加地訓で読む4度目の論語78;泰伯8-9
子曰、民可使由之。不可使知之。 子曰く、民は之(これ)に由(よ)ら使(し)むべし。之れを知ら使むべからず。 自己流、日本語読み下し文を単純に解釈すれば、「民には文句なしに決まりに従わせるべきで、その理由を理解させようなどすべきではない」しかし、この様な解釈をすれば、孔子ファン、論語ファンからブーイングが出そうである。この文章の解釈には、どうも引っかかるところがある。論語とは知らずに昔から知っていた文章。その昔高校時代、封建政治を学んだ頃「生かさぬよう、殺さぬよう」の代名詞として記憶?つまり「領民には法度を守らせるべし、その法度の意味など教えるべからず」と解釈していた。「べし、べからず」と読めば単純に、このような解釈も出来るので、専制統治に利用も出来た。わが国の封建領主が「儒学」の忠君その他都合の良い部分を統治に利用したのは事実。自分的には、この文章には人に対する選別(選良と愚民)意識があるような気がする。2,500年前の民のレベルだから、孔先生がそうノタマワレルのも尤もかも知れない。しかし聖人の言故、そんな不遜なことを仰る筈はない、と柔らかい解釈に変化したのか?で、現在の解釈の主流は、先生は仰られた。「民に対し、政策(法律)に従わせることはできるが、その目的などを理解させることは困難だ」ただ孔子が言う君主は、あくまで立派な君主を前提にしているから悪法は前提にないのかも?短いが解釈が難しい文章である。「之」を読むか読まないかでも随分ニュアンスが違ってくる。吉川さんの漢文の話では、文末の「之」は置き字で原則読まないとあった。之を読まなければ「民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず」となる。「人民は愚かだから従わせればいいのであって、難しいことは教えないほうが良いよ」愚民政策というのかな。中国なんか今でもこうだし、日本の法律も愚民には極めて分かり辛い。