東海道~神奈川宿(神奈川・横浜市)その1
旧東海道も川崎宿を過ぎると、横浜市へと入っていきました。鶴見川を渡って「鶴見橋関門」を過ぎると、旧生麦村(鶴見区生麦)へと続いて行きます。生麦付近の旧東海道。キリンビールの工場の前の道が旧東海道です。ここは1862年の「生麦事件」が起こった場所で、第一京浜沿いには生麦事件の碑が建っていました。1862年、薩摩の島津久光の行列の前を4人のイギリス人が乗馬のままで通りかかり、薩摩藩士に殺傷された事件が「生麦事件」です。(よりによって薩摩とは…)イギリス人のリチャードソンが死亡し、この事件がきっかけで薩英戦争へと発展していきました。現在事件の碑が建っている場所は、リチャードソンが斬られて落馬した場所です。生麦からは再び第一京浜(国道15号)に合流し、神奈川宿の中心地へと続いています。ちょうど滝の川のあたりに本陣がいくつか置かれていたのですが、現在は銀行や自動車会社の建物に変わっていました。また警察署のあたりに高札場もあったのですが、現在は横浜市神奈川地区センターに実物大の高札場が復元されています。復元された高札場。当時の神奈川宿はすぐ左手に海が広がり、神奈川湊として栄えていました。洲崎神社の参道の目の前にも海があって、横浜開港後は横浜との渡船場が置かれたそうです。洲崎大神。解説によると、1191年に源頼朝が安房国の一ノ宮である安房神社の霊を移して建立したとのことです。(安房国の一ノ宮って洲崎神社ではなかったのか…)京急神奈川駅付近に来ると、再び旧街道となって「大綱金毘羅神社」の前に来ました。平安末期の創建で、かつては神奈川湊に出入りする船乗りたちからも崇敬を集めていました。また大綱金毘羅神社の前に一里塚が置かれていましたが、現在は残っていませんでした。ここからは緩やかな坂道となっていますが、ちょうど安藤広重の浮世絵に描かれたあたりだと思います。安藤広重「東海道五十三次 神奈川宿台ノ景」そしてこちらが現在の風景1858年に締結された日米修好通商条約により、横浜港が開港されると、神奈川宿には各国の領事館が置かれました。各国の領事館跡については、次の記事でご紹介したいと思います。関連の記事東海道~日本橋→こちら東海道~品川宿→こちら東海道~川崎宿→こちら