日本海を含めた極東の制海権を掌握することが目的でした。そうなればいよいよ日本がロシアの支配下に入ってくるのは明らかです。バルチック艦隊のウラジオストク入港をなんとしても阻止すべく、東郷平八郎司令長官の下、「三笠」を旗艦とした連合艦隊がその重責を担うこととなりました。そして作戦の立案に当たったのが、名参謀として名高い秋山真之中佐です。バルチック艦隊との艦隊戦に備えて集結する連合艦隊。(三笠艦内にて)しかしながらバルチック艦隊が対馬海峡を通過するのか、それとも太平洋を経由して津軽海峡や宗谷海峡を抜けるのか、その航路は予測しがたいところでした。東郷平八郎と秋山真之は、バルチック艦隊が対馬海峡を通過すると読み、その読みに基づいて作戦を練り上げて行きました。それは対馬海峡からウラジオストクまでの海域を7つに区分して作戦を遂行する、「7段の戦法」です。しかしながらバルチック艦隊が対馬海峡を通過するかどうかは予断を許さない状況であり、もし読みが外れれば、作戦が無駄になってしまうどころか、日本そのものが危機に晒されてしまいます。1905年5月27日未明、対馬海峡で警戒中の信濃丸から「敵艦隊見ゆ。地点203」との報告が三笠に届きました。東郷平八郎と秋山真之の読みは的中、バルチック艦隊は対馬海峡に姿を現しました。この知らせを受けた東郷平八郎は、大本営に向けてかの有名な電文を発信します。「敵艦隊見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、之を撃沈滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」電文が発信された「三六式通信機」電文の原文(いずれも三笠艦内にて)連合艦隊は三笠を旗艦として対馬海峡に出動、やがて南西方向から2列縦隊で進んでくるバルチック艦隊を発見しました。東郷平八郎は戦闘開始を号令すると共に、三笠のメインマストには「Z旗」が掲げられました。Z旗 東郷元帥自筆の書「皇国の興廃、此の一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」。名文家秋山真之が作った文章です。三笠を一番艦とする連合艦隊は、バルチック艦隊の右前方から左へと進路をとっていました。連合艦隊は、バルチック艦隊の前方を横切って通り過ぎてしまったのですが、その時三笠ブリッジ内の東郷平八郎の右手がさっと振り下ろされました。それを合図に三笠は左150度へ回頭、後続の艦隊も三笠に続いて行きました。リスクの高い「敵前回頭」ですが、これが有名な「東郷ターン」です。三笠艦内にパノラマ模型で再現されている「東郷ターン」頭を抑えられる格好となったバルチック艦隊は、進路を右へ変えて、連合艦隊との距離を縮めながら並走せざるを得なくなりました。先に砲撃してきたのはバルチック艦隊の方でしたが、砲撃の準備が整っていない上に距離が遠いため、有効な砲撃とはなりませんでした。そして両艦隊の距離が6,000mに縮まったところで、今度は三笠からの一斉砲撃が開始され、後続艦も砲撃を開始しました。三笠の15センチ砲。連合艦隊の砲撃の前に、たった30分でバルチック艦隊は主力戦艦4隻が航行不能となり、戦列を離れて行きました。夜になっても連合艦隊は駆逐艦や水雷艇などで砲撃を続け、2日間でバルチック艦隊は壊滅しています。ちなみに「7段構えの戦法」では、最終的にバルチック艦隊をウラジオストクまで追撃して港内に封鎖する作戦になっていました。しかしながらバルチック艦隊がすぐに壊滅・降伏したため、作戦は未実行に終わっています。バルチック艦隊38隻のうち、ウラジオストクにたどり着いたのは、駆逐艦や巡洋艦など軍艦3隻と、連合艦隊の攻撃対象から外された病院船1隻の計4隻だけでした。一方連合艦隊の方は、水雷艇3隻が沈んだものの、主力艦隊の損害はありませんでした。たった2日間で最新鋭戦艦を持つバルチック艦隊が壊滅してしまったことは、東郷平八郎の名と共に世界中に響き渡っていきました。その東郷平八郎に感銘を受けて、三笠の保存に尽力した意外な人がいるのですが、後日紹介したいと思います。三笠記念艦の艦内では、日本海海戦のみならず日露戦争のことも詳しく紹介されており、今回はその一部を書かせて頂きました。(写真の撮影もOKとのことでした)関連の記事三笠記念艦(その1)→こちら三笠記念艦(その3)→こちら