西国街道~広島宿(広島・広島市) その2
広島市内の西国街道は、本川(旧太田川)を渡ると、平和記念公園の中を通って行きます。慰霊碑のすぐ北側を通る道が、旧西国街道となります。平和記念公園からは元安川に架かる元安川を渡り、広島城の城下へと入って行きました。元安川対岸には原爆ドームがあります。ところで広島市内には太田川の分流が何本もあり、広島市内だけで2,600本の橋があるそうです。それぞれに「〇〇橋」の名前が付いているのですが、旧西国街道の橋だけは「本川橋」や「元安橋」のように、流れる川の名前が付けられていました。このあたりにかつてのメインストリートの名残を感じるのですが、現在は電車道の相生通と平和大通に挟まれて、ごく普通の道と言った印象です。それでもかつての西国街道は、広島城のすぐ南側の大手口を通るメインストリートでした。現在も街道沿いに大手町などの城に由来する地名が見られます。元安川に架かる元安橋を渡ると、西国街道は「本通り」となって、かつての広島城の正面を通っていきます。本通りちょうど旧広島市民球場の南側あたりです。アーケード街の床に「西国街道」の文字が見られ、ようやく山口県から広島県に入ったのだと実感しました。(「山陽道」の呼び方をするのは山口県だけだそうです)「本通り」と呼ばれるようになった旧西国街道ですが、さすがに電車道と交差すると普通の裏道といった感じです。広島城の正面に続く「鯉城通り」との交差点かつての平田屋川が流れていた場所は、今も「筋違い」になっていました。アーケード街が途切れたところでキリンの看板があり、飲み屋街へと入っていきました。雑然とした雰囲気に台北を思い出し、違和感がないどころか懐かしさを感じました。↓こちらは台北の永康街です。 台北にいる時はこぎれいな光景に日本を思い出し、日本では雑然とした光景に台北を思い出す。前日の夜の余韻が冷めやらぬ感じでしたが、西国街道もいつの間にか普通の場末の道に戻っていました。関連の記事広島城(2010年1月)→こちら西国街道~広島宿その1→こちら