孤独
「孤独を感じることはないですか?」質問された。ないわけないよね。孤独と言っても、いろんな種類のものがあると思う。今、実家にいて、一人でお昼ご飯を食べていると、一人暮らしをしているときの母の晩年を思ったりする。母が倒れたとき、救急車で運ばれてだれもいなくなった部屋の台所に入ると、小さな土鍋がガスコンロの上にあった。豆腐の味噌汁が半分ほど入っていた。前の晩、自分一人のために作ったものだろう。母の最後の晩ごはんをシンクに流し、土鍋を洗いながら、切なくなってきた。80歳を過ぎてから、夫を亡くし、娘と息子を見送った。残った長男のぼくだけが頼りだった。そのぼくもコロナもあって、ほとんど会うことができなかった。6人がけの大きなテーブルでたった一人の食事。かつては、このテーブルが狭いほどの家族が集まったこともあった。「寂しかったやろな。ごめんな」そう思ったときの、ぼくの心には孤独が宿る。父が死に、妹と弟もいなくなり、母が亡くなって、原家族はぼく一人になってしまった。今のぼくは、妻がいて、3人の娘も成人して、寂しい境遇ではないけれども、どこかにすき間風が吹く。母の孤独とは違うかもしれないが、ぼくもやっぱり孤独だ。人は、魂の故郷からたった一人でやってきて、たった一人で帰っていく。そもそもが孤独な存在だということを、忘れてはいけないのだと思う。だから、心の中にはすき間がいっぱいあって、そこを、冷たい風が通り過ぎていくのだ。だから、孤独でいい。孤独を感じることが、人間の本質なのだ。母は土鍋に入った味噌汁を残していった。いつかあるとき、ぼくはいったい、何を残していくのだろうか。