宇野訳注で訓む中庸40;第24章ー誠は自らなるなり。
誠者自成也。而道自道也。誠者物之終始、不誠無物。是故君子誠之爲為貴。誠者非自成己而己也。所以成物也。成己仁也。成物知也。性之徳也。合外内之道也。故時措之宜也。誠は自ら成るなり。而して道は自ら道びくなり。誠は物の終始、誠ならざれば物無し。是の故に君子誠をこれ貴しと為す。誠は自ら己を成すのみに非らざるなり。物を為す所以なり。己を成すは仁なり。物を成すは知なり。性の徳なり。外内を合わするの道なり。故に時にこれを措いて宜しきなり。誠はそれ自身、根本であり本体であり他物の力を借らずに自ら成就するものである。而して道もまたそれ自身が根本であり本体であり、他の助けを待たずに自ら導くものである。誠はすなわち道、道はすなわち誠である。万物はすべて誠の道によって生滅・終始する。誠でなければ物は存在せず、一切の秩序は破壊され終わるであろう。それ故に君子は誠を貴しとして、いやしくも誠に背くことがない。誠は自ら己を完成するばかりではなく、その仁徳が物に及んで物をしてそれぞれを完成させる。己を完成させるのは仁であり、物を完成させるのは仁の作用である知である。この仁知は自分の本性に固有する徳である。性は、万物の根源であるからこの徳は万物もまた具有しているのである。物と我と、外と内と本来相違あるものではない。すなわち、内外合一、物俄一体観に至るべき道である。故に、時に臨んでこれを用いてみなその宜しきをを得るのである。(この章は人の道を言ったのである)ということなのだが、誠の道は誠に難解で、半分も理解できてはいない。誠は天意であり、天命である天道である。万物はすべて天意により完成を目指している。故に君子は誠を尊く思い、誠に背くことは無い。これから先は堂々巡り。最後の「時にこれを用いて(措いて)宜しきなり」が分からない。