出島(長崎・長崎市)
鎖国政策下の日本を象徴する場所が出島かも知れません。江戸時代で、ここが唯一の外国との窓口でしたその名の通り、出島は海に突き出した孤島だったのですが、現在は陸地の中に埋もれてしまった感がありました。鎖国下の日本で唯一の対外窓口であった出島は、1634年から築造が開始された人工島です。道路脇に残る出島の岸壁当初の目的は、オランダ人ではなく、ポルトガル人を管理することだったようです。ポルトガル人が国外追放となると、平戸からオランダの東インド会社の商館が移ってきて、以後はオランダ人の居住地となりました。オランダ商館面積約4,000坪の出島から自由に出入りすることはできなかったようで、ほぼ軟禁に近かったのではないでしょうか。(シーボルトを除く)