明日から二学期! 学校へ行きたくなくて悩んでいる子たちへ、そして親たちへ
深刻な話だが、8月は、自ら命を断つ中学生がとても多いというデータが出ている。昨日、送られてきた「不登校新聞」の、第一面に大きく出ていた。2013年のデータだと、月平均8件の自殺(中学生)があるそうだ。えっ、こんなにもたくさん! と、この数字にも驚かされたが、8月はその倍近い15件あったと言う。原因のすべてが学校にあるかどうかは不明だが、学校が重荷になっている子どもも、かなりの割合でいるんじゃないだろうか。不登校の子に対して、学校では新学期を機に、学校へ行けるようになりましょうという指導が多い。親からも、「何とか新学期になったら行ってほしい」というプレッシャー(言葉ではなくても)がのしかかってくる。8月も終わりになって、もうすぐ新学期が始まるとなると、子どもたちは、胸が締め付けられ、苦しさがあふれ出てくる。しかし、不登校という選択をしている子は、まだいいかもしれない。いじめられていたりして、そのことを親にも先生にも言えず、がまんして学校へ通っている子は、もっと悲惨だ。まわりからは行くのが当たり前と思われているし、自分では嫌で嫌で仕方ないし、もう消えてしまいたいと思い詰めてしまうこともあるのだろう。なんで、学校へ行くとか行かないくらいで、命を断たないといけないのだ。学校って、そんなにも大事なものなのか!ぼくは、憤りを感じる。我が家では、長女が学校へ行かなくなったとき、言葉や態度で彼女を追い詰め、つらい思いをさせてしまった。学校へ行かないことが、これほど大きな問題として、自分の価値観の中にあったことに、改めて気づかされ、愕然とした。悩んだし、苦しんだ。でも、おかげさまで、ぼくは方向転換ができた。学校へ行かないことが、そんなにも大きなマイナスなのかと、冷静になって自分に問いかけた結果だった。今、三女が不登校だ。ぼくは、学校へ行かないという選択をした三女を、誇りに思う。自分で決めたこと。そして、それを行動に移したこと。だって、不登校でほめてもらえる子なんていないのだから。あえて、自分を人から責められる肩身の狭い立場に置くのだから、それは半端な覚悟ではないはずだ。不登校というのは、逃避ではない。チャレンジだ。長女のときにも、そんな気持ちで、彼女を受け入れてあげれば良かったと、今更ながら胸が痛む。「世界の果ての通学路」という映画が話題になっている。猛獣たち、ジャングルの間を通り抜けて学校へ行く行く子どもたちを描いているのだそうだが、彼らと日本の子どもたちとは同列には語れない。彼らは、学校に希望があるからこそ、危険な通学路であっても、通っている。こんなにも大変な思いをして学校へ通っている子がいるんだ。お前らは恵まれているんだ。だから、学校へ行けと言うなら、それは間違っていると、ぼくは思う。日本の場合は、通学路は大変じゃなくても、学校に希望がない。どちらが幸せか?今日で8月も終わる。明日から新学期。学校へ行かない選択、学校へ行かないことでもっと自分が輝くこともある、学校へ行かなくても、決して将来は真っ暗ではない、学校が人生のすべてを決めるわけではない、まずは、親が学校という呪縛から解放され、子どもをも解放してあげる。そんな道もあることを、頭の片隅に置いて、今、何がベストの選択なのかを考えてもらいたい。動画「学校のことを考えるのがつらい人へ」