『深紅』 野沢 尚
修学旅行1日目の夜、「家族が事故にあった」という知らせを受けた小学6年生の秋葉奏子は、父と母、4歳と5歳の弟が死んでしまったのではないかという不吉な予感を抱えながら担任教師と共にタクシーで東京の病院に向かった。病院に到着すると、泣きはらした叔母が待っていた。白い布がかけられた家族4人の遺体に近付こうとする奏子に、叔母は「絶対に見てはいけない」と言い聞かせた。家族に何が起こったのか。白い布をかけられた家族たちはいったいどんな変わり果てた姿をしているというのか。なぜ、自分一人だけを残して死んでしまったのか。深い絶望に苛まれた奏子は、自分の心を守るため、この時から「感じること」を放棄するようになった。やがて奏子は、家族が父の会社の取引相手である都築則夫という男に惨殺されたということを知る。父を恨んでいた都築は、4人を殺害した後全員の顔をハンマーで叩き潰していた。都築は裁判所あてに上申書を提出していた。上申書には、都築が奏子の父に詐欺まがいの手段で奏子の母方の祖父の連帯保証人に仕立て上げられ、亡くなった最愛の妻が都築と娘のために遺した保険金を失ったことや、事件当日の経緯について詳しく書き記されており、殺害しても尚、父と母に対する恨みが消えていないことが伺えた。奏子は自分を引き取ってくれた叔母や、周りの人々に心配をかけまいと、努めて明るく振舞っていたが、心の奥底には「自分だけが生き残ってしまった」という罪悪感を抱えていた。そして、家族が殺された日の夜、修学旅行先からタクシーで東京に戻り、病院で家族の遺体と対面するまでの間の「4時間」の記憶が、不意にフラッシュバックのような形で再現されるという発作のような現象が、奏子を苦しめ続けていた。事件から8年が経過し、奏子は大学生になった。友人や恋人に恵まれながらも、誰にも本心を見せることができず、心の奥の「隠れ家」に深い傷を隠しながら日々を送っていた。そんなある日、都築則夫に死刑判決が下った。奏子と同じ歳の都築の娘・未歩が、父親が死刑になる事に対し「あたしも殺せばいいのよ」と言ったことを知った奏子は、その言葉の真意を知りたいと思った。もしかしたら、加害者の娘である未歩も自分と同じような傷を抱えて生きているのではないか。無性に未歩に会ってみたいと思うようになった奏子は自分の正体を隠し未歩に接近していく・・・。長くなりましたが、以上が作品の前半のあらすじです。後半は、未歩との出会いにより、奏子の心が激しく揺れ動いていく様が描かれていきます。未歩の中に自分と同じ心の傷を見つけようとする奏子。それがもし自分より小さな傷なのであれば、その傷を押し広げてやりたいと思ってしまう。未歩に非があるわけではないことはわかっているのに未歩から聞かされる言葉の一つ一つで心がかき乱され憎悪がつのり、奏子の心の奥の「隠れ家」は次第に残酷な思いに満たされ、とうとう決壊してしまう・・・。この作品について「前半はよかったのに後半は尻すぼみ」というような内容のレビューをいくつか見かけました。確かに、前半の衝撃的な内容に比べてしまうと、後半は地味な印象なのかもしれませんが私は決して「尻すぼみ」だとは思いませんでした。むしろ個人的には、後半の方が目の離せない、息を呑むような展開で、激しく心を揺さぶられました。この作品にとって、前半部分はあくまで前置きに過ぎず、後半の内容こそが、野沢さんが本当に描きたかったものだったのではないかと感じています。ラストに関しても、「あっさりしすぎ」とか「拍子抜け」という意見がありましたが、祈るような思いで奏子の動向を見つめていた私にとっては、すごく救われるラストでした。本当にいい作品だと思います。作者の野沢さんが亡くなってしまったことが残念でなりません・・・。