カープ観戦記~不敗記録途切れる・・・
広島カープは中日ドラゴンズに嫌な負け方を喫したので、前の日記で広島カープの非常事態を宣言しました。その嫌なムードの中、5/9から神宮球場でヤクルトスワローズとの3連戦、私も神宮球場に足を運び、カープを応援することにしました。これが私の応援グッズです。(前田選手のサポーター用ユニフォームに嶋選手のタオル、それにメガホンです)この井伊直政のような赤い軍装で、神宮球場の三塁側内野席に着陣しました。試合開始前からレフト側外野席にも続々とカープファンが詰めかけ、ライト側のスワローズファンと同じ位の人数が入っていました。いつもよりカープファンが多い気がしましたが、やはりみんなもこの非常事態を目の前にして、いても立ってもいられなかったのでしょうか。私の座った席の前には、ちょうど三塁側のブルペンがあります。投球練習をしていたのは、39才のベテラン高橋(建)投手でした。高橋はここまでハーラー2位の4勝を挙げ、防御率も1.68と素晴らしい成績を残しています。去年の同じ時期にこの成績だけを見たら、黒田投手(現ロサンゼルスドジャーズ)のことだと思うでしょう。黒田の抜けた穴は、頼れる兄貴分がきっちり埋めてくれています。そしていよいよ試合開始、ヤクルトスワローズの先発は村中でした。試合が始まると、予想通り広島カープ高橋との投げ合いとなり、何とも言えない緊張感漂う投手戦となりました。2回裏にはカープ高橋がヤクルト村中から三振を奪い、通算1,000奪三振の記録達成です。ヤクルトファンからも温かい拍手がありました。その息詰まる投手戦の中、カープ最大のチャンスが4回表にやってきました。1番赤松が三振で凡退した後、2番小窪がレフト前ヒットで出塁、3番アレックスもレフト前ヒットで続きました。1アウト1塁・3塁となったところで、4番の栗原健太に回ってきました。ここまで不振が続く栗原ですが、何とかここで復活ののろしを上げてもらいたいものです。球場に詰めかけたカープファンも同じ思いなのでしょう、応援にも一段と力が入っていました。しかしながらカープファンの思いも空しく、栗原の打球は内野に転がり、最悪のダブルプレーです。(栗原の不調はかなり重たい・・・)過去金本がFAで阪神に移った後に4番を任された新井も、同じように苦しんでいました。その新井の後を任された栗原ですが、きっと新井を越えるバッターになってくれると信じています。(そうなるとまた阪神タイガースに移籍?)広島がチャンスを逃した4回の裏には、ヤクルトのガイエルにライトスタンドへ運ばれ、ついに先制を許してしまいました。(ソロホームランで助かった・・・)ライトスタンドでは「東京音頭」と共に、ビニール傘の花が開いて盛り上がっていました。その後もヤクルト村中・広島高橋の投手戦は続き、あっと言うまにラッキーセブンであります。レフトスタンドでは「それ行けカープ」の大合唱の後、ジェット風船が神宮の空に舞いました。ちなみにジェット風船の応援は阪神タイガースが有名ですが、元祖は広島カープです。(今では当たり前のトランペットの応援も、広島カープが元祖だと聞いたことがあります)しかしながら広島カープの打線の援護もないままに高橋は降板、好投も空しくコズロースキーに交代です。三塁側ブルペンを見ると、ふてぶてしい面構えの2人が投球練習をしていました。前の中日戦の初戦できっちり抑えた横山と、クローザーの永川であります。打線が奮起して永川の登場を期待していたのですが、その期待も空しく試合は終わってしまいました。この日カープ打線は散発の3安打、ヤクルトスワローズに1-0で完封負けです。前の中日戦から連続して完封負けを喫しており、「宮島さん」の応援歌を永らく聞いていません。広島カープ3連敗、非常事態はまだまだ続きそうです。これまで球場に応援に行くと負けたことがなかったので、初めて敗戦で球場を後にすることとなりました。(あまり球場には行かないものの、ついに不敗記録が途切れました)ガイエルと村中のヒーローインタビューを遠くに聞きながら、失意のうちに信濃町駅までの長い道を歩いていました。カープファンに混じって歩いていると、突然「お兄さん、今日は残念じゃったね」と声をかけられました。見知らぬ人でしたが、カープの帽子を被ったお孫さんと共に応援に来ていた年配の方です。私も「はい~、これでは高橋があまりにもかわいそうです・・・」との感想を述べました。その後も会話は続き、昔の強かった時代のカープの話になりました。私にとってカープが強かった時代とは、正田・小早川・ロードンなどがいた頃のイメージです。しかしながらその方のイメージは、さらに昔の山本浩二・衣笠・ホプキンスの時代でありました。(古葉監督率いる「赤ヘル軍団」の時代です)「お兄さんは若いから知らんじゃろうけど・・・」とおっしゃっていましたが、そんなに若くはないので、幼い記憶に残っています。私も外木場・大下・金城の名前を出して、会話を続けていました。おそらくカープ悲願の初優勝を喜んだ世代の方でしょうが、「今のカープは、もっと昔の弱かった頃と同じゃね~」とのことです。(さすがにその時代は知りません)信濃町駅に着くと、再びカープ優勝の日を夢見て、お互いに握手で別れました。本当にいつか優勝できる日を夢見て、まだまだカープファンを続けたいと思っています。