川上訓で読む佐藤一斎178;言志晩録233-過失を責める場合の注意
責人之過失、不要十分。宜余二三分。使渠不甘自棄*;自新、可。人の過失を責むるには、十分を要せず。宜しく二三分を余し、渠(かれ)をして自棄に甘んぜず、以て自ら新たにせんことを*(もと)め使(し)むべくして可なり。*(もと)め;ここでは、不かんむりに見で「もとむ」と読ませる。漢和辞典には覓(べき、もとめる)とある。人の過失を責める場合、100%これを責めるのは良くない(不要である)。まあ、2、3分は残しておいて、当人が自棄(やけ)にならず、自ら心新たにして頑張れるように仕向てやるのがよろしい。訳注者語義;自暴自棄の出典。孟子「離婁上篇」自ら暴(そこな)う者は、ともに言うことあるべからざるなり。自ら棄つる者は、ともに為すことあるべからざるなり。」とある。